エッセイ|ドストエフスキーが近すぎる。
※『罪と罰』の序盤の内容に触れています。
私は今、深刻な『罪と罰』のループに陥っている。
夜勤の貴重な三〜四時間。睡魔をどうにか相殺しながら、私は本気でキーボードを叩いていた。……はずだった。
朝を迎えてパソコンを開くと、そこにあったのは一本の完成原稿ではない。
ロシア文学の巨匠、ドストエフスキーの亡霊にジャックされたかのような、支離滅裂な文章の墓場だった。
今日も投稿できる成果物はゼロ。完全なる「ボツ」という名の罰が、私の脳天に振り下ろされる。
そもそも私は、なぜマイホームとワンボックスカーのダブルローンに白目をむきながら働き、それでも深夜にドストエフスキーを読んでいるのか。
すべては、効率よく上達したいからだ。
限られた時間で少しでも前へ進みたい。
今の私は、脳筋ゴリラから頭脳派ゴリラへと進化する途中にいる。だから人間の内面を書く天才から、「一行のキレ」を盗もうと思った。
ところが先輩の作品は、今の私の生活と妙に噛み合いすぎている。
『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、金に困り、罪を犯し、その重さに押し潰されそうになる。
……いや、待って。
「金に困って精神的にのたうち回る」って、それ毎月ローンの引き落としを確認してる私やん。
ラスコーリニコフは「棺桶のような部屋」で悩み続けるが、我が家のキッチンもなかなか負けていない。
均一なブラウンの上から、気持ち程度に白を指で雑に塗り広げたような、絶妙にくたびれた色。
おしゃれな北欧風でもなければ、カフェ風でもない。
ロシアの監獄風である。
ここでコーヒーを淹れているだけで、気分は十九世紀ペテルブルクの貧困青年だ。
私は老婆は殺していない。
ただ毎月、口座から容赦なく金を連れ去る「ローン」という見えない悪魔と戦っているだけである。
一方、ドストエフスキー先輩はというと、ギャンブルで借金まみれになり、締切直前に『賭博者』を書き上げた。
先輩、ちょっと親近感湧きます。
あなたも「書かな全部終わる」という極限状態で原稿を書いていたんですよね。
そう思うと、「全部無理や!」とキーボードに突っ伏した夜勤の三時間も、ちょっとだけロシア文学っぽい。
……いや、違うか。
私、書き上げてへんかった。
朝、まだら模様のキッチンでお湯を沸かす。見慣れていたはずの景色まで、なんとなくペテルブルクに見えてくる。
ドストエフスキーは言った。
「苦痛と恐怖は、広い心と深い精神にとって常に必須である」と。
……そうですか。でもこの苦しさは、次に書く登場人物に全部押しつけたろ。
コーヒーは今日も苦い。
ローンほどではない。
ドストエフスキーほどでもない。
それでも、一行くらいは書けそうな苦さだった。
