「そっか、あの時も」第3話 英会話講師2回目(前編)
2004年。
私は、テレビ局を退社。
再び英会話講師として働いていた。
2000年代の英語。
ファッションや趣味ではなくなっていた。
1990年代の終わりから2000年代の初めにかけて、
昇進条件などにTOEICの点数を採用する企業が増えた。
大企業の動きが、英語学習を大きく変えていった。
使用テキストや授業の進め方、
時代が変わっても、あまり変わらなかった。
でも。
教室の前から見る景色、
知っている景色ではなくなっていた。
大学生、ではなく、社会人。
私服の女性、ではなく、スーツの男性。
年齢層が上がり、
男性生徒の比率が高かった。
笑顔を振りまく講師。
英語が話せてかっこいい講師。
生徒たちの興味はそこではなかった。
結果を出してくれる講師。
点数を上げることができる授業。
英会話の授業なのに、
文法をもっと説明して欲しいという要望が増えた。
ただ、最初はきっと、
文法を教える力はなかった。
高校時代の留学。
大学生時代の英会話講師。
以前、必要なのは、細かい知識ではなく、
話すというスキルだけだった。
五文型、
知っているが、必要性を説明できない。
関係代名詞、
違いはわかるが、会話ではそれほど使わない。
TOEIC、自分で点数は取れても、
人に教えられるほど試験を知らない。
私は時代の波に乗ることを決意し、
何年振りに勉強を始めた。
そして、1年後、英会話専門ではなく、
文法や試験対策を教える講師に転向した。
知識を得るだけではなく、
文法専門の先生から、指導法の研修を受けた。
2か月に1回はTOEICを受け、
TOEICの試験監督も経験し、テストを知った。
英文法。
TOEIC。
資格試験対策。
担当するクラスは増えていく。
やがて、既存の授業を担当するだけではなく、
自分でカリキュラムを組み、専用テキストも自作した。
『TOEIC2か月集中クラス』
毎回満席。
半年先までキャンセル待ちになることもあった。
自分だけができる授業。
自分だけのカリキュラム。
自分だけができる特別セミナー。
この頃。
また、調子に乗り始めた。
大手英会話スクールは、個人塾ではなく、
いわばチェーン店。
どの学校でも、どの先生でも。
同じ授業、同じクオリティ。
ガストはガスト、ローソンはローソン。
同じ味、同じ商品。
そこに、一人だけ勝手に動く講師がいた。
本部からは指導が入る。
本部が指示するテキストを使わない。
本部の指示に従わない。
勝手に授業を作る。
それでも、生徒が集まる。
そして、売上も上がる。
誰も強く止められなかった。
講師の世界も営業の世界も、
数字を作る人間は強い。
生徒には慕われる。
点数が上がったと感謝される。
でも、それは教室の中だけ。
オフィスに戻ると、誰も私に近づかない。
教室の中と外、全く別の世界だった。
教室から一歩外に出る。
孤独が襲ってくる。
もう辞めよう。
そう思っていた頃だった。
「講師育成のトレーナーをやらないか?」
本部から、そう打診された。
講師育成トレーナー。
決められた授業。
決められた水準。
それが普通にできる講師を、育てる仕事。
本部の指示に従う講師。
普通の講師。
普通であることに満足している人たち。
そう見えていた。
でも。
その頃の私には。
もう、そこへ進むしか道がなかった。
