『画布に柘榴』知りたが向け深掘り解説
この作品は「絵を描いている人の話」だけではなく、「自分らしさって何?」「正解から外れるってどういうこと?」という話として読むと、かなり深く見えてきます。
1.まず、この小説の表面で起きていること
主人公の「僕」は、絵を描いています。
最初に描いていたのは、
いちじく
微笑む女性
です。
ところが、途中でそれが、
いちじく → 柘榴
微笑む女性 → 眠る黒猫
に変わってしまいます。
つまり主人公は、最初に決めた計画どおりに絵を完成させていません。
本人も、
「これじゃ、無意味ですよね」
と言っています。
「自分は何をしているんだろう?」
という迷いがあるわけです。
2.でも、これは「絵がうまく描けない話」ではない
ここが重要です。
主人公が困っているのは、
「技術がないから描けない」
という問題ではありません。
むしろ、
「自分が本当に描きたいものが分からない」
という問題です。
これは中学生にも身近な問題です。
例えば、
「将来何になりたい?」
と聞かれて、
「分からない」
と答えることがあります。
あるいは、
「部活、これをやりたい!」
と思って始めたのに、
「なんか違うな」
と思うこともある。
主人公の絵も同じです。
最初は「これを描く」と決めた。
でも、やっているうちに心が変わる。
そこで主人公は、
「途中で変えてしまった自分はダメなんじゃないか?」
と考えています。
3.「逸脱」という言葉が、この作品のキーワード
主人公は、
「逸脱どころか完全無視じゃないですか。」
と言っています。
「逸脱」は、
決められた道から外れること
です。
例えば、
「この問題はこの方法で解きなさい」
と言われているのに、別の方法で解く。
「この絵をこう完成させなさい」
と言われているのに、全然違う絵にしてしまう。
「普通ならこうする」
というものから外れることです。
主人公はそれを怖がっています。
なぜなら、
「正解から外れたら、失敗になる」
と思っているからです。
4.そこで先輩の「枠」が出てくる
先輩はこう言います。
「枠がなければ、はみ出せない。」
この一言はかなり重要です。
例えば、紙があります。
紙には端があります。
だから、
「紙からはみ出した」
と言えます。
もし世界に「端」というものが存在しなければ、
「はみ出す」
という言葉そのものが成立しません。
つまり先輩は、
「ルールがあるから、ルールを超えることに意味が生まれる」
と言っているのです。
5.「普通」があるから「個性」が生まれる
これをもっと広げると、
「普通」と「個性」の関係
になります。
例えば、みんなが同じ制服を着ているとします。
そこから、
「靴下だけ違うものにする」
「髪型を変える」
「持ち物を工夫する」
などが出てくる。
「普通」があるから、
「自分はここを変えたい」
という気持ちが生まれます。
だから、
個性とは、何もないところから突然生まれるものではなく、既にあるものとの違いとして現れることがある。
これが先輩の言っていることです。
6.「枠」は悪いものではない
ここも大切です。
この作品は、
「ルールなんて全部無視すればいい」
と言っているわけではありません。
むしろ逆です。
枠があるからこそ、枠を超えることに意味がある。
例えばスポーツなら、
サッカーにはルールがあります。
だからこそ、
「普通ならここにパスするところを、あえて逆方向に出す」
というプレーが面白くなります。
完全に何でもありだったら、
「ルールを破った!」
という驚きもありません。
芸術も同じです。
7.主人公は「枠の中」と「枠の外」の間にいる
主人公は、
ちゃんとした絵を描きたい。
でも同時に、
自分の描きたい絵も描きたい。
この2つの気持ちの間で揺れています。
だから、
「決意が揺らぐんですよ。これでいい、このまま進もう、なんて決めるのに。」
と言う。
一度、
「これで行こう!」
と決める。
ところが、また迷う。
そして変更する。
また迷う。
これは絵だけの話ではありません。
人間が何かを選ぶときには、よくあることです。
8.「笑う」のに苦しい主人公
この部分もかなり重要です。
主人公は、
「無感情の時ほど声はよく笑う。」
と言っています。
つまり、
本当は苦しいのに、笑ってしまう。
ということです。
これは主人公の「仮面」のようなものです。
顔では笑っている。
声も笑っている。
でも心の中では、
「どうしよう」
「これでいいのかな」
と悩んでいる。
だから、
キャンバスに描いているものと、主人公自身の内面が似ている
とも考えられます。
9.「いちじく→柘榴」は主人公自身の変化
ここでタイトルに戻ります。
最初は「いちじく」だった。
それが「柘榴」になった。
なぜ柘榴なのか?
作品では明確な答えはありません。
だから断定はできません。
でも、柘榴には面白い特徴があります。
外側から見ると、一つの果物です。
ところが割ると、中にはたくさんの赤い粒があります。
つまり、
一見すると一つに見えるものの中に、たくさんのものが詰まっている。
これは主人公にも重ねられます。
外側では笑っている。
しかし内側には、
不安
迷い
恥ずかしさ
自分らしく描きたい気持ち
誰かに認めてほしい気持ち
など、いろいろな感情が詰まっている。
そう考えると「柘榴」は、かなり主人公らしい題材です。
10.では「黒猫」は?
女性が黒猫に変わっているのも面白いところです。
「微笑む女性」は、人間です。
しかも「微笑む」ということは、誰かに向けた表情でもあります。
一方、
眠っている黒猫
は、人間の期待に合わせて笑ったりしません。
眠っているだけです。
だから、
「人に見せるための表情」
から、
「自分のままでいる存在」
へ変わったとも読めます。
もちろん作者がそう意図したとは断定できません。
しかし、作品全体のテーマを考えると、こういう読み方ができます。
11.「窓」は現実と絵の世界をつなぐ場所
この作品では「窓」が非常に重要です。
最初は、
閉じられた窓
です。
窓の向こうには白い研究棟の壁があります。
つまり主人公は、
閉じた空間の中にいる。
ところが最後になると、
窓が開いている。
そして風が入ってくる。
これは物理的な出来事であると同時に、
主人公の心が少し開いた
ことを表している可能性があります。
12.「白い壁」と「亀裂」も意味深い
窓の外には、
のっぺりとした白塗りの研究棟の壁
があります。
「白」は何も描かれていない状態とも考えられます。
そして、その白い壁には、
亀裂
があります。
これも面白い。
真っ白で、きれいで、何も問題がなさそうな壁。
でもよく見ると、ヒビが入っている。
これを主人公と重ねると、
外から見ると普通に見える人の心にも、細かな亀裂がある
という読み方ができます。
主人公自身も、笑って普通に振る舞っています。
でも内側では揺れています。
13.「何の変哲もない風景」というタイトルが逆説的
先輩が貼ったキャプションは、
「なんの変哲もない風景」
です。
でも本当に「何の変哲もない」のでしょうか。
白い壁がある。
亀裂がある。
午後の日差しがある。
窓がある。
そして、その窓が最後には開く。
よく考えると、いろいろなことが起きています。
つまり、
「普通に見えるものを、どこまで注意深く見られるか」
というテーマも含まれているように思えます。
14.実は「見る」という行為が何度も出てくる
この作品では、
視線
が何度も登場します。
主人公は先輩の視線を気にします。
先輩は主人公を見ています。
主人公は先輩が自分を見ていないことを確認します。
そしてまた視線を感じて、顔を作ります。
つまり主人公は、
「自分がどう見られているか」
をものすごく気にしています。
ここは思春期の感覚ともつながります。
「周りからどう見られているんだろう?」
「変に思われていないかな?」
「失敗したと思われないかな?」
という気持ちです。
15.だから、この小説には「他人の目」というテーマもある
主人公は絵を描いています。
しかし、本当に気にしているのは絵だけではありません。
「この絵を見た人は、僕をどう思うだろう?」
ということも気にしている。
だから先輩の視線を感じると、
表情を作り直した。
となります。
ここが重要です。
主人公は、
絵だけでなく、自分自身まで「人に見せるための形」にしようとしている。
でも、それが苦しい。
16.そして先輩は「評価する人」ではない
普通なら先輩は、
「これはダメ」
「もっとこうしろ」
と言いそうです。
ところが、
「いいんじゃない?」
と言う。
これは主人公にとって大きな意味があります。
先輩は、
「正解を教える人」ではなく、「自分で進むことを許してくれる人」
として存在しているように見えます。
だから先輩は、
主人公の人生を決めてくれる人ではありません。
ただ、
「その方向に行ってもいいんじゃない?」
と背中を押している。
17.最後の「とりあえずは」がすごくいい
最後に主人公は、
「うん、とりあえずは。」
と答えます。
「完成したよ」
ではありません。
「全部分かったよ」
でもない。
「とりあえず、ここまでやった」
です。
実はこれが、この小説の答えなのかもしれません。
人生も創作も、
「これが正解!」
と完全に分かってから進むものではありません。
分からないまま進む。
途中で変える。
また迷う。
それでも続ける。
主人公は、その状態にいます。
18.タイトル『画布に柘榴』を深く読む
「画布」はキャンバス。
「柘榴」は主人公が描いたもの。
つまり、
「キャンバスの上に、予定にはなかったものが現れた」
というタイトルです。
でも、それは絵だけではありません。
主人公自身も、
「予定していた自分」から少しずつ変わっている。
最初に、
「こういう人間になろう」
と思っていたとしても、
生きているうちに違う自分が出てくる。
それは失敗ではなく、
自分の中に最初からあったものが、後から見えてきた
とも考えられます。
19.この作品を「成長物語」として読むなら
主人公は、
①正解を求める
↓
②自分の絵が予定から外れてしまう
↓
③「これでいいのか」と不安になる
↓
④先輩から「枠があるから逸脱できる」と言われる
↓
⑤自分の外れ方を少し認められる
↓
⑥窓が開く
という流れになっています。
大事件が起きるわけではありません。
主人公が突然、
「俺は自由だ!」
と叫ぶわけでもない。
それでも最後には、最初よりほんの少しだけ、
「自分のままで進んでもいいのかもしれない」
という場所に立っています。
20.この小説の本当の面白さ
この作品は、
「意味が分からない」こと自体が面白い作品
だと思います。
なぜなら主人公自身が、
「自分の絵には意味があるのか?」
と悩んでいるからです。
そして作者も最後に、
「が、何なのかわからない。」
と書いています。
つまり、
主人公が作品を作ることに迷っている。
そして、
作者も作品を作ることに迷っている。
さらに、
読者も作品の意味を探して迷う。
三者が同じ場所に立っています。
これはかなり面白い構造です。
最後に、この作品を一文で言うなら
僕ならこうまとめます。
「正解どおりの絵を描こうとしていた少年が、予定から外れてしまった自分の絵を通して、『外れることも自分らしさなのかもしれない』と少しずつ気づいていく物語。」
そして、先輩の
「枠がなければ、はみ出せない。」
という言葉が、この小説の核心です。
「ちゃんとしなきゃ」と思っているときほど、少し外れてしまった自分を、すぐに失敗扱いしなくてもいい。
この作品は、そんなことを「説明」するのではなく、絵が変わっていく過程そのもので見せている。
そこが、この短編の一番面白いところだと思います。
