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映画「ハンナとその姉妹」   そうだ、映画があるじゃないか

若い頃に観た映画を、歳を重ねてからもう一度観ると、まるで違う映画に見えることがある。

ウディ・アレン監督の『ハンナとその姉妹』も、そんな一本だ。公開は1986年。

ニューヨークを舞台に、ハンナと二人の妹たち、その夫や恋人たちの人生が交差する。恋愛があり、結婚があり、嫉妬があり、裏切りがあり、そして和解がある。

ごくありふれた人間ドラマのようだが、この映画の中心にあるのは、人間関係よりもむしろ

「人生に意味はあるのか」

という問いだ。

映画の中で、ウディ・アレン自身が演じる
ミッキーという男がいる。

彼はある日、自分が重い病気かもしれないと思い込み、死の恐怖に取りつかれる。

人生に意味はあるのか。

神は存在するのか。

人は何のために生きるのか。

宗教にも哲学にも答えを求める。

しかし、決定的な答えは見つからない。

やがて誤診だったことが分かり、
死の恐怖から解放される。

ところが今度は、もっと根本的な問題が残る。

「では、生きる意味とは何なのだろう?」

そんなある日、彼は映画館へ入る。

上映されていたのは、マルクス兄弟の喜劇だった。

観客は笑っている。

自分も笑っている。

そのとき彼は、ふと気づく。

人生の意味など、最後まで分からないかもしれない。

人生は恐ろしく、悲惨で、そしてあまりにも短い。

それでも、家族がいて、恋人がいて、音楽があって、

映画がある。

そうだ、映画があるじゃないか。

私はこの場面を思い出すたびに、ヴィクトール・フランクルの言葉を思い出す。

「人生の意味を問うてはいけない。人生があなたに何を期待しているのかを問いなさい」

私たちはつい、「人生の意味は何だろう」

「自分は何のために生きているのだろう」

と考える。

しかしフランクルは、問いの向きを反転させた。

人生が自分に何を与えてくれるかではなく、
人生が今、自分に何を求めているのか。
そのように考えよ、と。

問いの向きを反転させるのである。

その瞬間、「呼吸も反転」する。

これまでは人生から何かを受け取ろうとしていた。

意味を。幸福を。成功を。承認を。

息を吸い込むように。

しかし問いが反転すると、自分が人生に何を差し出せるのかを考え始める。

息を吐くように。

すると、不思議と肩の力が抜ける。

人生の意味を解かなければならないわけではない。

今、自分にできることをすればいい。

目の前の人の話を聞くことかもしれない。

旅先の街角でコーヒーを飲むことかもしれない。

一本の映画に心を動かされることかもしれない。

若い頃は、人生には大きな意味が必要だと思っていた。

成功しなければならない。

何者かにならなければならない。

世界を変えなければならない。

そんなふうに考えていた。

しかし人生の後半になると、少し景色が変わる。

世界を変えることはできなくても、

誰かと食事をすることはできる。

歴史を動かすことはできなくても、

旅先の喫茶店で静かな時間を過ごすことはできる。

永遠の真理には届かなくても、

一本の映画に救われることはできる。

人生の意味は、結局のところ分からない。

しかし、家族がいて、友人がいて、音楽があって、映画がある。

そうだ。

映画があるじゃないか。

そして、それで十分なのかもしれない。

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