最近、読んだ本4,"五月の晴れた日に"
"五月の晴れた日に"(1965)
小松左京
表題作を入れて15篇の短篇が収められている短編集。小松氏の作品を読むのは、初めてではないけど、どの作品も読み始めて思うのは、’想像力の深さ'である。物語の中から読み取れる'発想のアイデア'みたいなものが、どこからあふれ出てくるのだろうかと、いつも思う。
この作品が発表されたのは、50年以上前で、その当時と比べるとコンピューターなどの情報技術分野の進歩は、驚異的である。
AIといった人工知能みたいなものが、仕事に応用される時代になると、生活自体が便利になる部分もあるが、一方で、ある分野においては、AI自体の'必要性'が問われている。
表題作の物語は、人間が作り出したアンドロイドが支配する時代に、数人のアンドロイドの仲間が集まり、パーティを開いているのだが、その途中で召使いのアンドロイドと人間たちが、暴動を起こし惨劇に見舞われるというもの。
パーティが始まる前に、アンドロイドの主人マリオンと召使いのアンドロイドのジョフリィがちょっとした口論になる。
「お前のそのかたくるしいやり方を見ていると息がつまるよ。僕みたいなデリケートなものには、我慢できないんだ」
「私はクビでございますか」
部屋の中のテーブルの上に花瓶と花瓶敷きを置く時に、いつも1mmも違わず同じ位置に置くのを見て、マリオンがジョフリィに言うのだが、そんなジョフリィの立ち振る舞いが気に入らない。マリオンは、言われた事を主人の言う通りに、きっちりこなそうとするジョフリィに'優雅さ'を求めようとする。ここで言っている'優雅さ'というのは、言い方を替えれば'人間らしさ'みたいなことになるのだろう。
雇用主と労働者の主従関係の間においては、少なからず確執が生じる。会社組織の中では、上司が部下に対して不満を持っており、部下も上司に対して何かしらの希望を持っている。それが'普通'であり、その'普通'の状態の中で、なんとかバランスを保っているのが日常だと思う。
・・・千二百体のアンドロイドが政府によって製造された。我々はそのシステムを中心に、あらゆる分野にわたって秩序を守るように命令されていた。
アンドロイドの方が、人間より個人的偏見や誤りを持たないということで、人間たちは、アンドロイドに支配される時代を自ら選んだ。そして、アンドロイドに支配された時代は、約5世紀にわたって続く事になるが、時は移り変わり、その制度ができた頃の'状態'では済まなくなっていた。

人間たちはいったいなぜ、ああもがつがつ働き、がつがつ進歩を求めるのか?なぜむやみに新しいものを作りたがるのか?我々には、わからない。
ラストシーンで、物語の語り手であるマリオンが、辺り一帯が炎で燃え尽くされる中つぶやく言葉だが、ふと私たちの現実の生活を振り返った時、響く言葉ではないだろうか。
