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ジェームズ・ロウは、なぜ日本を選んだのか

2026年5月24日、アイルランドのラグビー界から、意外なニュースが流れてきました。

「ジェームズ・ロウが、今シーズン限りでレンスターを退団する可能性」

この時点では、移籍先は明らかになっていませんでした。イングランド、フランのクラブが候補として挙げられ、2027年ワールドカップを約1年後に控えるなか、アイルランド代表の主力WTBが国外へ移る可能性が報じられました。

それから16日後、事態は大きく動きます。

6月8日、アイルランドのスポーツメディア『The 42』が、ロウの移籍先として東京サントリーサンゴリアスの名前を報じました。

サンゴリアスでは、南アフリカ代表のチェスリン・コルビがストーマーズへ復帰することが決まっていました。ロウは、その後任として、2年契約を結ぶ見通しだと伝えたのです。

そして、その翌6月9日、ロウ本人も、9年間を過ごしたレンスターとアイルランドラグビーから離れることを発表します。

声明では、アイルランドは単なる仕事の場所ではなく、自分と家族にとって「故郷」になったと振り返っています。

その一方で、誰もが望んだ形で物語を終えられるわけではないとして、今回の退団が自らの思い描いていた結末ではなかったことも示しました。

そして7月27日、東京サントリーサンゴリアスは、2026-27シーズンからロウの加入を正式に発表しました。

ロウは、日本で家族とともに新たな生活を始めることを楽しみにしているとしたうえで、エネルギー、フィジカリティ、前向きなアタッキングマインドをチームへ持ち込みたいとコメントしています。

表面だけを見れば、サンゴリアスが、退団したコルビに代わる世界的WTBを獲得した大型補強です。

しかし、ロウの日本移籍を、単に日本のクラブが好条件で引き抜いた移籍として見ると、重要な部分を見落とすことになるような気がします。

何故なら、ロウはもともとアイルランドを離れることを望んでおらず、2027年ワールドカップを目標に、レンスターとアイルランド代表でプレーを続ける意思を持っていたからです。

・ジェームズ・ロウの事情

ロウは、2027年ワールドカップへの出場を、現役生活における大きな目標にしていました。

ニュージーランドのネルソン近郊で育ち、チーフスやマオリ・オールブラックスでプレーしたロウは、2017年にレンスターへ加入します。

当時の代表資格規定に基づき、アイルランドで3年間生活した後、2020年にラグビーアイルランド代表デビューを果たしました。

そこから代表の主力に定着し、2023年のグランドスラムや2024年のシックスネーションズ優勝に貢献。2023年ワールドカップにも出場し、2025年にはブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズのメンバーにも選ばれました。

レンスターでは101試合に出場して71トライを記録し、クラブの最多トライ記録を更新。最後の試合となった2026年のURC決勝でも、ブルズを破ってタイトルを獲得しました。

そして、ロウにとって、アイルランドはラグビーのためだけに滞在する場所ではなくなっていました。

家族は現地で生活の基盤を築き、妻のアルニカさんは2025年にアイルランド国籍を取得し、2人の子供もアイルランドで生まれ、アイルランドで育っていました。

アイルランド国籍を取得した際、ロウは、自分たちの将来をアイルランドで思い描いていると語っています。その為現役を終えたあとまでアイルランドで暮らす意向を持っていたと報じられています。

ラグビーアイルランド代表のアンディ・ファレルHCも、2026年3月の段階では、ロウの契約は更新され、ワールドカップへ向けて国内に残るとの見通しを示していました。

つまり、ロウ本人だけでなく、代表チームの現場も残留を前提にしていたことになります。

しかし、それにも関わらず、契約はまとまりませんでした。

・レンスターとIRFUの事情

ここで理解しておかなければならないのが、アイルランドラグビー協会(以下IRFU)における契約制度です。

ラグビーアイルランド代表の主要選手の一部は、各州ではなく、IRFUと直接契約を結んでいます。これがナショナル契約、または中央契約と呼ばれるものです。

しかし、ロウは代表の主力でありながらも、IRFUの中央契約選手ではありませんでした。

契約の主体は、あくまでレンスターでした。

IRFUのハイパフォーマンスディレクターを務めるデイヴィッド・ハンフリーズ氏も、ロウは州契約の選手であり、契約延長をめぐる交渉はレンスターとの間で行われたと説明しています。

ただし、IRFUがロウの契約に全く関与していなかったわけではありません

IRFUはロウをPONI、Player of National Interest、つまり「代表にとって重要な選手」として扱い、レンスターとの州契約に追加資金を出していました。

つまり、ロウの契約は、「レンスターとの州契約+IRFUによるPONI上乗せ」という形で構成されており、IRFUがどの程度のPONI支援を行うかも、レンスターが提示できる条件に影響していたことになります。

報道では、新契約に対するIRFUのPONI上乗せが、それまでより大幅に縮小されたと伝えられています。IRFUの支援が減れば、ロウを従来と同程度の条件で残すために、レンスターが州の予算から負担しなければならない金額は増える事になります。

しかし、ハンフリーズ氏は、IRFUも新たな州契約をPONIで支援する予定だったと説明し、IRFUが支援しなかったとする報道は正確ではないと反論しています。

ただし、PONIの具体的な金額や条件については、契約上の秘密を理由に明らかにしていません。

したがって、IRFUがPONI支援を完全に打ち切ったという報道を断定することはできませんが、今回の契約についてレンスター側にも事情があった事は間違いないでしょう。

そしてロウは、代表活動やIRFUによる出場管理、そして負傷の影響もあり、直近5シーズンでは、レンスターでの出場が平均して年間10試合程度にとどまっていました。

さらにレンスターは、2026年8月から、中央契約選手の給与の40%を負担する新制度へ移行します。それまでは30%だったため、州側の負担は10%増えることになります。

代表の中央契約選手を最も多く抱えるレンスターにとって、この変更は小さくない財政負担になります。

ロウは2026年7月で34歳になりました。そして2026年のシックスネーションズでは鼠径部を負傷し、その後しばらく試合から離れています。

つまり、レンスター側の判断にも、一定の合理性はあるように思います。

しかし、問題となったのは、その判断の伝え方と、契約交渉の進め方でした。

・契約交渉で何が起きたのか

ロウさんは2025年3月、レンスターとの契約を更新しました。

公には契約期間が明かされていませんでしたが、元レンスターのHOジェームズ・トレーシーによると、実際には「1+1年契約」だったとされています。

最初の1年間は、当事者間で合意した条件が保証されていました。

一方の「+1年」については、決められた期限までに、選手側またはクラブ側が2年目を終了できる仕組みでした。

契約上、レンスターには2年目を行使しない権利がありました。

ただし、トレーシーの理解では、ロウは同じ条件で2年目の契約が継続され、2027年ワールドカップまでアイルランドでプレーできると考えていました。

ところが契約オプションの期限直前になって、ロウは2年目を終了するという通知を受けたといいます。

そして、その数日後、レンスターはロウさんに新たな1年契約を提示しました。

しかし、トレーシーによると、新契約で固定された金額は、それまで受け取っていた給与の約半分まで引き下げられていたという話です。

報道によると、新契約には出場実績などに連動する成果報酬が含まれており、条件を満たせば、当初想定していた金額との差額の一部を補える設計だったとされています。

ただし、選手にとって、出場数を基準とする契約には大きなリスクがあります。

一度の負傷や代表側の出場管理によって試合に出られなくなれば、本人の能力や意思とは関係なく、収入が減ることになるからです。

トレーシーは、ロウの契約交渉について、IRFU側がワールドカップ出場を目指す本人の意思を利用し、以前より安い金額でも残留すると考えたのではないかと厳しく批判しました。

トレーシーの見解では、ファレルHC、レンスター、そしてロウ本人はいずれも残留を望んでいましたが、IRFUを含む契約上の判断によって、その道が閉ざされたといいます。

ロウは、この条件が自らの現在の価値を反映していないと受け止めました

そして、提示された金額だけでなく、それまで継続すると考えていた契約を期限直前に終了され、数日後に大幅に条件を下げた新契約を提示されたという過程にも、強い不満を持っていたと報じられています。

・サンゴリアスからのオファー

ここで重要なのは、東京サントリーサンゴリアスからのオファーが、レンスターとの契約交渉を壊したわけではないという点です。

元ラグビーアイルランド代表のバーナード・ジャックマンによると、ロウさんとレンスターの契約問題が起きた時点では、日本からのオファーはまだ届いていませんでした。

先にアイルランド側との契約交渉が行き詰まり、その後に国外のクラブが移籍先として浮上したという順番のようです。

ロウにはイングランドやフランスのクラブから関心が寄せられ、ジャックマンさんは、フランスのトゥーロンも候補だったと説明しています。

ジャックマンは、コルビさんの退団によってサンゴリアスに契約枠が生まれ、それがロウさんの移籍につながったとの見方を示しています。

つまり、今回の移籍は、ロウが当初から日本でプレーすることを望み、サンゴリアスの契約へ飛びついたという話ではないようです。

先にアイルランド国内での契約交渉が行き詰まり、その後に日本からのオファーが届いた。

その結果として、日本のクラブが提示した2年間の契約が、ロウさんにとって現実的な選択肢になったようです。

・ロウを残そうとした人々

そして、ロウの退団が決まった後、さらに興味深い事実が明らかになりました。

元ラグビーアイルランド代表主将のブライアン・オドリスコルによると、アイルランドの実業家から連絡があり、ロウを国内に残すため、レンスター側の提示額と本人側が求める金額との差額を負担してもよいという申し出があったといいます。

実業家は、自分の名前を公表することも、功績として扱われることも望んでいませんでした。

オドリスコルは、この申し出をレンスター側へ伝えました。

しかし、その時点では、ロウはすでにサンゴリアスとの契約を決めており、交渉を覆すには遅すぎました。

オドリスコルによれば、同じような資金援助を申し出た人物は、ほかにもいた可能性があるそうです。

この話は、ロウがレンスターとアイルランドのファンから、どれほど強く支持されていたかを示しています。

同時に、外部の人間が資金を出そうとするほど残留を求められていた選手を、なぜレンスターとIRFUは残せなかったのかという疑問も残したように思います。

・アイルランドが失ったもの

バーナード・ジャックマンは、ロウさんの退団を「大きな損失」と表現しています。

ジャックマンは、ロウについて「エッジでのパワー」「オフロード能力」「ギブソン=パークとの連係」「ラック周辺での働き」「左足のキック」を挙げ、ファレルさんのアイルランド代表にとって極めて重要な存在だったと評価しています。

そして、もう一つ問題になるのが、海外クラブに所属する選手を原則として代表に選ばない、IRFUの長年の選考方針です。

これは、公表された絶対的な規則ではなく、過去には、ジョニー・セクストンさんがフランスのラシン92に所属していた時期にも、代表へ選ばれた例があるものの、代表選手をアイルランド国内に残し、出場時間やコンディションを管理するという明確な目的があります。

2026年7月、ファレルHCは、ロウについて「日本にいる間はおそらく代表に加わらない」としながらも、今後の状況を見るという姿勢を示しました。

また、ほかの選手を育成し、機会を与える必要性を強調する一方で、今後の展開次第では方針を再検討する余地も残しています。

レンスターは近年、ジョーディー・バレットやリーコ・イオアネといったオールブラックスの選手を、短期契約で獲得してきました。

世界的なスターを呼び、チームに新たな価値を加えること自体は否定されるものではありません。

しかしジャックマンは、ジョーディー・バレットやリーコ・イオアネを獲得しながら、ロウを残せなかったことについて、レンスターが正当性を説明するのは難しいと指摘しています。

また、今回の交渉が適切に扱われていなかった場合、残された選手たちが、自分の契約時にも同じことが起きるのではないかと疑念を抱く可能性があると警告しました。

・今回の日本移籍の顛末

ロウの年齢、負傷歴、代表活動によってレンスターで起用できる試合数、州の財政負担、そして次のWTBを育成する必要性。

限られた予算の中でチームを運営する以上、過去の功績だけを理由に、すべての選手へ同じ契約を提示し続けることはできません。

しかし、それでも今回の交渉には少なからず疑問が残ります。

そして、ロウが同じ条件での継続を期待し、ファレルHCも残留するとの見通しを示していたなかで、期限直前に契約の前提が変わったことは、選手との信頼関係に影響を与えた可能性もあるでしょう。

そして、2027年ワールドカップまで約1年となった段階で、ラグビーアイルランド代表は、少なくとも当面、重要な戦力を失うことになりました。

契約内容が公表されていない以上、責任の所在を一方だけに求めることはできません。

しかし、レンスターとIRFUの間で、ロウが納得できる条件を作れなかったことは紛れもない事実です。

ジェームズ・ロウの今回の日本移籍は、アイルランドラグビーの契約制度と、その意思決定の難しさを浮かび上がらせた移籍だったように思います。

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