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授業中刺さった教科書の名文②――『山椒魚』

「山椒魚、かわいいなあ」

初任校で、はじめてこの教材に出会ったときの正直な感想は、それでした。
深読みもしなければ、人生と結びつけてもいない。
ただ、形がどこか愛嬌があって、少し間の抜けた生き物だな、という印象。

授業は滞りなく終わり、テストも済み、
『山椒魚』は「教科書に載っている一作品」として、記憶の棚にしまわれました。

少なくとも、そのときは。


去年、ふいに戻ってきた一編

それから30年以上が経った、去年のことです。
初任校で担任した生徒が、手紙をくれました。

そこに、こんな一文がありました。

先生がすみっコぐらしのとかげ推しと聞いて、
昔、山椒魚を「かわいい」と言っていたのを思い出しました。
山椒魚に似ているので、納得しました。

深い意味は、たぶんなかったと思います。
とかげ推しなことと、
山椒魚をかわいいと言っていたことを、
そのまま重ねただけ。

それでも、不思議と引っかかりました。
理由はうまく説明できないけれど、
その一言で、記憶の中にあった『山椒魚』が、
少しだけこちらを向いた気がしたのです。


『山椒魚』は、どんな物語だったか

『山椒魚』は、作家 井伏鱒二 による短編小説です。

成長しすぎた山椒魚が、
自分で入った岩屋から出られなくなってしまう。

 山椒魚は悲しんだ。
 彼は彼のすみかである岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。

井伏鱒二『山椒魚』東京書籍 新編現代文B 本文

あれこれ頑張って出ようとするが全く出られない。

 山椒魚は再び試みた。それは再び徒労に終わった。なんとしても彼の頭は穴につかえたのである。
 彼の目から涙が流れた。

井伏鱒二『山椒魚』東京書籍 新編現代文B 本文

そこへやって来たカエルを、
山椒魚は自分の不安や苛立ちから、
外へ出られないようにしてしまう。

 山椒魚は相手の動物を、自分と同じ状態に置くことのできるのが痛快であったのだ。
 「一生涯ここに閉じ込めてやる!」

井伏鱒二『山椒魚』東京書籍 新編現代文B  本文

長い時間が流れ、
最後にカエルは、山椒魚を恨むことをやめる。

 「おまえは今、どういうことを考えているようなのだろうか?」
相手は極めて遠慮がちに答えた。
 「今でもべつにおまえのことを怒ってはいないんだ。」

井伏鱒二『山椒魚』東京書籍 新編現代文B 本文

それが、この物語の結末です。


なぜ、カエルは山椒魚を許したのか

若い頃は、正直よく分かりませんでした。

  • 山椒魚は意地悪

  • カエルは被害者

  • なのに、なぜ許すのか

指導書には確かこうありました。
「カエルは長い間閉じ込められることで、山椒魚の気持ちが理解できたから。」

でも今読むと、この「許し」は、
救いでも、和解でもないように思えてきます。

  • 山椒魚は、最後まで岩屋から出られない

  • カエルは、許したけれど、何かを取り戻したわけではない

誰も完全には救われていない。

その静かな後味の悪さこそが、
この作品の核心なのだと思います。


時間が経つにつれて、思い出される場面

生徒から手紙をもらう前の30年間の間も、
実は何度もこの物語を思い出す場面に出会っていました。

● 自分が「山椒魚側」だと気づく瞬間

  • プライドが邪魔して謝れない

  • 不安から、誰かの自由を奪ってしまう

  • 「自分のほうが不幸だ」と思い込んでいる

そんなとき、ふと浮かぶのです。

ああ、今の私、山椒魚だな。

● 自分が「カエル側」になっている瞬間

  • 理不尽だけど、もう争う元気がない

  • 言い返せたはずなのに、飲み込んだ

  • 「許したほうが楽」と思ってしまった

そのときも、同じように。

ああ、今の私はカエルだ。


今の教室で、久しぶりに扱ってみたら

ちなみに、今の学校で、
久しぶりに『山椒魚』を扱いました。

すると――めっちゃ刺さったのです。

昔のように、
「かわいいね」で終わらない。

山椒魚の言動に、
教室の空気が少し重くなったり、
カエルの沈黙に、
生徒が言葉を探して黙り込んだり。

この作品は、
教える側の年齢や立場を、正確に映してくる
そんな感触がありました。


教科書なのに、答えをくれない

『山椒魚』は、

  • 正しい読み

  • 立派な教訓

  • 前向きな結論

そういうものを、最初から用意していません。

そのかわり、
生きている途中で、自分のふるまいに引っかかる瞬間に、
勝手に思い出される物語
です。

読んで理解する作品というより、
自分の状態に名前をつけるための物語

だからこれは、
「分かる作品」ではなく、
あとから刺さる作品なのだと思います。

初任校のころの、あの淡々とした授業をした生徒たちにも
あとから刺さっているといいな、と願います。
本当にごめんなさい。


おわりに

初任校では、
「山椒魚かわいい」で終わっていた一編が、
30年以上経って、授業の外でも、
そして今の教室でも、刺さってきました。

こちらが変わってしまえば、
作品は、勝手に現実と結びついてしまう

ああ、これは山椒魚だ。
ああ、これはカエルだ。

そうやって何度も思い出されるようになったとき、
『山椒魚』はもう、
ただ理解するための教科書作品ではなく、
人生のどこかに居座る物語になっているのだと思います。

ちなみに井伏鱒二の『山椒魚』は
まだ著作権が切れていないらしく、
青空文庫にはありませんでした。


参照元リンク一覧

※1 井伏鱒二『山椒魚』作品解説(Wikipedia)



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