死別と離別は違う 〜父子家庭を一括りにしてはいけない理由〜
「死別父子家庭」と「離別父子家庭」。
“子育てをする父親”というキーワードは同じでも、この両者はなかなか融合しない。
どちらが大変だとか、どちらが辛いといった争いをしたいわけではない。
ただ、「この二つを安易に一緒くたにして扱うのは危険だ」と、私は強く感じている。理由がある。
死別には、生涯を通して寄り添い続けなければならない「悲嘆(グリーフ)」がある。
一方で離別にも、別れる際のものすごいエネルギーの消費や、独自の喪失感がある。似ているようで、抱えている痛みの構造が根本的に違うのだ。
だからこそ、離別の方から「その気持ち、わかります」と言われた瞬間に、死別側は「……何がわかるのだろう?」と心を閉ざしてしまうことがある。そして逆もまた然りなのだ。
かつて私がNPO法人「京都いえのこと勉強会」を運営していた頃、自然と集まってくるのは死別父子家庭のお父さんたちだった。別にこちらから区別して募集していたわけではない。しかし、自然とそうなっていった。
オンラインでミーティングを開催した際、ある参加者のお父さんがポツリと言った。
「やっぱり、本当の意味で同じ当事者同士だから、安心して話せます」
世間からは「子育てに死別も離別も関係ないじゃないか」と言われることもある。両方を一緒にケアされている素晴らしい支援者の方々もいらっしゃる。
だが、現場を当事者として見てきた私から言わせれば、そこには明確な「境界線」が存在する。
以前、「何がそんなに違うのですか?」と聞かれたことがある。
その時、長男・クラマの言葉を思い出した。
クラマの親友も、たまたま父子家庭だった。
そのお父さんは仕事が忙しく、毎朝テーブルの上にお金を置いておき、それで昼と夜の弁当を買って食べるような生活をしていたという。
最初、クラマは「父子家庭なのはオレだけじゃなかったんだ」と思ったそうだ。
だが、ある日クラマが静かに呟いた。
「……でもな、絶対に違うところがあるねん。そいつ、たまにお母さんと会ってるから」
子どものほうが、大人以上にその本質的な違いを皮膚感覚で感じ取っていたのだ。
また、こんな会話をしたこともある。
「キモトさんも『シンパパ』ですか?」
「えっ?……うーん、『シンパパ』と自分から爽やかに名乗れるのは、離別父子のお父さんが多い気がしますね」
「あぁ……たしかに、そうかもしれません」
大変さを比べるのではない。 ただ、「違うのだ」ということ。そして「抱える傷の質が違うのだ」ということ。
世間にも、そして当事者同士の中にも、この“静かな違い”への理解が優しく広がってほしいと、最近つくづく思うのである。
🌿気にかける〜子育ての延長戦〜
4月から社会人になった次男のユウスケ。
勤務先は東京で、会社の寮で暮らしています。
GWと6月に帰省してくれましたが、基本的には自分から連絡はしてきません。
食事にも困っていないでしょうし、元気にやっているのだろうとは思いつつも、ふとした時に「どうしてるかな?」と気にかかってしまいます。
そんな話をママ友にすると、
「そんなもんですよ🤪」
と笑われました。
