がんとアル中 第14話
そうだ、遺影、撮ろう。
遺影、どの写真にしよう……?
人が亡くなったとき、残された家族が地味に悩まされるトピックなのだという。
わかりやすいその人らしさが大切なのはもちろんのこと、本人的には写りの良いものが良いだろうし─たとえもうこの世には居ないとしても。少なくとも私はそう─その人の人生のどのパートを切り取るかというのも重要かもしれない。
義父が亡くなったときの話を聞かせてもらったことがあるのだけれど、今ほど写真のレタッチも一般的ではなかった時分、スナップ写真を元に葬儀屋さんが整えてくれた遺影の仕上がりが別人のようだったのだそうだ。
彫りの深い顔立ちが全体的にツルッとまとまってしまったらしく
義母は「もうちょっといい男だったのよ……」と残念そうだった。
私と夫には19歳の年齢差があるため結婚した頃には既に義父は鬼籍に入っており、義母とも数えるほどしか会話を交わしたことがない。
その中でもかなり印象に残っているエピソードなので「遺影は納得いくものにしておくに限る」という感覚は私の中に強く根付いている。
ちなみにこれは横峰家のちょっとした笑い話らしく、ちょこちょこ話題に上がる。仕方がないと思いつつもみんな気にしているのだ。
だから私は義父を思い出すときには頭の中であの遺影を3割増くらい格好良くして想像するようにしている。
お義父さん、色男ですよ!
さて。
がんを患い、4度の転移を繰り返した末に夫が「遺影に使う写真を決めとこうかな」などと言い始めたときこそ、何を言うか気弱になるな!と怒ったけれど。
私とて明日逝かないとも限らない。

常日頃感じていたことなのですが、夫が撮るスナップ写真の中の私はいつも信じられないくらい不細工で(どこまで悪意を煮詰めたらこんなに頭を長く映せるのかというくらいレンズの歪みをフル活用するのだ!)
あげくそれを平気でSNSに載せるセンスを考えると遺影など任せたら大変なことになる。
うかうか先に死ねないなとも思っていた。
がんって重い病気だし、いざ罹ってしまったときは本人も家族もショックが大きいものの、突然の死とは違って、受け入れたり死に仕度をしたりするのにそれなりの時間を取らせてくれる部分は多少ありがたくもあるよねと夫婦で盛り上がったことがある。
その際ライトな準備には着手しておこうなどと話していたくせに、何ひとつ始めていなかったわたしたち。
悲しみの中、故人の膨大な写真を見返すだけでも残された家族は辛かろう。
ならば写真を選ぶ手間くらいは省けるよう、生前にマイベスト遺影フォトを決めておくのはどうだろうか。
かくしてそれぞれ遺影を準備しようという運びになったのですが
写真館で撮るのはなんだか違う気がした。
私も夫も、ちょっと写真館向きの顔じゃないのだ。どちらかというと見た目がチャラいため
なんぞ綺麗に額に収まった感じの写真なんかを遺影にしようものならお別れの会に来てくれた方の心の中で違和感が仕事しすぎる可能性がある。
印象の強さという点ではそれも悪くはないのだけど。しかし額縁が似合わない顔って悲しいな。
そうなると自然さが魅力のスナップ写真なのですが、どうやって撮ろう?
カメラの向こう側に居る気心の知れた誰かに笑いかけているような、決めすぎてないけど盛れてる顔がベストよね。
そんな写真の撮り方をゆるく調べていたら
マッチングアプリのプロフィール写真用のhow toが遺影に向いていることに辿り着いた。
ちなみに夫は還暦、私の生まれた年も昭和の最後の方。年頃の時分にマチアプなどという便利な代物は存在しておらず、伴侶はひとりで街に出て酒場で探すを信条としておりましたので、
初めて読んだマチアプ用プロフィール写真撮影のhow toがためになりすぎて目から鱗バッサー出た。
他撮りかつ決めすぎていない画角の自然さ、レンズではなく“人”に向けられた視線。なんだかんだで自然光最強。これから出会うであろう生涯の伴侶へ向けた「私はこんな人です」という証明写真、もはや遺影のためと言っても過言ではないメソッド!君に決めた!
遺影をマチアプ最適化する夫婦爆誕です。
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