【無料】全力は連鎖する。偉大なる師が「球拾い」で見せた、魂の継承についての物語。
昨日、私の目の前で一つの「奇跡」のような再会がありました。それは単なる偶然ではなく、10年という長い歳月をかけて積み上げられた、情熱と覚悟の結晶だったように思います。私がこれまで信じて歩んできた道、そしてオガールという場所で作り上げてきた「思考」や「行動」が、間違いなく誰かの人生を動かし、未来を照らしているのだと確信できる出来事でした。今日はその話をさせてください。
物語の始まりは、今から10年以上前、2015年に遡ります。 当時、私はバレーボール岩手県中学選抜女子チームの監督を任されていました。岩手のバレーボールを背負う中学生たちを率いて、全国の強豪と渡り合うためのチーム作り。その強化合宿の場に、とんでもないゲストコーチをお招きすることができました。
ちなみに、私のような民間人が中学選抜の監督を担うのは非常に稀で、岩手では過去40年間で民間人監督は私一人だけです。これも試されごとと感じたので快く引き受けました。
話は戻りますが、その方こそ、東京都足立区立渕江中学校の日笠智之先生です。
バレーボール界に身を置く者であれば、その名を知らぬ者はいないでしょう。公立中学校の部活動でありながら、なんと通算7度もの全国大会優勝を成し遂げた名将中の名将。現在、高校バレー界を席巻している駿台学園の梅川大介監督もまた、日笠先生の教え子の一人であると言えば、その偉大さがより伝わるでしょうか。まさに「育成の神様」とも呼べる存在が、私のチームのために岩手まで足を運んでくださることになったのです。
私は緊張と興奮の中で、日笠先生にこうお願いしました。 「先生、ぜひ選手たちに直接コーチングをお願いします。日本一の指導を、彼女たちに肌で感じさせてやってください」と。
しかし、日笠先生から返ってきた言葉は、私の予想を遥かに超えるものでした。先生は私を一喝するように、けれど温かい眼差しでこう言ったのです。
「バカ言うな、オレは岡崎のサポートに来たんだ。球拾いを全力でやるから、岡崎の指導をオレに見せろ」
耳を疑いました。全国制覇を何度も成し遂げている大監督が、岩手の一選抜チームの、しかも年下の私の練習のために「球拾いをする」と言うのです。それは謙遜でも冗談でもなく、指導者としての「覚悟」を私に突きつける言葉でした。「お前のチームだろう。お前が魂を込めなくてどうするんだ」と、背中を叩かれたような気がしました。
練習は始まりました。私は腹を括り、普段通り、いや普段以上に熱を込めて指導にあたりました。コートの端を見れば、あの日笠先生が、選手たちが打ったボールを必死に追いかけ、拾い、籠に入れている。その姿を見て、私が手を抜くことなど許されるはずがありません。その日の体育館には、言葉では言い表せないほどの凄まじい熱気が充満していました。
そして練習の最後、日笠先生が選手たちを集めて語りかけました。その言葉は、今でも私の胸に深く刻まれています。
「いいか、よく聞け。世界中探しても、自分で建てたアリーナで選抜選手を指導している監督なんて、岡崎以外にどこにもいないんだぞ。君たちは今、とんでもない奇跡の中でバレーボールができている。そのことに感謝しているか?」
先生の視線は、選手一人一人の心を見透かすように鋭く、そして優しく続きます。
「今日の練習を見ていたが、一番声を出して、一番汗をかいていたのは誰だ? 監督の岡崎だろ。今日の練習を見ただけで、岡崎が普段どんな練習しているのかがわかった。大人が本気で、人生をかけてお前たちに向き合っているんだ。君たちが負けるということは、岩手県内すべての中学生が負けることになる。そういう重みを、覚悟を持っているのか。もう一回、自分の胸に聞いて考えろ」
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、12人の選手たちは涙を流しました。それは悔し涙でも悲しみの涙でもなく、自分たちが背負っているものの大きさと、注がれている愛情の深さに気づいた、魂の震える涙でした。その泣き声は、選抜チームが真の「チーム」として生まれた産声そのものでした。
あの日、日笠先生は「指導法」ではなく「生き様」を見せてくれたのです。 日本一の監督が、プライドを捨てて泥臭くボールを拾う姿。そして、私という人間がオガールという場所を作り、そこでバレーボールを指導することの「意味」を、選手たちに説いてくれたこと。私がやってきたこと、私の思考は、間違っていなかったのだと、最強の証人に肯定された瞬間でもありました。
そして昨日、2026年2月14日。 日笠先生が、渕江中学校の男子バレー部を率いて、再びこのオガールを訪れてくれました。
そこで待っていたのは、10年前のあの物語の続きでした。 オガールの体育館では、私たちが運営する「オガールバレーボールアカデミー」が行われており、そこでは未就学児たちが小さな手でボールを追っていました。その子供たちに笑顔でバレーボールを教えていた一人の女性コーチ。彼女こそ、あの2015年の選抜チームで涙を流していた選手の一人だったのです。
彼女は当時、とても引っ込み思案で、自分から前に出るようなタイプではありませんでした。しかし、バレーボールへの想いは人一倍強く、大学進学の進路で悩んでいた時には、私に電話をかけてきてくれたこともありました。私は私なりに、彼女の背中を押すようなアドバイスをしたことを覚えています。 その後、彼女は夢を叶え、今では学校の保健室の先生として子供たちの心と体に寄り添いながら、休日はこうしてオガールに来てくれて、未来のバレーボーラーたちを育てているのです。
日笠先生を10年ぶりに目にした彼女は、驚きと共に駆け寄り、10年越しの感謝を伝えたそうです。 「あの時の練習が、今の私を作っています」と。 後にアリーナに来た私は、日笠先生からその報告を受けた時、胸が熱くなるのを抑えられませんでした。
そして、帰宅してから、私は彼女に「ありがとう」とLINEを送りました。 すると、彼女からはこんな返信が届いたのです。
『日笠先生には岩手のためにと、ご指導だけでなくボール拾いまでしていただいたのが今でも印象に残っています。このたくさんのご縁は、全て岡崎さんのお陰です!本当にありがとうございます!』
このメッセージを読んだ時、すべてが報われた気がしました。 全力は、連鎖するのです。 あの日、日笠先生が全力でボールを拾ってくれた姿を、中学生だった彼女はしっかりと見ていました。 あの日、私がオガールという場所を作り、全力で彼女たちに向き合った熱量を、彼女はしっかりと受け取っていました。 そして今、彼女はその「全力」のバトンを受け継ぎ、次の世代の子供たちへと手渡しているのです。
あなたは今全力で生きていますか?
わたしは今全力で生きていますか?
元気にもなり、恥ずかしくもなる一日でした。
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