谷崎潤一郎が霧の中に残し、小松左京が未来へ運んだ後南朝を、その土地に先祖を持つ者が書いた。新作『後南朝の霧――車僧禅師三部作、書き終えて――』
谷崎潤一郎が霧の中に残し、
小松左京が未来へ運んだ後南朝を、
その土地に先祖を持つ者が書いた。
今回完成した『後南朝の霧――車僧禅師三部作、書き終えて――』を一言で表すなら、この言葉になる。
この作品は、突然思いついて書いたものではない。
これまで私は、このnoteで自天王、車僧禅師、上北山村、北山宮、三之公、かくし平、谷崎潤一郎の『吉野葛』などについて書いてきた。
振り返れば、それらの記事は、すべて今回の作品へつながっていたのである。
『吉野葛』から始まった後南朝
谷崎潤一郎の『吉野葛』は、自天王の話から始まる。
谷崎は吉野へ入り、後南朝の影を追った。しかし、物語はやがて友人の母親と、その血筋を探す話へ移っていった。
谷崎は後南朝を書き切れなかったのか。
あるいは、あえて書き切らず、吉野の霧の中へ残したのか。
小松左京は、別の方向からその霧へ踏み込んだ。
後南朝の皇族が潜んだと伝わるかくし平へ赴き、その伝承をSFとして未来へ飛ばした。
深田久弥は山へ入り、白洲正子は里の祭祀と口伝を見つめた。
では、私はどこから後南朝を書くのか。
私の場合、それは血筋と車窓と口伝からであった。
地図より先に、家の声があった
私の祖父の実家は、この村にあった。
曾祖母はそこで晩年を過ごし、私は幼いころから何度も村へ連れられた。
囲炉裏の匂い。
絶えず続く川の音。
灯りを消すと何も見えなくなる山の夜。
瀧川寺の話。
自天王の話。
山門の普請に関わったという、宮大工だった先祖の話。
河合峠から白川にかけて、祖父の家が山を持っていたという話。
その山を売ったことを惜しんでいた曾祖母の声。
私にとって奥吉野は、資料や地図で初めて知った土地ではなかった。
地図より先に、家の声が染み込んでいた土地であった。
車僧禅師を中心に書いた
私は、車僧禅師三部作と補完作『義有王 最後の旗』を書いた。
車僧禅師は、南朝の血を引きながら仏門へ入り、王として表へ立つのではなく、僧として王たちの間を歩く人物である。
その誕生と修行。
興泉寺の建立。
嘉吉三年の禁闕の変。
神器と血脈の継承。
自天王と忠義王。
義有王の最後の旗。
長禄の変。
自天王と車僧禅師の最期。
谷崎のように別の物語へ進むのでもなく、小松左京のように未来へ飛ばすのでもない。
車僧禅師を中心に、禁闕の変から長禄の変までを、一つの時間としてつなごうとしたのである。
書き終えても、霧は残った
四つの物語を書き終えたあと、私はもう一度、奥吉野へ戻った。
瀧川寺に残る自天王の墓所。
車僧禅師と自天王の和歌を刻んだ歌碑。
山門の棟札に残る、宮大工だった先祖の名。
家が失った河合峠の山。
そして、自天王のために銭を集めに出ている間に主君を失い、三文の銭を持って土の中へ入ったと伝えられる、名のない側近。
王の名は墓所に残る。
僧と王の和歌は歌碑に残る。
先祖の名は棟札に残る。
しかし、王を支え、山道を歩き、銭を集めた男の名は残らなかった。
そこで本作には、「外章 三文銭」を加えた。
これは史実の再現ではない。
土地に残る伝承の空白へ、私が置いた一つの物語である。
届かなかったかくし平
私は三部作を書く前に、かくし平を目指したことがある。
しかし、明神滝付近で足を滑らせ、水へ落ち、その先へ進むことができなかった。
当時は、取材に失敗したと思った。
だが、書き終えてから気づいた。
歴史にも、資料で近づける場所がある。
伝承で想像できる場所がある。
物語として補える場所がある。
そして、それ以上は進めない場所がある。
届かなかったことは、失敗として消えるのではない。
届かなかった場所として残る。
その残り方が、私の中の霧になったのである。
家の声の続きを探していた
『後南朝の霧』は、三部作の単なる続編ではない。
後南朝の歴史。
奥吉野の寺院、墓所、歌碑、棟札。
土地に残る伝承。
先祖と家族の記憶。
失われた山。
届かなかった場所。
名を残さなかった側近の三文銭。
そして、歴史を書くことの限界。
それらを一つの答えへまとめるのではなく、分からないものを分からないまま残すために書いた作品である。
自分では、歴史を書いているつもりであった。
しかし本当は、家の中で聞いた声の続きを探していたのかもしれない。
谷崎潤一郎が霧の中に残し、
小松左京が未来へ運んだ後南朝を、
その土地に先祖を持つ者が書いた。
それが『後南朝の霧――車僧禅師三部作、書き終えて――』である。
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