私的 ヰタ・セクスアリス
私的なことだなんて、思わない。——という話ではあるのだけれど。
毎度の Ryuya 氏が、中学校で中学生たちに話をするらしい。外部講師というやつだ。他人事だと無責任に笑っていられるのだがそこはサガで、つい自分なら何をどう語るだろうと考え始める。
性的自己決定とか、プライベートゾーンの扱いとか、性的同意とか、そんな話はさすがに聞かされているだろうが、色々な大人が入れ替わり立ち替わり語り聞かせることが大事だ。そうだ「助けてー!」って大きい声で言う練習は、とりあえずやりたい(大人相手でもやりたい)。あと「大人になれば分かる」って嘘だったよと、教えてあげたいな。53歳になっても分からないことだらけだし、緊張もするし、不安にもなる。自信なんてポーズだけ、それも実感なんだよって。だから、悩んでいていい。自分の心に耳を澄ませて、語る思いを聴いてやることだ。

自分がライ麦畑のキャッチャーだと思ったことはない。
それよりスパイダーマンや仮面ライダーにならなきゃと思ってた。
でも子どもたちを前にすると、とりあえず悪党なんかどうでもいい。
中学生に向けて話したことは2008年に一度しかないけど、今でも忘れられない。終わってから少年が寄って来て相談してくれたのだが、内容は性のことなんかじゃなかった。障害をもつ弟をどう支えてやれるか、彼は誰かに訊きたかったのだ。もちろん、大切な話を聴かせてもらえてものすごく嬉しかった。性の話をして別の思いまで溢れて来るのはよくあることで、当たり前のことだ。
トランスジェンダーは、シスジェンダー化を促す「隠れたカリキュラム」があると指摘する。ゲイの立場から言えば、ヘテロセクシュアルになれと押し付けるカリキュラムもある。シス₋ヘテロの子にはそれさえ社会化のプロセスで、性の受け止めがたさを軽減してくれる(こともある)、ひとつの「YES」になり得るのかもしれない。問題は、ひとつのモデルしか示されないことだ。男の子が好きだと気付いた5歳の男の子が「これは絶対に言っちゃだめなことだ」と瞬時に理解できるくらい、世の中には禁止が溢れていた。自分の経験だからよく覚えてる。村人たちが棍棒を持って自分を殺しに来る夢を見てうなされた。その群衆の中にお母さんもいた、そんな悪夢で。
あの頃に一度、殴り殺された部分があるんだと思ってる。笑いのめされただけじゃなくて、なんか壊れたんだ。もう直ったかな。それも分からない。
隠れたカリキュラム、か。隠れてねえんだよな。実はおれ、いわゆる童貞じゃないんすよね。ある時期、ヘテロにならなきゃって必死になっていた、ということ。ゲイになろうと努力するヘテロはいないけど、真剣にヘテロにならなきゃと思い詰めるゲイは今も後を絶たない。
大変だよな、大人になるって。いや大変だったよ。
だから柔らかく、どこまでも柔らかく、全ての子どもの不安を受け止められるような、そんな社会であるようにと願うのだ。
ゆるさんの note を読んだ。
こんな風に誰もが自分の心の声を聴けるなら、ずっと6月でいいのに。
この先はとても「身体的な」「性の」話なんだけど、書いていいかな。
「身体が大人になりかけた頃の」痛くて怖い、性器の話。
だから読まなくてもいいけど。
10歳だった。一人の、誰も来ない森の中での話だ。
幼児勃起とはまたどこかちがう感じで、勃起するようになって。
その日、少しほぐれた包皮から少し亀頭が見えた。それで、なぜだろうって。
それまでもペニスをいじることはしていたのだが、その日はもっとよく見たかった。抵抗を無視して、もっと皮を引っ張れば見えそうだと、力を入れてみた。すると皮がめくれてしまった。その途端に、皮が亀頭を締め付け始めた。痛い。ものすごく痛い。泣きそうになって(泣いていたはず)、急いで皮を戻そうとするけど、うっ血し始めた亀頭がそうさせてくれない。痛いけど勃起は収まらない。怖くて、どうしていいか分からなくて、誰も助けてくれる人がいない広い森から出たくなってパンツを穿いた。それが間違いだった。亀頭の粘膜がブリーフに張り付いて、また慌てて剥がそうとするけどそれも痛いし怖い。パニックになった。深い森は誰も来なくて、一人で、助けもない代わりに泣いてもいいところが救いだった。その後の記憶は曖昧なのだけど、きっと勃起が収まって、無事に包皮を戻せたのではなかっただろうか。あのままじゃ帰れなかったんだから、そのはずだ。下手したら救急車を呼ぶところだったけど、携帯電話なんかない時代だったんだから。
その後、ゲイだけに他人のペニスと対面することは日常となって今に至るわけだけど、いつも秘密を見せてもらえたような感動に加えて、ちょっと労りというか、一種の共感がある。よく頑張りましたと、言ってあげたくなる。みんな大人の顔をして、偉そうだったり気を張っていたりするけど、どいつもこいつも可愛げないけど、できれば優しくしてやりたいと思うこともあるんだよな、たまにだけど。
精通にも怯えたもんな。あれは知らないと病気になったとしか思えない。
いつも思う。「簡単に語るな」って。
経験を語るにはそれなりの分量/文章量が必要だ。必要な分、ちゃんと語ることなのだ。これは、まだライトバージョンだ。
