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「いい子」の鎧の下で暴れていた怒り―”義務感”にバイバイ、”楽しむ”に乾杯♡

「人から嫌われるのが恐い」
「人を傷つけるのが恐い」
「人からどう思われるのかすごく気になる」

色々自分と向き合ってきたけれども、なかなかぬぐえない私の中の「恐れ」。

それと向き合うために、先日カウンセリングを受けた。

自分の奥底の閉じ込めていた感情が溢れてきて、大きな癒しを体験したので、忘れないように記しておきたい。


先生の期待に押しつぶされ爆発した怒り


カウンセリングの中で

「人から嫌われるのが恐い」
「人を傷つけるのが恐い」
「人からどう思われるのかすごく気になる」

という恐れについて話す中で、私の中にある「怒り」に気づいていった。

深呼吸をして身体を緩めていきながら、「怒り」の感覚を身体で感じていくということをしていった。

最初は「自分の本当の感情に触れるのが恐い」という防衛反応が大きく、なかなかセッションに集中できなかった私だが、次第に意識がもうろうとしてきて、以下の記憶がふっと脳裏によぎり、ぼそりぼそりを話をしながら、芋づる式に色々なことを思い出していった。

以下は、その時に私が思い出した記憶だ⇩

*******

小学校6年生のとき、私は学級委員をしていた。
その秋、先生から二つの大きなミッションを託された。

◆合唱コンクールで金賞を取ること
◆クラスで仲間外れになっているNちゃんを、卒業までにクラスの輪に入れること

先生に呼び出され、真剣な眼差しでそう言われたとき、すごくドキドキした。

先生は私を信じている、期待している。緊張が走った。

「なんとか先生の期待に応えたい!頑張らないと!!」

そう自分に言い聞かせて、毎日必死で動いた。

「誰かに力を貸してもらう」「誰かに頼る」という知恵もなかったので、一人ですべて背負いこんで、当時の自分ができることを精一杯やっていた。

Nちゃんに声をかけたり、クラスのみんなに働きかけたり。合唱練習でも誰よりも真剣に取り組んだ。

しかし、現実は思うようにはいかなかった。

輪の中にNちゃんを入れることも、クラス全体をまとめることも、私の力だけではどうにもならなかった。日を追うごとに「卒業までに間に合うのか」という焦りが募っていった。

そして、ある日の合唱練習。

みんながあまりにも不真面目にふざけていたとき、私の中で張りつめていた糸がぷつんと切れた。

気がつけば、普段の自分なら決して口にしないような、強い言葉を教室中に響く声で叫んでいた。

こらえきれずに、心の奥底に押し込めていた怒りが暴れ出したのだ。何かに憑依されていたのかと思うほど、私は理性を失っていた。

頭の中が真っ白になった。

自分の口からそんな言葉が出たことに、私自身も大きなショックを受けた。

そして、その瞬間から教室の空気が一変した。

私は卒業まで、クラスから仲間外れにされる存在になった(そりゃぁそうだよな・・・こんな事言われたら、誰だっていい気持ちはしないし。仲間外れになるのも当たり前だよな、と今では思う)。

先生の期待にも応えられず、仲間からも遠ざけられ、必死で頑張ったはずなのに、小学校の記憶の最後に残ったのは孤独と悔しさだった。

(それでも、一人だけ、仲良くしてくれた友達がいて、その子の存在があったから、学校になんとか通い続けることができた。ありがとう(涙))

※この体験については以前にもnoteに書いています⇩

家でも続いていた緊張感


両親からはたくさんの愛情を受けて育った。

でも、父と母は(私の記憶の中で)しょっちゅう喧嘩していた。いつその喧嘩が勃発するかわからず、私はいつもびくびくしていた。両親の顔色や機嫌をすごく気にしていた。

喧嘩が始まると、「離婚しちゃったらどうしよう・・・」という不安にさいなまれて、それが恐くて恐くて、布団の中に丸まって喧嘩が収まるまでじっと耐えていた。

父も母も大好きだったから、2人が喧嘩していることがとても辛かった。

上述の小学校6年生の時の出来事も、両親に余計な心配をかけたくなかったことと、起きている出来事や自分の感情を言葉にする術がわからず、ずっと黙っていた。

一度だけ、あまりの苦しさに感情が溢れて、両親の前で

「学校に行きたくない」

と号泣したことがあったが、「りえちゃんにも悪いところがあったんじゃない?」と諭されて、「そうだよな・・・」となんとなく納得・反省して、翌日からもいやいやながらも普通に学校に行っていた。

学校では居場所を失い、寂しさや不安に蓋をし続け、家では両親の喧嘩に怯えて顔色をうかがう日々。

今振り返れば、小学校6年生の秋から冬にかけて、私が生きている喜びを感じられるのは「毎日家で30分だけできるドラクエ」だけだった。

あぁ、あの頃は、本当に、辛かった・・・。

中学で一瞬だけ鎧を脱げた時間


小学校をなんとか卒業して迎えた中学生活。

私はバスケ部に入部した。1年生という立場で、自分がリーダーを担う必要もなく、仲間と同じ位置で汗を流し、ただ部活を楽しむことができた。

小学校時代の「学級委員のりえちゃん」「いい子のりえちゃん」という鎧を脱ぎ、素の自分でいられる感覚。

仲間と一緒に走り、笑い合い、勝っても負けても一緒に喜び、悔しがる。そんな当たり前の光景が、私には何よりも嬉しかった。

さらに、中学校には他の小学校からの生徒も多く入学していた。

「過去を知らない人たち」と出会えること。その中で新しい自分を始められることが、心の底からありがたかった。

制服を着ることも、バスケ部の決まりで髪をショートにしたことも。

“みんなと同じ”でいられることが心底嬉しくて。

物心ついたときから「しっかり者のりえちゃん」「頼れるりえちゃん」と呼ばれ、いつの間にか「みんなを引っ張るリーダー」でいることが当たり前になっていた。

だからこそ、このとき味わえたのは、仲間と同じ立場で、同じ気持ちを共有し、同じ時間を分かち合える喜び。

ただそれだけのことが、すごくすごく嬉しかった。

ドイツへの転校という新たな緊張


やっと見つけた居場所。
「学級委員のりえちゃん」という鎧を脱ぎ、仲間と同じ立場で笑い合える日々が始まったばかりだった。

けれども、その時間は長くは続かなかった。
突然、父の転勤が決まり、中学校1年生の6月には日本を離れドイツに行くことになった。

その知らせを聞いた瞬間、全身から力が抜けていくようだった。

「嫌だ、このまま日本にいたい」

心の中で何度も叫んだ。けれども子どもである自分にはどうすることもできない。大人の決定に従うしかなかった。

・制服を着て友達と笑い合うこと。
・バスケ部で同じメニューをこなし、同じ汗を流すこと。

やっと「普通の中学生」として送れるようになった毎日。

その全部が奪われる。

「行きたくない!!!日本に残りたい!!!!」

と大号泣して両親に訴えた。

普段は両親の顔色をうかがい自分の感情をあまり出さなかった私が、この時ばかりは感情を抑えることができずに、ひたすら「嫌だ嫌だ」と泣きわめいていた。

両親ともにすごく困っていた。

12歳の私が一人で日本に残る術はなく、どうしても嫌だと泣きわめいた末に、長年願い続けてきた“猫を飼う”ことを条件に、私はドイツへ行くことを受け入れた。

ドイツでは、インターナショナルスクールに通いことになり、授業はすべて英語。

何もかもわからないことだらけの不安な海外生活の中でも、私はずっと「日本で楽しい中学時代を送っていたであろう自分」への未練が消えなかった。

日本に住む祖母から、当時日本ではやっていた漫画やCDを買って定期的に送ってもらい、「日本の中学生として経験したかったこと」をドイツでひっそり経験しようとしていた。

(日本にいなかったのに、1990年代前半に日本で流行った歌に詳しいです。B'zとかWANDSとかZARDとか大黒摩季とかユニコーンとか)

それくらい、「あのまま日本の中学でみんなと一緒に部活を頑張りたかった。中学生活をただ楽しみたかった」という亡霊は、長い間、私の心に棲み続けた。

カウンセリングで出会った小さな私と「怒り」の正体


以上がカウンセリングで思い出した記憶だ。
セッションの中で深く自分の内側に入っていくと、次々と記憶があふれてきた。

◆先生や親の期待に応えようと必死に頑張っていた小学生の私

◆うまくいかずにクラスメイトへ暴言を吐き、居場所をなくしてしまった私

◆やっと仲間と同じ立場で部活を楽しめるようになったのに、突然ドイツへの転校が決まり、大号泣して抵抗した私

その一つひとつを思い出すたびに涙があふれ、「かわいそう…」と声が漏れた。

「本当は苦しかったよね」
「よくがんばったね」

とその時の自分を抱きしめながら、涙をこぼしていた。

そして、その奥にあったのは「怒り」だった。

本当は周りに「助けてほしい」「わかってほしい」という気持ちがあったのに、未熟な私はそれを伝えられず、怒りとしてぶつけるしかなかった。

そして私は気づいた。

いまでも私を縛っている

「人から嫌われるのが恐い」
「人を傷つけるのが恐い」
「人からどう思われるのかすごく気になる」

という恐れは、あの頃の体験と直結している。

必死に期待に応えようとしたのにうまくいかず、感情を爆発させて人を傷つけ、嫌われ、居場所をなくした――その記憶が、今の私の恐れの根っこになっていたのだ。

だからこそ、誰かに何かを押し付けられた(ように感じた)り、権威のある人から強く期待されたりすると、無意識に反発してしまう。

あの頃に抑えきれなかった怒りが、ずっと心の奥で暴れ続けていたからだ。

でも、カウンセリングでその怒りを理解し抱きしめたとき、長くまとってきた「いい子の鎧」の呪縛が少しずつほどけていった。

そこに残ったのは、とてもシンプルな願い。

「もう、誰かのためではなく、自分のために、思いっきり人生を楽しみたい!!」

「楽しむ」が最強!


この体験を通して

「楽しむことこそが、私の力を解き放つ最強のスイッチだ」

と思い出したとき、これは私個人の体験だけじゃなく、様々な研究でも裏付けられていることなんだと気づいた。

自己決定理論を提唱したデシとライアンは

「やらされていること」よりも「自分がやりたいと思えること」の方が、人は長く続けられて成果も出やすい

と示している。

(Deci & Ryan, 2000)。

フロー理論で有名なチクセントミハイは

「人が一番幸せを感じるのは、退屈しているときではなく、夢中で何かに取り組んでいるときだ」

と述べている。

(Csikszentmihalyi, 1990)

ポジティブ心理学のフレドリクソンは

「楽しい・うれしいといったポジティブな感情は、人の思考や行動を広げて、未来の力を育ててくれる」

と明らかにしている。

(Fredrickson, 2001)

つまり「楽しむこと」は一時的な気晴らしじゃなくて、長く続ける力や成果、さらには未来の力にもつながっていく。

私自身も、これまでの経験から強く実感している。

「義務」で動いているときよりも、「楽しい!」と感じているときの方が、本来の自分のピュアなエネルギーが出て、長続きするし、良いパフォーマンスにもつながりやすい。

もちろん、どんなに「自由に楽しく生きたい」と願っても、人生から「義務」をゼロにすることはできない。

やりたくない仕事をしなければならない日もあれば、家族のために料理や介護に向き合わざるを得ないときもある。

だからこそ、せめて自分でコントロールできる範囲の「義務」は少しずつ手放し、その分「楽しい」を増やしていきたい。

そして「楽しむ」内容は、思いっきり自分本位でいい。

誰かのためとか、社会貢献とか、そんな立派な理由はいらない。

ただ自分が夢中で楽しんでいるとき、その軽やかなエネルギーは自然と周囲に伝わり、結果的に周りの人の幸せにもつながっていく。

「義務感」で苦しみながら頑張るより、「楽しいからやる」を選ぶこと。

それが、私の力を解き放つ最強のスイッチ!!

現在46歳。人生も折り返し。

過去の痛みも願いも抱きしめながら、これからの人生後半は、楽しみながら、喜びを感じながら、自分も周りもハッピーになる生き方をしていくことを、自分自身に許可します♡

私もハッピー♡
あなたもハッピー♡
みんなでハッピー♡

そんなハッピーが循環する世界を創っていきたいです♪

ここまで読んでいただきありがとうございます^^

🌟「これをやって一体何になるかわからない」でも、「楽しい!」「ワクワク!」に従って生きようとする私のリアル、こちらのnoteもよろしければぜひ♪

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