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2026年5月1日 夕方 教授の死をおもふ。

先ほど、大学の恩師から連絡あり。
「T先生が昨日逝去されました。享年65歳。」

T先生は在学中の経営学部の学部長で、必修科目『経営学Ⅰ』の担当教授だった。
1年生の4月、自分がまだピチピチの大学1年生(ガキ)の頃に
経営学の基礎について、T先生から教わった。

という記憶はほとんどなく、T先生はいきなり
「今から携帯をしまって世界地図を書け!」と指示してきて、
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である。大学の授業とは一体。

ちなみに教科書も買わされず、ただただT先生の話を聞くだけの1時間半。
当然居眠りもしたし、内職もした。

多分この授業ではSWOT分析だけ学んだ。
ただこれもフレームワークなだけなので、実際今のところ何の役にも立っていない。

T先生は多治見出身、多治見在住で、いつも多治見から大学まで中央線で通っていた。
多分朝はものすごく早いし、学部長だったのでいつも夜遅くまで研究室で、仕事なのか研究なのか分からないが、作業をしていた。

入り口から書類の山で、T先生がいるかどうかは、電気が付いているかどうかで判断していた。
多分2メートルくらいの書籍と必要のない書類のタワーが10個くらいは部屋にあった。
そんな部屋はいつもコーヒーの匂いと古いインクと埃の匂いで充満していた。

という記憶はおそらく7~8年くらい前で、今あの研究室がどうなっているのかは皆目検討もつかない。

自分は大学を卒業してからも何度か大学には顔を出していた。
3~4年生と研究生の5年生にかけて、大変お世話になっていたF先生(恩師)に近況報告をしに行ったり、他にも在学中からずっと居る先生や職員はたくさんいたので、人生相談をしたり、ただ飯と酒を飲みに行ったり、親交は何となく続いている(これは今もなお)。

T先生の部屋はF先生の隣にあって、一緒にご飯に行くことはそうそうなかったが、いつも居るなぁと思っていた。
たまに話もしたりしていた。世間話程度だが。

ちょうど1年くらい前に、大学に遊びに行った時、F先生から
「T先生が急性骨髄性白血病になった。」と聞く。
白血病。簡単にいうと血液の癌である。

少しずつ大学に来れなくなり、入院生活が始まり、気がついたら担当授業や学内の仕事も他の先生たちにスライドされていた。

癌という病気はいいことも悪いこともあり、
闘病しながらも長生きして、仕事ができるくらいには復活する人もいる。
反対に、色んなところに転移しまくって、数ヶ月で命を落とす人もいる。
こればかりは誰も予測はできないし、どれだけ治療に金をかけても変わらない結果になることもある(ただ、医療関係者ではないので詳しい話は割愛)。

実際、自分の母も癌とは10年くらい闘病しながら生きていたなぁと懐古。

と、T先生のことは頭の片隅には置いていながらも、まさかそんなに早くその時が来るとは思ってもいなかった。

人は会わなくなると、忘れていく生き物である。
その人の顔、背丈、口癖、匂い、好きな食べ物、嫌いなこと、趣味、、、

死んだら急に蘇るそれ(記憶)は、人間の脳みそを疑うほど憎たらしい。
何ヶ月も、何年も記憶から消えているそれらの記憶は、死ぬと急に蘇るのか?自分だけなのか?よく分からない。

T先生との思い出らしい思い出は特にない。本当にただの大学の教授と学生という関係値の中でしかなかった。
(まあ他の学生よりは色んな話をしたな、とは思っているが。)

一度だけ、大学からの帰路が途中まで一緒で、東山線に乗ったなぁ。とか。

でもその一度だけ。その一度だけの記憶が今鮮明に映し出されている。8年ぶりくらいに呼び起こされるその記憶。呼び起こされたそれを想い、自分は何を思うのか。

どうせ人は死ぬし、誰も助けてはくれないし、どうせ裏切られるし、忘れられるし、どうせ孤独のままである。

昨日、また明日、って別れた友達と、そのまま一生会わないかもしれないし、さっきまで愛していた人が今は他の人を愛しているかもしれないし、自分をここまで育ててくれた親が、こんな子になるなら産まなければ良かったと、後悔しているかもしれない。
そんな事実をもし知ってしまったら、私の感情は余裕で自死するだろう。

だから何にも期待しない方がいい。どうせ人は幸せになんかなれない。
戦争は無くならないし、地球温暖化は止まらないし、今も生まれた瞬間に死を迎える赤ん坊がいる。



決して人生を悲観的に捉えているわけではない。人間に生まれた理由がないように、大体の事象には意味はなく、理由もない。必要がない。

残念ながら人間には感情というものが備え付けられていて、日々それらに無駄に悩まされながら生きている。生きている理由もないのに。

すべて完全に自分の哲学なのでなんかキモいし、反対意見はいつでも受け付けるが、人間は幸せにはなれないと思っている。
理想なんて描いたって大体上手くいかないのだから。

現れた結果に対して正当化して受け入れているだけである。
それができるのが人間だから。そして、それでいいと思っている。

幸せと楽しいは全く違うと思っていて、自分は毎日楽しく生きたいと思う。
自分が今幸せかどうかは分からないが、楽しい、とは自信を持って言える。

それでいいのかなとも思う。期待しない、とは、弱い人間を守ってくれる言葉なのだ。
自分にとって、期待しない、は、自分を守るための盾なのだ。


何もかも理想とかけ離れていた / 樋口恭介


本当にその通りだなと思う。
現実、何もかも理想とは程遠い関係ばかりなのである。摂理か。

本や哲学に救われることが多い。それは自分が弱いからで、それを自覚しているからだ。
本を読むと落ち着くのはそういうことなのかもしれない。

きっと人間は全員が弱く、いつでもぱたっと死んでしまうが、それに気付かない、という選択を取っている人間は、自分よりは逞しいな、と思う。
だって誰しも自分が雑魚だって認めたくないから。
かっこよく見られたいし、美しく見られたいし、スマートでありたいのは自明だ。
人間の生殖機能としての本能の部分だから。


ちょっと趣旨とずれ始めてきたので中途半端に終わるとして。
日々自分の脳内はこんな感じで対話をしていることが多い。
よく「怒ってる?機嫌悪い?」と言われるが、全くそんなことはなくて、こんなことを考えているからです。
つまりは上の空です。すみません。ここで謝っておきます。

T先生の話に全く戻れなくなってしまった。
彼の訃報を聞いて、急に脳が活発になってしまったので書き留めることにした、という経緯でした。

T先生の授業で学んだことはSWOT分析(フレームワークのみ)しかなかったけど、あなたのおかげで、埃と書籍とコーヒーの混ざった匂いが自分は好きなんだなと知ることができました。

ご冥福をお祈りいたします。
この文字と言葉たちが、どこかにいるT先生にも届きますように。

期待はしないけど。








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