「私はHSPってほど繊細じゃないのかも?」と思っているあなたへ
「HSPってほど繊細ではないな」
って謙遜してしまうHSP未満な健気な人達。
いるだろうな〜と思ってこの記事を書きましたが、コメントやDM、引用までしてくださる方までいて驚いております。
もうね、本当に大好きなんですよ、HSP未満に反応してくださる方々の感性が。
なので、少しだけHSP未満について掘り下げます!
「やっぱ私繊細じゃないし、HSPってわけでもHSP未満ってわけでもなさそう」って思って帰ろうとしているそこのあなた!
最後まで見てくれないと傷ついちゃいますよ? 私が!
◼️名前があるって素晴らしい
ネット社会と言われるようになって数十年。
何か困ったことがあったら誰だってお手元のデジタルデバイスにお尋ねすると思うんですよ。
小学生でも老人でも。
そして、ポチポチしながら古今東西の叡智に触れて、
「ほぇ〜、なるほどぉ」
とか
「ほぉ〜、たしかになぁ」
って感じで、とりあえずは納得するんですよ。
お手元の叡智が本当に「正解」なのかどうかはあまり深く考えない。
違ったら違ったでまたポチポチするだけ。
それが現代社会を生きていく知恵なんだと思うんです。
そして、「HSP」という言葉が急速に世間に広がったのは、
「辛いなぁ。なんで私こんなに辛いんだろう?」
って思いながらポチポチした億千万の指先たちがいたからに他ならないわけです。
それは、出勤前の電車だったのかもしれない。
人付き合いに消耗した飲み会の帰りだったのかもしれない。
数分の時間すら貴重な子育ての合間だったのかもしれない。
抱えきれない思いを指先に込めて、「辛さ」の正体を探った先人たちがいたわけですよね、きっと。
そして「HSP」という言葉に触れたときに、
「これは私のことだ!」
というカタルシスを迎えて、未知なる辛さに名前をつけることができたんだと思うんです。
名前がつくって素晴らしい!
だって、「咳が長いこと続いてるなぁ。風邪長引いてるのかなぁ」て思って病院に行った時に、
「これ原因不明の奇病です。風邪でないことは間違いないですね」
って言われたら一気に不安になるし、孤独になりますよね?
名前がついていると、それだけで安心するし、その先の未来に前向きな眼差しを持てるものだと思うんですよ。
◼️健気なHSP未満の人たち
にも関わらず、HSP未満の人達には謎の謙遜が働いてしまうわけです。
「確かに私は辛いけど、HSPではない気がする。」
「私なんかがHSPを名乗ったら、本当に辛い人たちに失礼」
「確かに辛さはあるけど、日中スタバとか行けるし私は違うんじゃないかなぁ」
いったいどんな方向で謙遜し、何と競おうとしているのか。
名前があるという安心から自ら距離を置く。
さらにですね、
「HSPじゃない気がするなぁ」
↓
「じゃあ私はなんでこんなに辛いんだろう?」
↓
「でも、HSPってほどではないと思うんだよなぁ」
↓
「けど、他の人は私みたいに細かいこと考えたりしないよなぁ」
こんな感じで、「私の辛さとは何か?」と問い続けるわけです。
とても健気ですよね!
これは個人的な見解であり好みなんですが、私はネガティブな人が大好きです。
「ネガティブの中の健気さ」にこそ人間らしさが宿ると信じているからです。
正解に安住せず、悩み続け、「考えすぎ」と言われても止まらずに起動し続ける心。
なんて健気なんだ!!!
◼️謙遜と健気
私はHSP未満に反応する人は、
「辛さに謙遜するところ」
と
「健気に心を動かすところ」
があるように感じています。
そしてそれは、とてもとても生き方としてとても尊いと思うわけです。
というわけで、私はHSP未満という言葉に反応する人が大好きです。
けど、ほんの少し気休め程度でもいいから楽してほしいとも思っています。
なので、「HSP未満」という言葉で呼びかけてみました。
「HSP未満」のネガティブで健気な方々が本当に大好きなので「これこそ私かも?」って思った方はぜひコメントなりDMなりしていただきたいです。
あ、
「私は健気じゃないからHSP未満でもないな」
って思ったそこのあなた!
そんな風に考えてしまうことそのものが、もう健気です!
