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遠野遥『破局』を読んで

今更ながら、遠野遥『破局』を読みました。読んだ感想とか考えた解釈とか書いていこうかなと思います。
※ネタバレを含みます。
※引用のページ数は文庫本のものです。

どんな作品か

この作品は第一六三回芥川賞受賞作です。選評で山田詠美が「ほとんどゾンビ化している人間たちの群像劇」と評したそうですが、これはこの作品を端的に表しているいい言葉だなと思います。この選評のとおりゾンビ化してしまっている人間たちが破局を迎えていくというのが本作品の大まかな流れです。

登場するゾンビたち

1.陽介

本作品の主人公です。ほとんどルーチン化されたストイックな日々を送り、自身の感情や欲求に関して、三大欲求以外は目をつむるというか、うまく認識できていません。実際作中でも感情を確認するようなシーンが見られます。

灯は嬉しそうに笑い、それを見た私も嬉しかったか?

『破局』38ページ

さらに、陽介は公務員を目指して勉強に励んでいるのですが、おそらく公務員を目指す動機のようなものはありません。友人の膝からのメールでそれが示唆されます。

そういえば、お前はどうして公務員になりたいんだっけな。今度聞かせろよ。

『破局』135ページ

2.膝

お笑いサークルに所属する主人公の友人です。自分のお笑いをやりたいという明確な目標を持ちつつもうまくいかず、就活に打ち込んだり、酒におぼれたりすることによって、それを忘れようと(ゾンビ化しようと)します。しかしながら、夢を忘れきれず(ゾンビ化しきれず)に苦しみます。

3.麻衣子

陽介の恋人でしたが、政治家を目指す多忙な日々ゆえに、陽介との交流は冷たいものになっていき、陽介に振られます。それほど政治家を目指す活動は熱心なのですが、政治家を目指す動機は作中で明記されていません。僕は、陽介と同様に動機などないんじゃないかと考えています。関連する部分は以下の部分です。後に陽介の恋人となる灯が陽介に問いかけるシーンです。

「麻衣子さんは、どうして政治家になりたいんでしょうか。」
私は灯の首に触れた。初めて会った日から、ずっとこれに触れてみたかったのだ。

『破局』63ページ

質問に対して、結構唐突な感じでペッティングが始まります。ちょっと強引かもしれませんが、このシーンは麻衣子が職業選択に対して思考停止していることを示しているのではないでしょうか。

4.灯

陽介が、麻衣子の後に付き合う恋人です。最初は屈託のない感じのいい子だったのですが、徐々に性欲が膨れ上がっていき、関心も陽介に対してというより陽介の性器へと移っていきます。最終的には自身もかなり退廃的な生活を送ります。

破局の兆候

この作品はすべて陽介から見た一人称視点で描かれているのですが、その描き方、文体が非常に冷たいのです。いや、冷たいというよりかはあっさりしすぎていると言った方が近いかもしれません。そんな文体からもわかるように陽介から見た世界はかなりあっさりしていて、自身の感情によく目を向けたり、作中で何回か象徴的にでてくるように、花の美しさを感じたりすることはないのです。そんな陽介の生きる指針となっているものは三大欲求と社会的目(作中では主人公がいろいろな人に見られる)だけなわけですが、陽介の基本的能力が高く、さらにシンプルな認識ゆえに屈折した思いを抱くこともないので、かなりうまく生きていっています。ところが陽介に異変が訪れます。以下は灯との北海道旅行中に、灯に温かい飲み物を買ってあげようとするも、見つからないというシーンです。

私は灯に飲み物を買ってやれなかったことを、ひどく残念に思った。すると、突然涙があふれ、止まらなくなった。

『破局』116ページ

陽介は唐突に泣いてしまうのです。僕はこのシーンの唐突さに驚いてしまいました。陽介も困惑していました。ですが、僕はこの作品を再読して陽介の根底にはずっと寂しいという気持ちが流れていることに気づきました。そうすればこのシーンも納得することができます。しかしながら、シンプルな認識を貫き通す陽介や、作品に引きずり込まれた初読の僕なんかは陽介自身の寂しさには気づけずにただ戸惑うだけなのです。

陽介の寂しさ

この作品の冷徹な文体から、陽介をまるきり非人間的存在とみなしたくなってしまいますが、それは間違いだと思います。陽介はずっと寂しさを抱えているのです。このことを示すシーンをいくつか挙げたいと思います。
まずは、麻衣子とホテルで性交をしようとした際に拒まれ、一人で携帯電話を確認すると灯からの温かいメッセージが届いていたシーンです。

もしも、灯がここにいたらその体を抱き締めたいが、灯は今ここにいないから、灯からのメッセージが表示された携帯電話をかわりに抱き締めた。

『破局』46ページ

次に、物語の終盤で、陽介がなぐった男の鞄から零れ落ちた球を反射的に抱き締めるシーンです。

本当なら灯を抱き締めたいが、灯は今ここにいないから、そのかわりだった。しかし、結果的には球の方がよかったのかもしれない。変形を防ぐためだろう、球には空気が十分に入っていなかった。球は私の力をやわらかく受け止めた。抱いているのは私であるのに、私は父親に抱かれているような安心を受け取った。

『破局』151ページ

これらは陽介の人間的側面を示すシーンであると同時に、本当に抱き締めたい人は陽介の前に存在しないという陽介の寂しさを強調するシーンでもあるでしょう。
最後にもう一つ象徴的なシーンです。

灯の手にはやけに熱がないけれど、それは私の体温が高いせいかもしれない。

『破局』37ページ

これは、陽介が灯に自分の力こぶを触らせているシーンです。このシーンのように陽介が他人を触ったり、触られたりするシーンはいくつかあるのですが、そのどのシーンでも一つの例外を除いて、すべて他人の体は冷たいのです。こういう描写も暗に陽介の寂しさを示しているのではないでしょうか。

ついに破局

陽介は、作中で何度も巡査部長が性犯罪で捕まっていたように、ついに社会的な破局を迎えてしまいます。物語の終盤では、陽介と灯の人間的なつながりはもういつの間にか失われていて、灯は他の性器を求めて陽介のもとから去ってしまいます。それを追う際に陽介は男と乱闘になり、男を意識不明状態にしてしまい、警察に逮捕されます。この終わり方はバットエンドでしょうか。僕は一概にバットエンドであるとは言い切れないと思います。陽介はこの期に及んでようやく自分の人間的部分を取り戻し始めるのです。象徴的なシーンをいくつかあげます。
まずは警官に取り押さえられ、空を見上げるシーンです。

警官の肩の向こう、雲ひとつないよく晴れた空が、私の上にあった。空をこんな風に見上げるのは久しぶりで、私はこれを、もっと早く見るべきだったと知った。

『破局』153ページ

花のような美しいものにまったくもって興味のなかった陽介が、空の美しさに感動するのです。
もう一つ挙げたいと思います。これも警官に取り押さえられるシーンです。

警官が、私の体を優しく押さえていた。彼の手はとても温かく、湯につかっているかのように、心地よかった。

『破局』155ページ

これが、陽介の寂しさのところでちょっと触れた唯一の他人の体が温かいシーンです。陽介は温かい体にふれられて、安心して眠ってしまいます。
これらのシーンから陽介は人間らしさを徐々に取り戻しつつあるのがわかると思います。しかしながら、この終わり方をハッピーエンドということもできないでしょう。この描写は、陽介が人間的交流をするのが警官に取り押さえられる場面においてであるという皮肉を多分に含んでいることも確かです。

作品の謎

物語の中盤で、麻衣子が幼少期、不審者の男に追い掛け回されたという話が結構長くはさまれます。この話自体はおもしろいのですが、話の流れ的には結構唐突な印象があるでしょう。この話はなにか象徴的な意味を持っているのでしょうか。
僕は、この話を麻衣子自身が破局に追い込まれていることの象徴であるという解釈をしました。不審者という既に破局したものに追いかけられて、実際には捕まらなかったものの、夢の中では必ず捕まってしまう、つまり破局を迎えてしまうのです。実際、麻衣子は陽介よりも一足先によからぬ行為を行っています。陽介に対して不貞行為を行い、それを灯にもらすというのがそれにあたるでしょう。さらにおもしろいのが、追い掛け回す不審者の身体的特徴(筋骨隆々)が陽介に重なることです。つまり、麻衣子はこの話を陽介にすることで、自分が破局を迎えているということを暗示するだけでなく、それは陽介のせいであり、また、破局を導いた陽介は、不審者のようにすでに破局しているのだといいたかったのはないでしょうか。
これと同じようなシーンとして、灯がゾンビ映画を身を引き締めてみているシーンがありますが、このシーンと麻衣子の話は似ているようで少し違います。ゾンビ映画では追いかけるゾンビが女で、追いかけられるのが男なのです。このことから、灯は自分がゾンビ化していて、それによって陽介を破局へと導くんじゃないかとおびえていると推測できます。さらに、灯と陽介が最後喫茶店で話をするシーンで、灯は飲めないはずのカフェオレを飲みます。このシーンも灯がもう以前の灯ではなく、ゾンビ化してしまっているということを示しているのではないでしょうか。考えすぎかもしれませんが、そう読みたくなってしまいます。

感想

平易な文章で書かれていますが、象徴的なシーンをいくつか織り交ぜることによって不穏な雰囲気がよく表現されているおもしろい作品だと思いました。
主人公の陽介はまるきり非人間的な私たちには縁遠い人ではありません。少なくとも僕の中には、陽介のような部分があります。余計なことを考えないで、自分をわざと非人間的にするような部分があると認めざるを得ません。初読の時に抱いた、陽介に対する滑稽だなという感想を自戒として心にとどめておきたいと思います。

#読書感想文 #読書 #破局 #遠野遥 #芥川賞 #初投稿


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