昭和天皇と不正義の平和
ご意見がある方もおいでだろうが、まず、昭和天皇の戦争責任は現在でも蔑ろされ、有耶無耶にされているのが実情だろう。太平洋戦争が始まる前からも昭和天皇は好戦的だったのだ。共産党の志位議長も2018年のツイッターでつぎのように指摘されている。

昭和天皇は中国侵略でも対米英開戦でも日本軍の最高責任者であり、積極的に関与し、対米においては開戦時には躊躇したものの軍事作戦にも指導と命令を与えている。
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「何故攻撃に出ぬか…」太平洋戦争下の昭和天皇「お言葉」の数々
上の現代ビジネスの記事を読まれて驚かれる読者の方もいるだろうが、これが事実であろう。昭和天皇が平和を求めていたとかは本当だろうかと思う。
また、昨年のTBSでの報道番組では大本営に逆らえば治安維持法で一般庶民も特高に拘束され男女区別無く、暴行受け、亡くなる事例も報道している。言うならば天皇に逆らった事を意味しているのだ。
ところで、当時の文学者として大本営に協力し、戦勝を伝えた女性の文学者もいた。それは、井伏と因島を訪れた事もある、林芙美子である。彼女は中国に徴用されて、武漢攻略や南京大虐殺も取材されたと言われている。



さて、一方の、井伏鱒二も徴用され、従軍記者として、松本直治らとシンガポールに行き、記事を書いてはいたが、大本営に添うような記事では無かったことと、日本軍により、陥落されたシンガポールでは常に怠けていた事などから山下 奉文司令官にタバコを吹かしてボーとしていたところを見つかり(後にフィリピンのロスバニョスで戦犯として絞首刑)「ここをなんだと心得ているのだ!お前のような奴は帰れ」と怒鳴られ「ハイっ」と返事したら2年もしないうちに帰国になり、甲府に疎開して暮らしたという話しだった。(徴用中のこと)参照

ところで、井伏鱒二の「黒い雨」の第一資料として重松日記があげられるが、重松氏もまた、目立たぬように昭和天皇の戦争批判を何か所かに記していて、一つ目は敗戦日の前日の8月14日の日記である。

(続く)
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