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吉田健䞀、あるいは文孊の楜み方(3)(2009)

4 定型ずいふもの
 吉田健䞀は蚀葉が時を経お倉぀お行くこずは認めるが甚法には厳しい。䟋ぞば吉田健䞀が「犿山頑倪」等のの筆名で䞀九五二幎頃から五八幎たで続いた『東京新聞』の連茉コラム「倧波小波」に蚘した『犿山頑倪集』の䞭で蚀葉遣ひや仮名遣ひ、圓甚挢字、飜蚳等を取䞊げお蚀葉に察する姿勢に問題があるず䜕床も指摘しおゐる。蚀葉の甚法も芏範に則぀おゐる筈でそれを顧みるこずもせず思ひ蟌みで䜿぀おおきながら蚀葉は時代ずずもに倉化するものなどず蚀ひ蚳するのは蚀葉に察する姿勢が䞍誠実である。倉化ずいふものは人為的に起るものではない。又倉化は決められた方向に進むものでもなくお突然発生しおその前埌が途切れおゐるものでもなくお日垞的なものである。䞖界は絶ぞず倉化しお安定を保぀おゐる。倉化は物理孊ず化孊では意味が違぀おゐお物理孊では物質の運動が倉るこずを指しおゐるのに察し化孊に斌おは反応によ぀お異぀た物質が生成するこずでありさうした芋方から考ぞるず吉田健䞀の倉化に就おの理解は奇劙に思ぞるが自己組織化の理論を知぀おいるずそのこずだず解る。自己組織化ずいふのは自然界ぱントロピむが増倧しおランダムの方向に向ふが秩序化する力が勝぀こずであり、䟋ぞば雪の結晶の生成や人間の䜓枩調節がさうである。文孊の䞖界は既に確固ずしお存圚しおゐお自己組織化に基いおゐるので䜜品によ぀おその䞖界が倉化するこずはない。劂䜕なる䜜者も劂䜕なる䜜品も文孊以䞊ではない。

 或る䞀篇の詩を聎かされるか読むかしおその詩ず瞁があるならばそれが䞖界を倉ぞるのであるよりもその詩が䞖界であるずいふ感じがするこずがあ぀おそれが必ずしも間違぀おゐないずも考ぞられる。䜵しその詩が䞖界であるならばその詩である䞖界ずいふものがやはりあり、それはその詩でもある䞖界であ぀お我々は再び我々がゐる䞖界の䞭に立぀。その詩が䜜られる前はその圢で䞖界であるその詩はただなくおその圢を取぀た䞖界が今はある。䜵しそれはその詩の為に䞖界が倉぀たずいふこずではなくお我々がその詩のこずを考ぞおゐる䞖界である。
吉田健䞀『倉化』

 吉田健䞀が過去に生きおゐるだずか過去を理想化しおゐるだずか反動的に振舞぀おゐるずかいふのは文孊のリテラシむを理解しおゐないだけである。吉田健䞀の文孊の䞖界の時制は垞に珟圚圢であ぀お䜜家達は新しい衚珟方法を暡玢しおゐるが倖来語を含めた新しい長い単語が出珟しおも「いかりや長介ずザ・ドリフタアズ」が「ドリフ」にな぀お「パア゜ナル・コンピュりタア」が「パ゜コン」になり「むンタアネット」が「ネット」にされお「携垯電話」が「ケ゚タむ」に略されおゐるやうに䞉拍或は四泊の単語が倚い状況は倉らないので五音ず䞃音が萜ち着くリズムであるこずに倉化はなくおこの芏範は続いおゐる。意識しおゐなくおも日本語の特性の為に自然ずさうな぀おしたうので䜜家達がより新しい衚珟を探す皋にそれが衝撃的になる䞀方で定着しないで忘れられお行くこずがほずんどで逆に芏範の匷さが印象付けられるこずになる。行き詰たりを芋せおゐるのなら埓来の枠組みに囚れるこずなく自由にすれば門倖挢も関心を持぀やうになり埩掻するずいふ考ぞもあるが叀いものは駄目で新しいものがいいずいふ進歩䞻矩的な芋方が朜んでゐるので吉田健䞀が『文孊の楜み』所収の「新しいずいふこず」に斌お次のように述べるこずになる。

 この頃の文孊界は停滞しおゐるずか、䜕かが埅望されおゐるずかいふこずが蚀はれる時、その背埌には、叀いものは駄目で新しいものがいいのだずいふ考ぞが朜んでゐる。その叀い所で、畳を換ぞるやうな話であるが、たださういふ気がするのでそんなこずを思぀お芋るずいふ皮類のかうした態床を誰も疑はうずしない為に文孊で実際に新しいものが無芖される結果になる。

 凡おは蚀葉の問題に戻぀お来る。本圓に沈滞ずいふものがあ぀お、それが長く続いた埌に蚀葉らしい蚀葉に出䌚぀たならば、その時に受ける印象が新しいずいいふものであり、それが新しさの定矩、或は尺床にもなる。そしおその新しさは倱はれない筈である。略文孊の䞖界では、新しくないものは文孊ではないのである。

 今䜕故吉田健䞀なのかずいふ問ひ掛けは吉田健䞀は叀いものでありそれを今時批評ずしお扱ふの䜕等かの理由が芁るずいふこずだらうがそれに反発しお新しいものに我慢がならないので吉田健䞀を読むずいふのでは新しいものがよくお叀いものは駄目だずいふ前提があ぀おそれなら吉田健䞀の本を開くたでもない。吉田健䞀の文孊の䞖界は芏範に忠実で安定しおゐるがそれは過去ではなくお䜕時でも珟圚であ぀おそれを味う為に吉田健䞀を読むずいふのなら解るずいふものである。吉田健䞀の息の長いセンテンスは忘れかけおゐた蚘憶を手繰り寄せるやうに思ひ起こしお蚘すマルセル・プルりストず䌌お非なるもので䜕時たでも続く芏範の䞖界を蚀ひ衚しおゐる。

 レダが癜鳥に犯されたのがトロダ戊争の遠因をなしおゐるずいふのは神話である。䜵し我々がアポロドロス、或はオノィディりスを読んでゐおこれを過去にあ぀お埌䞖に䌝ぞられた捏造ずは考ぞなくおそれ故にこれが歎史であるこずにならなくおも我々がそこに確かにあるず感じるものはそこにある。それが䜕であるか解らなければならないずいふこずはない筈であ぀お我々の県の前で起こ぀おゐるこずでも我々に解らないこずは幟らでもある。その解るずいふこずに執着するのが我々に蚀葉をその意味を思はせお自分の感芚よりも解説に頌らせるので確実にあるこずを知぀おそこに自分もゐるこずを認めるのはその意味を取るこずでもなければそれが解説の皮になるこずでもない。䜵し䞖界を芋廻しおそこに間違ひなくあるず認められるものはそこにあり、そこにあ぀たのでないのはその感芚を生じさせるものがないからであ぀お我々がものを芋る時の県を䞖界に向ければさうなる。そこにあるものはあ぀お我々に語り掛けるがかういふこずが嘗おあ぀たず語るものはなくおそこにも流れる時間ずいふのは垞に珟圚である。
吉田健䞀『時間』

 芏範に忠実な䞖界は䟋ぞば藀子・F・䞍二雄の『ドラえもん』がさうであ぀お倏目房之介の『マンガはなぜ面癜いのか』によるず「コマの構成がきわめお定型的でわかりやすい」ので「倧小長方圢のコマが知意矩に䞊んでいお、読者は、たったく無理なく芖線を運んで話を読んでゆくこずができたす」。「『ドラえもん』に登堎する人物達は、略ずおもわかりやすい喜怒哀楜の衚情をもっおいたす。笑いは笑い、哀しみは哀しみ、怒りは怒りで、䜕の疑いもない蚘号ずしお安心しお読めたす。それは䞻人公達が䜏む䞖界が、たるで時間が止たったように埋儀な架空の町ずしお描かれおいるこずに通じおいたす。孊校ず家、商店、庭、そしお土管のある空地略。これらの蚭定は、連茉開始の九六幎からほずんど倉わりたせん。登堎人物はもちろん幎をずらないし、同じようなこずがずっず繰り返しおいたす。どんなに奇抜な事件がおきおも必ず元の䞖界の、のび倪の家に垰っおいきたす。のび倪の郚屋は、あれだけズボラな性栌のくせに異様に片付いお安定しおいたす。そしお、䜕よりもドラえもんそのものの造圢が、じ぀に安定した䞞の集合によっおできおいたす」。䜵し『ドラえもん』は挫画の黎明期から続いおゐる䜜品ではなくお『あしたのゞョヌ』や『カムむ䌝』や『ねじ匏』や『倩才バカボン』が発衚されお挫画産業が急速に成長しお行き先鋭的な挫画が次々に登堎しお読者の幎霢局が高くなるずずもに元々の読者であ぀た子䟛達が眮いおけがりにされた時代である。藀子・F・䞍二雄はさういふ子䟛達の為に挫画の芏範に忠実な䜜品ずしお描いたのが『ドラえもん』であ぀お「以埌、じわじわず人気を䞊げ、䜎幎霢局だった読者が懐かしむ圢で局が広がり、今では東アゞア諞囜で叀兞のような䜜品になっおいたす。ここたで『ドラえもん』が定着した理由の䞀぀は、あきらかにその安定したコマず絵の衚珟にありたす。おそらく戊前の『のらくろ』がそうであったように、安心しお読める構造があったのだろうず思われたす。日本のマンガの底蟺を支える䜜品の䞀い぀だず思いたす」。子䟛達は䜜者が誰であ぀おも構はなくおその挫画の力だけで良し悪しを刀断するので挫画が長幎にわら亘぀お蓄積されお圢成されお来た挫画を挫画たらしめおゐる芏範ずいふものが最も説埗力があり、『ドラえもん』はさうした芏範を䜓珟しおいお最も資源的な挫画の魅力を持぀おゐる為に普遍的な叀兞ずな぀おゐる。吉田健䞀は「文孊の実感」に斌お「蚀葉が我々を打぀ずいふ根本的な条件を離しお文孊がある蚳はないのみならず、文孊䜜品で䜕かを行はれようず、我々は最埌に戻぀お行くのは垞に蚀葉ず、蚀葉の䞖界が我々に玄束する自由なのである」ず蚀及しおゐおこの「蚀葉」を「芏範」ず眮き換ぞるず挫画でも同じこずが蚀ぞる。

 掗緎されたものの掗緎を喜ぶのも玠朎にであるこずでそれ以倖の受け取り方があるず思ふ時に我々は俗に堕する、
吉田健䞀『玠朎に就お』

 詩があ぀お人間は人間であるこずを埗おゐるのであり、それを喜ぶのも悲しむのも詩が人間の䞖界を支ぞおゐる。それならば時間は死ずずもに、又この二぀なくしおは䜕かの意味さぞもなくなる人間ずいふものずずもにその是非を論じられるものでなくおこれを個人的に喜ぶか悲しむか、その喜怒哀楜も時間のうちにある。
吉田健䞀『時間』

 定型的な䜜品である皋、文孊の本質的な魅力を備ぞおゐる。吉田健䞀は文孊の定型ずその重芁さも承知しおゐお文孊の䞖界は感情ず䞀臎しお芏範の支配する定型に芆れ安定しおゐる。吉田健䞀の批評が倧切なのは文孊ならではの根源的な芏範から文孊を捉えやうずしおいたからで文孊には文孊の定型ずいふものがありそれをそれずしお味うこずは「俗」に堕さない健康的な姿勢であるずずもに文孊を本質から解぀おゐなければ出来ない。文孊の芏範を解らない儘に本を読んで文孊を楜しんでゐる積りでゐおも実際には文孊ずは党く関係のない所を文孊だず思ひ蟌んでいるだけである。これたで数倚くの批評の方法論が登堎しおその刺戟に慣れお仕舞ひ誰もがや぀おゐるやうな退屈な読解ず感じられるので自分なりの新たな着県点や切り口を芋出しお新鮮な解釈を提瀺するこずが批評だず思はれおゐる。䜵しさうした読解は我田匕氎であるこずが少なくなくお詰らない䜜品もかうしお読めば面癜いずいふやうな無理のある提案で文孊ならではの楜みずは違぀おゐおそれを読んでも文孊の楜みそのものは読者には䌝らない。叀兞的な䜜品はその呚蟺や或る郚分だけに着目する方が新しい解釈が芋付けられる蚳ではなくお芏範を具珟しおゐるから読み継がれお来たので寧ろ芏範を盎芖する方がその䜜品ならではのものが解る。吉田健䞀は䜕時も文孊を読んで楜しんでゐお蚀葉が心を打぀のが文孊であ぀おそれ以倖を耒めるのだ぀たら文孊を読たなくおもいい蚳でその為に文孊を守らなければならないず感じお振舞ひ続けおゐる。吉田健䞀は文孊を誰よりも愛した人間であり吉田健䞀を読むこずで我々は文孊の本質的な楜み方を知る。

 䞖界が平均しお萜ち着いたものであ぀おそこに働きは絶えずあ぀おも波乱ず蚀ぞる皋のものはないからなのだらうか。䞀般に波乱ずいふ颚に呌ばれおゐおその扱ひを受けおゐるものは新聞面で芋れば目を驚かせるものがあ぀おもその新聞を読んでゐる我々はそれを波乱ず考ぞおゐない。それは我々の日々の流れを倉ぞるものでなければそのこずを恐れさせるものもそこにはなくおその為に報道するものの方はなほのこず躍起にな぀お波乱に仕立おられる材料を探す。䜵しそれにはかういふ効甚があ぀お我々はその為にその波乱、怿事も我々にず぀お日垞のこずず考ぞるに至り、それを我々の日垞の䞀郚をなすもので差ぞもなくお新聞面でだけでも怿事を我々が意識する日垞の倉化ず混同しないこずを知るのは必芁なこずである。仮にアラビアの油田党郚が燃えるずいふやうなこずが起るならば珟圚の人達はその察策に远はれるこずにな぀おもそれでもこれを倉化ずは考ぞないに違ひない。それを倉化ず芋る前にその察策を講じるこずが必芁だからでもしこれが功を奏するならばそこから再び倉化を意識する時間がたち始める。
 アラビアの砂挠に油田を焌く炎が昇るのが倉化でない。その火は消さなければならなくお火が消えればそこにアラビアの砂挠があ぀お䞀日の埌に倜が来るこずも砂䞘の圱が玫色にな぀お行くのも解る。この倉化が我々に時間をた぀のかそれたで通り続いおゐるこずも我々が息しおゐるこずも砂挠の向うに地䞭海が葡萄酒の色をした波を起䌏させおゐるこずも我々の意識から逃れなくする。その倉化が我々の息遣ひだからであ぀お息がある間ずいふのは我々が倉化ずずもにある間である。
 吉田健䞀『倉化』
〈了〉
参照文献
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笠原朔、『改蚂版西掋音楜の歎史』、攟送倧孊教育振興䌚、二〇〇䞀幎
柄谷行人線、『近代日本の批評 昭和篇〔䞋〕』、犏歊曞店、䞀九九䞀幎
金田䞀秀穂、『日本語のカタチずココロ』、日本攟送出版協䌚、二〇〇䞃幎
篠田䞀士、『吉田健䞀論』、筑摩曞房、䞀九八䞀幎
枅氎培、『吉田健䞀の時間 黄昏の優雅』、氎声瀟、二〇〇䞉幎
高橋英倫、『琥珀の倜から朝の光ぞ 吉田健䞀逍遥』、新朮瀟、䞀九九四幎
郜甲朔江厎秀林健叞、『自己組織化ずは䜕か』、講談瀟ブルヌバックス、䞀九九九幎
䞭尟俊倫、『英語の歎史』、講談瀟珟代新曞、䞀九八九幎
倏目房之介、『マンガはなぜ面癜いのか』、NHKラむブラリヌ、䞀九九䞃幎
䞹生谷貎志四方田犬圊束浊寿茝柳瀬尚玀。『吉田健䞀頌』、氎声瀟、二〇〇䞉幎
富士川矩之、『新東西文孊論 批評ず研究の狭間で』、みすず曞房、二〇〇䞉幎
堀田地、『゚ピクロスずストア』、枅氎曞院、䞀九八九幎
森毅、『無為の境地!』、青土瀟、䞀九九八幎
淀川長治、『淀川長治の映画塟』、講談瀟文庫、䞀九九五幎
枡邊守章枡蟺保浅田地、『文化ず芞術衚象』、攟送倧孊教育振興䌚、二〇〇二幎
枡邊守章柏倉康倫石井掋二郎、『フランス文孊』、攟送倧孊教育振興䌚、二〇〇䞉幎

ロラン・バルト、『テクストの快楜』、沢厎浩平蚳、みすず曞房、䞀九䞃䞃幎
りィリアム・シェむクスピア、『゜ネット集』、高束雄䞀蚳、岩波文庫、䞀九八六幎
ミシェル・フヌコヌ、『蚀葉ず物─人文科孊の考叀孊』、枡蟺䞀民䜐々朚明蚳、新朮瀟、二〇〇〇幎

『吉田健䞀集成』党八巻別巻䞀、新朮瀟、䞀九九䞉幎
『新朮日本文孊アルバム六九 吉田健䞀』、新朮瀟、䞀九九五幎

『ナリむカ 吉田健䞀远悌特集』䞀九䞃䞃幎䞀二月号、青土瀟
『吉田健䞀 ナリむカ 詩ず批評』二〇〇六幎䞀〇月号、青土瀟

DVD『゚ンカルタ総合倧癟科2008』、マむクロ゜フト瀟、二〇〇八幎

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