怒りを、関係のない相手に移さない
職場で理不尽なことを言われた日、家に帰ってから、家族の何気ない一言にきつく返してしまう。そんなことはないでしょうか。あとから思い返せば、その人は何もしていません。
腹が立った相手には言い返せず、言い返しても平気な相手に、その分が出ていきます。 二千五百年前の中国で、弟子の誰がすぐれているかを問われた孔子は、その一点を挙げました。
怒りを、関係のない相手に移さない。
——孔子『論語』雍也篇
「学を好む弟子は誰か」と問われて
孔子(こうし/紀元前五五一年ごろ〜前四七九年)は、中国・魯(ろ)の思想家です。弟子たちが書きとめた言行が、のちに『論語』にまとまりました。
冒頭の言葉が出てくるのは、魯の君主・哀公(あいこう)との問答です。哀公は「弟子のうち、誰が学問を好みますか」と尋ねました。 孔子は顔回(がんかい)という弟子の名を挙げます。孔子がもっとも高く買った弟子で、三十代で世を去った人です。
注目したいのは、その理由です。孔子は、顔回がよく本を読んだとも、物覚えがよかったとも言っていません。 挙げたのは、二つの振る舞いでした。
原文はこう書かれている
漢文の原文はこうです。
哀公問、弟子孰爲好學。孔子對曰、有顏回者好學、不遷怒、不貳過。
書き下すと、「哀公問う、弟子(ていし)孰(たれ)か学を好むと為す。孔子対(こた)えて曰く、顔回なる者あり、学を好む。怒りを遷(うつ)さず、過ちを貳(ふたた)びせず」となります。
遷は、場所を移すこと。貳は、二度繰り返すことです。直訳すれば、「怒りを移さず、過ちを二度しない」 となります。
後世、南宋の朱熹(しゅき)はこの箇所にこう注をつけました。怒於甲者、不移於乙。過於前者、不復於後。——甲に対して怒ったものを、乙に移さない。前にした過ちを、後で繰り返さない。
つまり「怒らない」ではありません。 怒りは起きる。起きた怒りを、それが起きた相手のところに置いておく。孔子が挙げたのは、そういう振る舞いでした。
怒りは、弱いほうへ流れていく
怒りが移る先には、順番があります。言い返してこない相手、事情を知らない相手、たまたますぐそばにいる相手。 上司には黙っていた分が、家族や後輩や店員に出ていきます。
移された側からは、それが移されたものだとはわかりません。 その人にとっては、自分に向けられた怒りとして届きます。だから謝っても、こちらが思うほど簡単には元に戻りません。
そして厄介なことに、移しても元の怒りは減りません。理不尽を言った相手には何も届かないまま、関係のない人との間だけが傷つきます。顔回がすぐれていたのは、怒りを感じなかったからではなく、その持ち出しをしなかったからだと思います。
孔子はこれを「学を好む」と呼びました。知識を増やすことではなく、自分の扱い方を身につけることが、学ぶということだったのでしょう。
今日の問い
今日、誰かにきつく当たったとして、その怒りは本当にその人が作ったものでしたか。
移さないために、時間を区切るのが役に立ちます。 腹が立ったら、その件を考える時間を五分だけ取る。五分たったら切り上げて、そこで終わりにする。次の場所へ入る前に、扉の外で一度立ち止まるだけでもかまいません。
区切らないと、怒りは自分で移動先を探します。五分を渡してやれば、怒りは、それが起きた場所に留まります。
言い返せなかったことは、今日はもう変えられません。持っていかないことなら、いま決められます。
※冒頭に引いた言葉は、『論語』雍也篇の一節「不遷怒」を現代語に置き換えたもので、逐語訳ではありません。漢文の原文と書き下し、直訳は本文中に示しました。「甲に怒りて乙に移さず」という言い換えは、南宋の朱熹『論語集注』の注からの引用です。
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