心を強くする一つの方法とは
プレッシャーのかかる大きな仕事が翌日に控えているとき。本番のことを考えて,不安や緊張で押しつぶされそうになる,ということがよくあります。そんなとき,皆さんは,どのように心を整えておられるでしょうか。
私の場合は,学会発表や司会をしなければならない会議の前日,新学期の初回授業の前日などに,決まってそんな状態になります。20代の頃は,今の自分の年齢になれば,怖いものなしで堂々としていられるのだろうと思っていましたけれど,そんなことはありませんでした(汗)。今でもやはり,大きな仕事が入っている日の前日は,緊張や不安がずっと頭から離れないということは多いです。学生さんの前では,弱気な心を悟られないように「堂々とした別人格」を演じていますけれど,本来の私は,小鳥のような性格なのです。小鳥って。人間には生まれ持った気質(traits)というものがあって,環境や経験を通して変化していく領域もあるのでしょうが,経験を積んでも変わらない固定的な領域というものもあるのかもしれませんね。
それはさておき,そんなプレッシャーの極致にいるとき,私が無性にやりたくなることがあるのです。本来なら,発表や司会のリハーサル,パワポ資料の確認などを入念にすべきなのでしょうけれど,そうではなくて,私がやりたくなるのは「掃除」なのです。本番のことを考えて,緊張がピークに達すると,デスクの上をきれいに整えたり,パソコン画面やキーボードの埃を拭き取ったり,あげくの果てには,窓にこびりついた結露の跡が気になり始めて窓拭きを開始したり。振り返れば,博士論文の口述試験の前日もそうでした。発表の準備をすべき大事な時間なのに,なぜか部屋の掃除が始まり,そのうち勢い余って,衣類や雑貨の断捨離まで。明日が口述試験本番だというのに,粗大ゴミの袋を両手に抱えて大学院の寮をうろうろ歩き回っていました。変な人ですよね。
不安や緊張で押しつぶされそうになると,掃除を始める人・・・ 私はやっぱりおかしいんじゃないか。このような習性には,専門家によって何か診断名がつけられるのだろうか。強迫性おそうじ症候群 (Obsessive Cleanliness Syndrome, OCS)とか。そんなことを考えることもありました。そんな矢先,この連休中に,ある書籍を読んでいましたら,「掃除」と「心の状態」の深い関連について論じた一節に出会ったのです。「なるほど,そういうことだったのか!」と,長年の自分の行動の謎がすとんと腑に落ちた瞬間でした。
掃除とは,自分の心を磨くこと。
禅寺の修行僧は朝に夕に掃除をします。汚れているわけではないのに,一生懸命に掃除している。それは寺をきれいにすることだけが目的なのではなく,掃除することで自分自身の心を磨いているのです。
ひと掃きするごとに,心のチリが消える。
ひと拭きするごとに,心の輝きが増す。
悩みや不安に惑わされることなく,常に清々しい心をもつ鍵は,まず身の回りを整えることです。
「掃除とは,自分の心を磨くこと」
この一節が,何かとても心に響いたのですよね。
プレッシャーのかかる大きな仕事の前日に掃除がしたくなるのは,「心を整えよう」とする無意識の心の動きが影響していたのかもしれない。なんだかとても納得させられました。掃除が終わって,きれいに整えられた場に身を置いたときのあの清々しさ。これは,誰か他の人に掃除してもらうのではなく,自分の手を動かして掃除するからこそ実感できるものなのだと思います。
この本は,連休中に新幹線の中で読もうと思って,新大阪駅構内の小さな本屋さんでたまたま手に取ったものでした。著者は,禅寺の住職の桝野俊明さんという方で,「禅」の考え方を,一般読者にも理解できるよう,わかりやすい言葉で解説してくださっています。読み進めるうちに,他にも,これまで自分が誰かから教わったわけでもないのに,無意識に大切にしてきたことが「禅」の観点から次々と裏づけられていて,新鮮な驚きと納得の連続となりました。
たとえば,「家の玄関をきれいにする」という習慣。家庭や学校の中で明示的に教わった記憶はないのですけれど,自然に身につけてきた考え方です。家の中でも,特に玄関はきれいにしておかないと,福が入ってこなくなる,と信じるようになりました。ときどき,大学の授業でも,一人暮らしの学生さんたちに向けて(余計なお世話なんですが),「玄関はきれいにしておかないといけませんよ。なぜなら福が入ってこないからです」とレクチャーすることがあります。学生は,「えっ,突然ナニ?」という表情を浮かべてこちらを見ていますが,大事な学生さんの家には福が舞い込んでほしいと願っていますので,タイミングを見計らって伝えるようにしているのです。余計なお世話なんですが。それで,著者の桝野俊明さんによりますと,「家に帰ったら,玄関で脱いだ靴をきちんと揃える」というのは,禅の「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という教えに通じるのだそうです。その意味は,「自分の足元をよく見なさい」ということ。自分の足元が見えていない人は,自分自身が見えていない。ひいては,人生の行く先も見えていないということ。玄関をきれいに整えるのは,「次に踏み出す一歩のためでもあるのです」(p. 23)と論じておられます。
お部屋も玄関もそうですが,乱雑なままにしておくよりも,「整える」ことのほうが,ずっと労力が要ります。冬場の水拭きや掃き掃除には,我慢や忍耐も必要になります。でも,苦労と我慢をするのは誰のためかといえば,それは自分自身のため。頭と心と体すべてで苦労や忍耐を知り,それを乗り越えると,人は必ず強くなります。「整える」プロセスを通して,どんな状況でもしなやかな生き方ができるようになる,ということなのだろうと思います。自分が無意識に大切にしてきた習慣が,実は禅の修行とつながっていた・・・そんな思わぬ学びがあった連休でした。ちょっと大事なことだと思ったので記録しておこうと思いました。どんなにプレッシャーのかかる日々でも,まずは身の回りをきれいに整えることから。どんな状況でも,しなやかに,そして強く生きていきたいですね。

Takumaruさんのイラストをお借りしました。ありがとうございます。
