戦争トラウマの世代間連鎖 〜80年前の戦争はまだ私たちのなかにある〜
私には、幼い頃の忘れられない記憶がある。
大好きだった祖母と一緒にお風呂に入ったとき、その太ももに、大きく引きつれた火傷の痕があった。
「どうしたの?」
と聞くと、祖母は
「アイロンでケガしたのよ」
と言っていた。
その火傷が、戦争から帰ってきた復員兵である継祖父によって、熱したアイロンを押し付けられた痕だと知ったのは、祖母が亡くなった後。
もう少し大きくなったときに、母から教えてもらったのだ。
昭和25年生まれの私の母も、その継父から数えきれないほどの虐待を受けて育った。
何も悪いことをしていないのに、おもむろに食器を投げつけられて頭から血を流したこと。
寒い冬に下着姿で庭に立たされたこと。
継父が眠るまで寝かせてもらえなかったこと。
その他にも、母が時折口にする断片的な記憶は、聞くに堪えないものばかりだった。
長年、私の中でこれは
「本当の父親ではない、とある一人の暴力的な男によって引き起こされた不幸」
なのだと思っていた。
ただ、あるときに見かけたNHKの番組と友人の話から、母の家庭が特段に特殊だった訳ではなかったのかもと思うに至った。
1.私たちのなかにある「あの戦争」
2025年8月26日、NHK『クローズアップ現代』で放送された「なぜ、父はわたしを殴ったのか 戦後80年・連鎖する“心の傷”」。
長年、DV被害者などのカウンセリングをしてきた信田さよ子さん。終戦から数十年が過ぎたころ、父親から受けた虐待の記憶に苦しむ子ども世代からの相談が相次いでいたといいます。
この番組を見て、母から聞いたあの家庭内暴力が、80年前の戦争に影響されていたものだった可能性があるのかと初めて気付かされた。
その後、偶然にも友人とこの話になり、まさかの友人の家庭でも、友人の母が復員兵である父(友人の祖父)から虐待を受けており、その影響が孫世代である友人にまで連鎖していたかもしれない、と言う。
これらの出来事から
80年前のあの戦争はいまだに私たちに影響を与えているのか
と気になって色々と調べていたらこのような論文を見つけた。
この論文の内容なども踏まえて、今生きている人たちの中にも知らない間に影響を与えている「あの戦争」についてまとめてみる。
2. 「英雄」から「お荷物」へ −復員兵を襲った社会の手のひら返し
戦地から帰ってきた父親たちは、なぜ家庭内で妻や子どもに暴力を振るうようになったのか。
先ほど挙げた中村平先生の論文『日本軍兵士の子と孫世代のトラウマのオートエスノグラフィ』によると、当時の復員兵は「社会の手のひら返し」にあっていたという。
戦時中、彼らは「皇軍兵士」として尊重され、亡くなれば「英霊」として奉られていたが、敗戦を境に社会の空気は一変する。
尊敬と称賛のまなざしを一身に受ける存在だった兵士たちが、命を懸け、あるいは生死の境をくぐりぬけて帰ってきたにも関わらず、終戦を境に一気に周囲が冷淡に変わっていったこと。その変化への深い絶望だったのではないかと思うようになったのです。
復員兵たちは、戦場での凄惨な体験(PTSD)を抱えながら戦後の社会から冷遇されたが、誰も彼らの心の傷をケアすることなく、家庭でも「家の恥」として表立って取沙汰されることもなかった。
見過ごされて放置された復員兵たちの絶望や心の傷は、「アルコール依存」や「家族への暴力」という形に変形したこともあったという。
2. 暴力のバトン −世代を超えて受け継がれるトラウマ
NHKの番組や、中村先生の論文、私と友だちの事例などから見えてくるのは、トラウマが連鎖している構図だった。
第1世代(復員兵):沈黙と爆発
復員兵の中には心に大きなトラウマを抱えながらもそれを持て余し、家族に虐待という形でぶつけていた人が多くいた。
武田鉄矢さんも復員兵の父について語っている。
第2世代(昭和20〜30年代生まれ):恐怖の中での成長
昭和25年生まれの母のように、「地雷原を歩くような」子ども時代を過ごした人は多々いたのではないか。
父親の顔色を伺い、理不尽な暴力に耐えてきた子どもたちは、「安心できる家庭」を知らずに大人になる。
第3世代(団塊ジュニア〜ロスジェネ):見えない鎖
そして、私の友人のように、孫世代にもまた形を変えて影響が及ぶことがある。
虐待を受けて育った親(第2世代)は、自身のトラウマを処理できず、無意識のうちに我が子を「感情のゴミ箱」として使ってしまうことがあるらしい。
「あんたのためを思って」という言葉と共に振るわれる暴力や過干渉。それは、祖父が戦場で負った傷が、形を変えて孫を傷つけている姿なのかもしれない。
3. 受験戦争という名の「軍隊」
NHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」を見ていたところ
「戦後の受験戦争の過熱や高度経済成長を支えたモーレツ社員らは、復員兵が戦場の規律を持ち込んだもの」と思わせるような編成がされていた。
戦地での「上官の命令は絶対」「規律を守らなければ死ぬ」という極限状態の論理。
これが戦後、形を変えて「偏差値競争」「受験勉強」というフィールドに持ち込まれた可能性がある。
家庭内での厳しいしつけ、子どもへの過度な期待と監視。
これらは「教育熱心」という言葉で正当化されてきたけれど、その根底には、兵隊的な規律や、社会での生存競争を「戦争」と捉えるトラウマ的な世界観があったのかもしれない。
4. 復員兵の心の傷をみて見ぬふりをした国
母は、暴力を振るった継父を恨み続けている。
その話を聞いた私も「なんてひどいやつなんだ」と憤りを感じていた。
今でもその継父を庇うつもりは毛頭ないが、彼の異常さの一端は、彼の人間性のせいだけではなく、国が、戦争が、彼を壊し、治療もせずに社会に放り出したという可能性もあったのかもしれないと思うに至った。
この事実を知ることは、暴力を振るった彼らを許すこととは違う。
「母が悪かったから殴られたのではない」「母の家族だけがおかしかったのではない」と理解することで、母自身も若干は救われる部分もあるし、何より母が理不尽な目に遭ったのは戦争を背景とした国の無策によるものなのかもしれないという新たな視点を与えてもらった。
おわりに:負の連鎖を、ここで断ち切るために
復員兵が持ち帰った「見えない荷物」は、80年という時を経て、今も、私たちの子育てや人間関係、生きづらさの中に潜んでいるかもしれない。
「理由のわからない生きづらさ」や「親との確執」を抱えている人のルーツを辿るとそこには戦争の影響があるのかも。
もしそうなら
「これは戦争の後遺症なんだ」
と認めることで、自分を責めずに連鎖を断ち切り、次の世代へ「平和な家庭」を手渡すための第一歩とつなげることができるかもしれない。
他に戦争トラウマの連鎖に関する記事を参考につけておきます↓
こちらのPodcastも非常に参考になります。
