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僕が生まれる3ヶ月前、「平成で1番売れた本」が出版された|哲学コラム



いきなりですが、みなさんは、
「平成で1番売れた本」が何か知っていますか?

もしかしたら、

・名前だけは聞いたことがあるという人もいるでしょうし、

・実際に読んだことがあるという人もいるかもしれません。

・あるいは、そもそも知らないという人もいるはずです。

その本の名前は、『バカの壁』です。


『バカの壁』は、養老孟司先生によって2003年に出版された本で、

発行部数は、驚異の450万部。


本の表紙に「平成で一番売れた本」と書いているくらいなので、当時とんでもない人気があったというのは容易に想像できます。

ただ、実はこの本が出版された当時、
わたしはまだ生まれていません。

『バカの壁』の刊行日が2003年4月10日で、

わたしの生年月日が2003年7月9日です。

なので、わたし自身、昨日読み始めるまでは、『バカの壁』という名前くらいしか知りませんでした。


ということで今回は、平成で1番売れた本、『バカの壁』を読んで思ったことについて語っていこうと思います!


◯『バカの壁』は哲学書!?



まず、『バカの壁』を読み始めて1番最初に思ったのは、

「これは、哲学の本だ!」ということです。


というのも、この本では、哲学的な問いを辿ることで、『バカの壁』という概念に迫っていくというアプローチが採られています。

なので、

「わかるとは何か」
「現実とは何か」
「感情とは何か」
「私とは何か」
「知るとは何か」
「死ぬとは何か」

という、科学だけでは簡単に答えが出ないような問いが数多く登場します。


まぁ、要するに何が言いたいのかというと、

この本には養老先生なりの哲学がめちゃくちゃ詰まっていたから驚いたということです。



だって本来、研究者の本というのは、「科学的な事実」を中心に構成されているものじゃないですか。

それが、本を開いてみると、哲学中心で作られているなんて、誰が思うのでしょうか。
いえ、誰も思いませんよね。

例えば、チャールズ・ダーウィンが、

「僕の仮説なのですが、ほとんどの生物は、共通の祖先から世代を経て進化をしている可能性が高いんじゃないかと思います」

なんて曖昧に語っていたら、現代にまで残るような大きな学説にはなっていなかったかもしれません。

もっと断定的に、

「全ての生物は、ひとつの祖先から発展した!」

と提示したからこそ、多くの人がその理論と向き合ったわけです。


なのでわたしは、『バカの壁』を読む前、

「研究者である養老孟司先生の本だから、当然、科学的な事実を中心に書かれているのだろう」

と思っていました。

しかし、実際に読んでみると、『バカの壁』という本は、養老先生自身の哲学によって成り立っていた。

この、「研究者」という肩書と、「哲学的な語り口」のギャップは、本当に面白かったです。


そして何より、

「自分の考えを絶対の正解として押しつけない姿勢」

というのが、とても印象的でした。

「当然、別の考え方もあるよね」という物腰の柔らかさは、誰しもが持てるものではありません。

本当に、“正解”というものに対して真摯なんですよね。

わたしも、学問を扱う人間として、この姿勢は見習わなければならないな、と心底思いました。


◯そもそも『バカの壁』ってなんなの?



では、そんな養老先生の哲学が詰まった『バカの壁』には、一体何が書かれているのでしょうか。


当然、「バカの壁の正体」が書かれています。


バカの壁というのは、一言でいえば、
「人それぞれに存在する、認識の限界」のことです。



例えば、同じ本を100人が読んだとして、

・「勉強になった」という人と、

・「元から知っていた」という人に分かれたとしましょう。

では質問です。

この時、「元から知っていた」という人は、
本当に、「勉強になった」という人と同じような理解ができているのでしょうか。


これは、かなり微妙なところですよね。

・本当に、その本で得られる知識と同じ体験をしていたから「知っていた」と言っているのか。

・ある程度まで理解した段階で、「もうこれ以上学ぶことはない」と判断してしまったのか。

さまざまな可能性が考えられます。


つまり、このような、「もうこれ以上はいいや」と、知ることをやめてしまう壁。

その壁こそが、『バカの壁』の正体なのです。


ちなみに、養老先生の考え方で特に面白いのは、「どこでバカの壁が生まれるのか」を、
一次関数のy=axで説明していた点です。



養老先生は、本書で、

「“わかろう”という意欲は、その情報が自分にとってどれだけ重要かによって変わる」

として、

「わかろうとする行動」=「自分の価値観」×「情報」

という考え方について語っていました。

例えば、ピアノにしか興味がない人に対して、サッカーの素晴らしさを説明したとしても、その人は「わかろう」としてくれませんよね。

これは、その人の価値観において、サッカーがほとんど重要ではないからです。

つまり、一次関数で考えると、aの「価値観」の部分がほとんど0だからこそ、yの「わかろうとする気持ち」も0に近くなるわけです。


しかし一方で、

ピアノが大好きな人に対して、

「ショパンって、微妙な曲しか作らないよね」

と言ったとしたらどうでしょうか。

おそらく、

「なんでそんなことを言うんだ」

と、強く反応するはずです。

これは、その人がピアノを大切に思っているからこそ、ショパンを否定されることに感情が動くわけです。

つまり、aの「価値観」の部分に、大きなマイナスの値が入るからこそ、yにも大きな負の反応が現れるわけですね。


逆に、ピアノについてしっかり語れば、その人はもっとこちらを理解しようとしてくれるかもしれません。

これは当然、aの値がプラス方向に大きくなるからです。


このように、人は、「自分にとって価値がない」と判断するからこそ、『バカの壁』を作ってしまう。

そして、その境界線は、興味、重要性、価値観によって決まるのだと言えます。

こうして説明されると確かに納得できるのですが、普通にこの発想が出てくるのは、本当にすごいですよね。



◯誰しもに『バカの壁』があるなら



今回、『バカの壁』を読んでみて1番感じたのは、「素直であることの重要性」です。


結局、わからないことはわからないですし、
誰しも、興味がないものを知ろうとは思いません。


だからこそ、自分らしく生きていくためには、「自分が興味を持てるものに素直であること」が重要なのではないかと思いました。


わたし達は、世の中の全てを知ることはできません。

そして、「知りたい」という欲にも限界があります。

だからこそ、自分の興味に愚直に向き合うことこそが、最終的には、この世界を深く知るための近道なのではないでしょうか。


おわりに(ごあいさつ&おまけ)



本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

改めまして、おはようございます!拓矢です!

まず、投稿がかなり遅れてしまい、本当に申し訳ありません。

完全に、頭がストップしていました。

ここ最近、自信のある記事ほど反応が読めなくて、少し考え込んでいた部分もあります。

ただ、今こうして読んでくださっている方々がいる以上、しっかり感謝を届けられる記事を書いていきたいなと思っています。

とはいえ、さすがに脳の限界は感じているので、どこかで調整は必要そうですね。

でも、この「プレイヤーとして戦っている感覚」は、嫌いじゃないです。

感覚としては、キングダムの合従軍編、最後の蕞(さい)防衛戦みたいな感じでしょうか。

ギリギリの状態でも、最後まで粘って、勝ちをもぎ取る。

そんな気持ちで、もう少し頑張ってみようと思います。

それでは、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!

また次回の記事でお会いしましょう!

ありがとうございました!!!

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