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女性の私も、男性優位社会に慣れすぎていた。『マチズモを削り取れ』を読んで

私はもともと、この社会は男性優位だと思っています。だから『マチズモを削り取れ』を読み始めたときも、
「まあ、だいたい知っている話かな」
くらいに思っていました。

女性が仕事で不利になること。
痴漢や夜道の怖さ。
妊娠や出産によってキャリアが中断されること。

知らない話ではありません。

でも読み進めるうちに、少し居心地が悪くなりました。

知っていたはずなのに、それを「そういうもの」として受け入れていたことが思った以上に多かったからです。


夜にアイスを買いに行くだけなのに


たとえば、
夜に突然アイスが食べたくなったとします。
男性なら、財布とスマホを持ってコンビニへ行く。

でも女性の場合、
「今から一人で行くのはどうかな」
という判断が一枚挟まることがあります。

夜道では後ろを気にする。
イヤホンを外す。
知らない男性が近くにいれば少し警戒する。

私も、「気をつけるのが普通」だと思っていました。
でも考えてみれば、おかしな話です。
アイスを買いに行く自由に、前提として差がある。

私はこれまで、それを「危ないから気をつける」という生活上の知恵として理解していました。でも本当に問うべきなのは、
「なぜ気をつけなければならないのか」のほうなのだと思います。

本書でも、夜道の恐怖や痴漢被害など、公共空間にある男性優位の構造が扱われています。※1

不自由が長く続くと、不自由ではなく「前提」に見えてくる。この感覚は、読んでいて何度も突きつけられました。


「男だってつらい」で、話が止まる


もう一つ印象に残ったのが、
「男性だってつらい」という言葉です。

もちろん、男性にも生きづらさはあります。

「男なら稼げ」
「弱音を吐くな」
「男らしくしろ」

そうした圧力は確かにある。

でも、女性の不平等について話しているときに、
「男だって大変なんだ」
と返すと、そこで話が止まってしまうことがあります。

女性の問題も、男性の問題も解決しないまま、
「みんな大変だから仕方ない」
だけが残る。

本来なら、
「どちらも苦しいなら、その構造自体を変えよう」と考えればいいはずです。

「男だってつらい」が、誰かの問題を打ち消すためではなく、社会そのものを見直すための言葉になればいい。
そう感じました。


一番刺さったのは、「体育会」の話だった


この本の中で、私が一番心に残ったのは「体育会という抑圧」について書かれた部分です。

たぶん、私自身がスポーツを観ることが好きだからだと思います。

努力する姿。
苦しいところで踏ん張る姿。
仲間のために頑張る姿。

そういう場面に、私は何度も感動してきました。

だからこそ、体育会的な価値観を全部「悪いもの」として見てきたわけではありません。
むしろ、
「スポーツって、ある程度は厳しいものだよね」
と、うっすら受け入れていた部分があります。

それだけに、この章は迫るものがありました。男女の問題というより強い側と弱い側の問題として捉えてください。


「あの怪我があったから」で終わらない


特に残ったのが、怪我についての考え方です。
スポーツでは、
「あの怪我があったから強くなれた」
「あの挫折が成長につながった」という物語がよくあります。

私も、そういう話に何度も心を動かされてきました。

でも本書を読んで、
「怪我が結果的にプラスになった」で終わるのではなく、そもそも怪我をしないためにはどうすればよかったのかを考える。
それこそがものすごく大事だと思いました。

怪我を乗り越えた人の経験を否定する必要はありません。
でも、
その経験から何かを得たことと、その苦しみが必要だったことは別です。

怪我をしなくても強くなれたほうがいい。
理不尽に耐えなくても成長できたほうがいい。
暴言を浴びなくても上達できたほうがいい。

言われてみれば当たり前なのに、スポーツの世界に入ると、その当たり前が少し見えにくくなります。


「ビシッとしている」を、私は爽やかだと思っていた


もう一つ刺さったのが、部活動の「軍隊的」な側面についての指摘です。
全国大会に出るような強豪チームを見ると、

整列している。
大きな声で挨拶する。
監督の話を姿勢よく聞く。
行動が統率されている。

そんな姿を見て、

「礼儀正しい」
「爽やかだ」
「さすが強豪校」
と思う人は多いと思います。

私もそうでした。
むしろ、そういう姿を「模範的」だと感じていました。

だからこそ、
そこから脱却しなければならない
という本書の指摘が刺さりました。

もちろん、挨拶や礼儀が悪いわけではありません。
問題は、
私たちは何を見て「立派」「爽やか」と感じているのか
ということなのだと思います。

指導者に従う。
全員が同じように動く。
先輩を立てる。
弱音を吐かない。
苦しくてもやり抜く。

それらを無条件に「スポーツマンらしさ」として評価すると、その裏側にある権力関係や理不尽さまで見えにくくなる。

ここはかなりドキッとしました。


スポーツが好きだからこそ、分けて考えたい


私はこれからもスポーツを見ると思います。
努力する選手を見れば感動するし、苦しい場面で踏ん張る姿にも心を動かされるでしょう。

だからこそ、全部を否定するのではなく、混ざっているものを分けて考えたいと思いました。

努力することと、理不尽に耐えること。
規律を持つことと、服従すること。
厳しく練習することと、怪我をするまで追い込むこと。
似ているようで、同じではありません。

「スポーツが好きだからこそ、その中にある理不尽までセットで肯定する必要はない」そう考えたのです。

「あの怪我があったから今がある」ではなく、
「どうすれば、あの怪我をしないで済んだのか」。

「ビシッとしていて爽やかだ」で終わらず、
「私はなぜ、この姿を模範的だと感じるんだろう」。

そう考えるようになるだけでも、スポーツを見る目が少し変わるのではないかと思うのです。


「仕方ない」を疑う


この本を読んで一番残ったのは、「仕方ない」という感覚でした。

夜道は危ないから仕方ない。
出産があるから仕方ない。
体育会系は厳しいから仕方ない。
昔からそうだから仕方ない。

一つひとつには、それらしい理由があります。
でも、
「仕方ない」が積み重なると、それが社会の形になっていく。

私は男性優位社会を問題だと思っていました。
それでも、その社会の中にある不合理のいくつかを、
「現実ってそういうものだよね」
と受け入れていたのです。

スポーツについても同じでした。
暴力には反対する。
でも、厳しさに耐える選手を「立派」と思う。
上下関係は苦手なのに、統率された強豪校を見て「爽やか」と思う。
その矛盾は、自分の中に普通にありました。

だから『マチズモを削り取れ』というタイトルが、読後にはとてもよくわかります。

一気になくすことはできない。
気づいたら削る。
また気づいたら削る。

その繰り返しなのだと思います。

この本は、「男性優位社会は問題だ」と教えてくれた本ではありません。
むしろ、
それを問題だと知っているつもりの自分自身が、どれだけその社会に慣れていたかを気づかせてくれた本でした。

だからこれからも、ときどき自分に問い直したいと思います。
「それは本当に仕方ないことなのか」
その問いを持ち続けることが、私にできる「削り取り」なのだと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました😊


参照元リンク一覧

※1 集英社『マチズモを削り取れ』書籍情報

※2 集英社 文芸ステーション『マチズモを削り取れ』

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