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師匠の教え③〜宮本武蔵に憧れた中学生が190cmのボクサーにボコボコにされた話〜

中学2年生、14歳。

小学校高学年の頃から
吉川英治先生の「宮本武蔵」を愛読し
相変わらず空手しかしていない僕は
宮本武蔵に憧れていた。

いや、正確に言うと、かなりこじらせていた。
これ以上ないほどの厨二病を発症していた。

宮本武蔵は13歳の頃に、
大人と真剣勝負をして勝利している。

そこで気づいてしまうのである。
「俺、14歳やのに大人と真剣に戦ったことないやん。恥ずかしい。」

そこで僕は、知り合いの大人の方々に声をかけていただき
紹介された格闘技をやっている人たちにお願いをしていた。

「僕と真剣に戦いましょうよ」

激ヤバである。頭がおかしい。

気がついたら僕は、地域の総合体育館を借りて、
大人のボクサーや日本拳法の有段者を集めトーナメントを組んでいた。

目的はひとつ。
ガチで戦うためである。
今思えば、完全にダメ。
こんなことをしたら本当にダメ。

普通の中学生なら、放課後に友達と遊んだり、部活をしたり、ゲームをしたりするのかもしれない。

でも当時の僕は、本気で強くなりたかった。

道場の中でどれだけ稽古しても、自分が本当に強いのか分からない。
空手だけをやっていても、空手の世界の中でしか強さが測れない。

ボクシングのパンチは、どれくらい速いのか。
日本拳法の人は、どんな間合いで入ってくるのか。
自分の空手は、他の武道や格闘技に通用するのか。

それを知りたかった。

14歳の僕にとって、
そこはただの総合体育館ではなく、武者修行の場所だった。


最初の相手は、日本拳法の有段者だった


最初の相手は、20代の日本拳法有段者。
当然、体格差はある。

こっちは14歳の中学生。
相手は大人。
しかも、日本拳法の有段者である。

普通に考えたら、まともにぶつかって勝てる相手ではない。

だから僕は、この日までに日本拳法を研究しまくった。

日本拳法はどう入ってくるのか。
どの距離を得意とするのか。
どの瞬間に圧力が強くなるのか。
逆に、どこに隙が生まれるのか。

真正面からぶつかれば負ける。
日本拳法はとりあえず直線的攻撃に特化している。

だったら、真正面からぶつからなければいい。

自分が勝てる形に持ち込む。
自分が動きやすい間合いで戦う。
相手の土俵ではなく、自分の土俵に引きずり込む。

実際に戦ってみると、思っていた通りの展開になった。

研究していた動きが見えた。
予想していた距離になった。
準備していた戦い方がハマった。

そして、勝った。
後ろ蹴りが相手の脇腹に入り相手がうずくまって倒れた。

14歳の僕は、そのとき初めて知った。

強い相手に勝利するには、作戦がいる。

それは、道場の中だけでは分からなかったことだった。


勝ったのに、満たされなかった


しかし勝った瞬間、僕の中にあったのは安心ではなかった。

むしろ逆だった。

もっと強い人と戦わないといけない。
そう思っていた。

今思えば、かなりイタい中学生である。

普通なら、中学生が20代の日本拳法有段者と戦って勝てば、それだけで十分な気もする。
でも14歳の僕は、とことんバカなのである。

道場の中で何百回突きを出しても、何千回蹴りを出しても、本当に通用するのかは分からない。

知らない相手。
知らない構え。
知らない間合い。

そこに自分の空手が通用するのか。

それが知りたい一心なのである。

ちなみに、この武者修行のことを師範には言っていない。

絶対に怒られるからだ。


次は、190cmのボクサーと戦った


相手は20代。

14歳の僕からすれば、ほとんど壁である。

ただ、僕には考えがあった。

ボクサーはパンチの専門家。
だったら、こっちの蹴りに対応できるはずがないと思っていた。

手では届かなくても、足なら届く。
拳の距離に入る前に、蹴りで対応する。
近づかせなければ、パンチはもらわない。

そんなふうに考えていた。

実際、試合開始間も無く、相手の顔面に蹴りを入れた。
相手は顔なんか蹴られるはずがないと思っていたはず。

自分の蹴りが相手に届いた瞬間、

「勝てる…!」

と思った。

でも、そんな簡単に思っていた通りにはならなかった。

リーチが長い。
とにかく長い。

こちらが届くと思った距離で、相手のパンチも届いてくる。
こちらが外にいるつもりでも、もう相手の射程圏内にいる。
空手の間合いで戦っているつもりなのに、ボクシングの距離に飲み込まれていく。

気がつけば、僕はボコボコにされていた。

日本拳法の有段者に勝って、少し調子に乗っていた14歳の僕にとって、そのボクサーは現実そのものだった。

強い人は、自分が思っているよりずっと近くにいる。

その試合の後は、1週間以上も
口の中が切れすぎてご飯が食べれなかったのを覚えている。


悔しさが、新しい空手を探させた


ものすごく悔しかった。

自分なりに考えて戦った。

それでも大人の格闘家は強かった。

リーチが違う。
圧力が違う。
パンチの速さが違う。
力の強さが違う。

このままでは足りない。

もっと空手は強いはず。
もっと実戦に近い空手があるはず。

そして僕は、新しい空手を探し始めた。

それが、フルコンタクト空手との出会いだった。


二人の師匠の存在


意を決して師匠に話をした。

「極真空手をやってみたいです。」


空手経験者でなければよくわからないと思うが、
琉球空手と極真空手は別物なのである。

琉球空手は型の稽古を中心とし
組手では防具をつけて打撃を加えるのだが、
極真空手は防具もつけず、
素手素足で相手を実際に倒すことを目的としている。

全く別の種類の空手に行きたい!と僕がワガママを言ったのだ。

ただ、不思議なことに、僕の琉球空手の師匠はそれを止めなかった。

むしろ、

「外の世界も見てこい」

と、背中を押してくれた。

普通なら、弟子が別の空手を学びたいと言えば、いい顔をしない。

自分の道場で教えてきた弟子が、他の流派に興味を持つ。
それは、師匠にとって不快であることには違いない。

でも師匠は、僕を止めなかった。

外を見ろ。
経験してこい。
そのうえで、自分で考えろ。

そう言ってくれた。

そして、フルコンタクト空手の師匠もまた、
僕を簡単には迎え入れなかった。

その師匠は言った。

「琉球空手の道場を大切にするのであれば、入門してもいい。」

その言葉を聞いたとき、僕は思った。

これが武道か。

強さだけを求めていた僕に、二人の師匠は違ったものを教えてくれていた。

それは、礼儀だった。
筋を通すことだった。
自分を育ててくれた場所を、決して軽く扱わないことだった。

強くなるということは、ただ相手を倒せるようになることではない。

自分がどこから来たのかを忘れないこと。
誰に育ててもらったのかを忘れないこと。
そして、新しい世界に入るときにも、筋を通すこと。

これが武道なのだと思う。


本当の敗北


15歳。
僕は琉球空手道場に通いながら
フルコンタクト空手の道場にも通い始めた。

全く新しい世界である。

そして、フルコンタクト空手の道場で
僕は初めて年の変わらない相手にボコボコに殴られた。

それまで僕は、どこかで言い訳ができていた。

相手が大人だから。
相手の方が体格が大きいから。
競技が違うから。
経験が違うから。

でも、同年代にやられたとき、その言い訳は全部消えた。

ただ、相手の方が強かった。
本当の敗北だった。
悔しかった。

でも、不思議なことに、嬉しかった。
「自分より強い人めっちゃおるやん…」

自分と同じくらいの年齢で、自分よりずっと強いやつがいる。
こんなワクワクは経験したことがなかった。

ここで稽古すれば、もっと強くなれる。
ここにいれば、自分はまだまだ変われる。

ボクサーに負けた時の悔しさ。
日本拳法の有段者に勝って感じた手応え。
宮本武蔵に憧れて、総合体育館で始めた武者修行。

その全部に意味があった。


負けた日は、終わりの日じゃない


今、僕は子どもたちに空手を教える立場になった。

だからこそ思う。

勝つことは大事だ。

試合で勝てば嬉しい。
努力が形になれば自信になる。
自分の突きや蹴りが通用したとき、人は少しだけ自分を信じられるようになる。

でも、武道が本当にその人を育てるのは、勝ったときだけではない。

本当に大切なのは、負けたときなのかもしれない。

言い訳できないくらい負けたとき。
自分より強い相手を目の前にしたとき。
今のままでは足りないと、心の底から分からされたとき。

そこから人は、本当に変わり始めるのではないか。

子どもたちにも、いつかそういう敗北に出会ってほしいと思っている。

負けた日は、終わりの日ではない。
本当の敗北は、次の自分に出会うためのきっかけになる。

14歳の僕は、僕なりの武者修行を始めた。
そして敗北を知りながら、少しずつ、自分の進む道を見つけていった。

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