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「みんなと違う」は間違いじゃない

「人は変わるから、同じ方法では通用しなくなる」

先日、ウィンビットさんの発信に触れて、この言葉の重みを
改めて噛み締めました。

ビジネスの現場でも、人間関係でも、昨日うまくいった方法が
今日も通用するとは限りません。
なぜなら、相手も、そして取り巻く環境も常に変化しているからです。

しかし、私たちは昔から、「変化する個」よりも「変わらない集団」
として人を扱うことに慣らされすぎていないでしょうか。
今日は、私の信条と、ある「違和感」について書いてみたいと思います。


「たまたま同じ」だけの集団教育への違和感

私は以前から、日本の義務教育における「クラス」というシステムに、
ある種の構造的な違和感を抱いてきました。

学校のクラスとは、極論を言えば
「たまたま同じ年に生まれ、たまたま同じ地域に住んでいた」
という、偶然の要素だけで集められた子どもたちの集まりです。

しかし、一歩教室に入れば、そこでは「一括り」の教育が行われます。
当然、早生まれの子もいれば、成長速度がゆっくりな子もいます。
家庭環境も違えば、得意なことも苦手なことも全く違う。
本来、一緒に並列で比べることなど不可能なほど、バラバラな存在です。

それなのに、その偶然の集団から少しでも外れた行動をとったり、
ペースが合わなかったりすると、「不適合」「協調性がない」
というレッテルを貼られてしまう。

「枠からはみ出ることは悪である」 そんな無言の圧力を、
幼い頃から肌で感じて育つことになります。


人は比べるものではなく「オリジナル」である

この教育システムが抱える矛盾は、そのまま大人の社会にも
影を落としています。
「みんなと同じ正解」を求め、「枠」からはみ出さないように生きる。

ですが、私の信条は全く逆です。

「人は一人ひとり違う」
「人には必ず、その人だけの特長がある」
「人は誰かと比べるものではなく、絶対的なオリジナルなものである」

本来、ビジネスにおいても人生においても、
価値があるのは「みんなと同じこと」ができる能力ではなく、
「その人にしかできないこと」つまりオリジナリティです。

成長の速度が違うなら、その子のペースに合わせればいい。
集団行動が苦手なら、独創的な発想を伸ばせばいい。
「不適合」なのではなく、単にその「枠」の形が、
その子の「形」に合っていないだけなのです。


「一括り」から「一人ひとり」を見る世界へ

冒頭の話に戻りますが、「人が変われば方法も変わる」というのは、
まさにこのことです。

ビジネスの現場でも同じです。
マニュアル通りの「誰にでも通用するトーク(一括り)」
を繰り返していても、今の時代の顧客には見透かされてしまいます。

目の前の相手が「今、何に困っているのか」「どうなりたいのか」
を想像し、その人のためだけの言葉(個)を紡ぐこと。
それがなければ、信頼を得ることはできません。

教育も、人材育成も、そして私たちの日々のコミュニケーションも
同じです。
「この年代だから」「この役職だから」という「一括り」のメガネを外し、目の前にいる「オリジナルな一人」をしっかり見つめること。

「たまたま集められた集団」のルールに縛られるのではなく、
その人の特長や背景、そして今の感情に寄り添うこと。

それができた時、初めて私たちは「相手が求めている言葉(感想)」
を届けたり、
「その人の才能が開花する仕事」を任せたりすることができるのだと
思います。

「一括り」の時代から、「一人ひとり」を見る時代へ。
その視点の転換こそが、本当の意味での「自己実現」を助け、
豊かな社会を作る第一歩になるのではないでしょうか。


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