宮川泰作曲『無限に広がる大宇宙』のサブリミナル転調/気づかないうちに宇宙の座標がずれている
宮川泰作曲『無限に広がる大宇宙』は、聴いているうちに、いつのまにか別の調へ移っている曲である。
この転調は、いわゆる劇的な転調ではない。
突然、明るくなるわけでもない。はっきりした区切りがあり、そこから別世界が始まるというものでもない。
むしろ、聴き手は転調に気づかない。
気づかないまま、曲の中の宇宙空間だけが、ほんの少しずつ変移していく。無限階段のように。
私はこのような転調を、サブリミナル転調と呼びたい。
和音コード分析
ここでは、旋律を書き下ろさずに、和音コードの機能だけで考えていく。冒頭8小節を、長調基準記法(短調の主和音をVImと表記)で整理すると次のようになる。第9小節以降は第1小節~第8小節に対して長二度下降した相似形になる。
第1小節 VIm
第2小節 V
第3小節 ♯IVm7-5
第4小節 IVMaj7
第5小節 IIIm7
第6小節 ♭IIIMaj7
第7小節 IIsus4
第8小節 II7
第9小節 Vm (三周目ではVIIm。ここで転調に気づく)
このように見ると、冒頭から第4小節までは、VIm → V → ♯IVm7-5 → IVMaj7 という、低音または和音の重心が半音階的に沈んでいく流れとして捉えられる。続く第5小節から第8小節では、IIIm7 → ♭IIIMaj7 → IIsus4 → II7 となり、同じく下降的な感覚を保ちながら、第9小節の新しいVImへ向かう準備が整えられている。
長調基準記法については、以下の解説を参照してほしい。
転調はどこで起きているのか
問題は、この曲の転調がどこで成立しているかである。
一見すると(一聴すると)、転調は第8小節から第9小節にかけて起こっているように思われる。
第8小節のII7は、新しい調から見れば【III7】である。そして第9小節で新しい【VIm】に解決する。したがって、和声上の転調成立点は第9小節の【VIm】である、という見方ができる。
これは自然な分析である。
・旧調で見ると、第8小節はII7である。
・しかし新調で見ると、それは【III7】である。
・そして次の第9小節で【VIm】に着地する。
つまり、
旧調のII7 = 新調の【III7】 → 新調の【VIm】
という読み替えによって、新しい調が成立する。
この意味では、転調が成立するのは第9小節である。第9小節で新しいVImに着地した時点で、和声上は新しい調へ入ったと見ることができる。
しかし、これだけでは、この曲の転調の巧妙さを十分に説明したことにはならないと思う。
第6小節に潜んでいた入口
私は、この転調の入口がさらに前にあると考えた。それが第6小節である。
第6小節の和音は、旧調で見ると♭IIIMaj7である。前後の流れの中では、IIIm7から半音下がった色彩的な和音として聴くことができる。
旧調で見れば、進行は次のようになる。
IIIm7 → ♭IIIMaj7 → IIsus4 → II7
この流れは非常になめらかである。和音が少しずつ下方へ沈んでいくように感じられ、旧調の中だけでも自然に説明できる。だから、ここで転調が始まっているとはなかなか気づかない。
しかし、この第6小節の♭IIIMaj7を、新調から見ればどうなるか。これは新調の【IVMaj7】になる。
旧調の♭IIIM7 = 新調の【IVMaj7】
なのである。
この読み替えによって、転調の見え方は大きく変わる。第8小節のII7が新調の【III7】になるだけでなく、その前の第6小節ですでに新調の【IVMaj7】が現れていることになる。これは新調なら利用頻度の高い和音だ。
つまり、第6小節の時点で、曲はまだ旧調の中にいるように見えながら、実は新しい調の領域へ足を踏み入れている。
新調から見た第6小節以降
新調側から第6小節以降を読むと、進行は次のようになる。【】内が新調。
第6小節 ♭IIIMaj7【IVMaj7】
第7小節 IIsus4【IIIsus4】
第8小節 II7【III7】
第9小節 Vm【VIm】
・第6小節の【IVMaj7】がサブドミナント的な領域を開く。
・第7小節の【IIIsus4】が、属和音へ向かう性格を曖昧に保つ。
・第8小節の【III7】属七で、【VIm】へ向かう方向が定まる。
・そして第9小節の【VIm】で、新しい主和音に着地して、第1小節以降と相似形になる。
こう考えると、転調は第8小節で突然準備されるのではない。第6小節からすでに、静かに転調が始まっている。
契機・準備・成立・確定
この曲の転調は、一点で切り替わるものではなく、段階的に進んでいる。私は次のように整理したい。
・転調の契機は、第6小節の♭IIIMaj7=新調の【IVMaj7】である。
・転調の方向づけは、第7小節のIIsus4=新調の【IIIsus4】である。
・転調の準備は、第8小節のII7=新調の【III7】属七である。
・転調の成立は、第9小節の【VIm】主和音である。
・転調の確定は、第10小節以降の同型進行である。
ここで重要なのは、契機と成立を分けて考えることである。
第9小節の【VIm】で新しい主和音に着地するため、理論上の転調成立点は第9小節といえる。しかし、聴感上の仕掛けとしては、第6小節からすでに転調が始まっている。第6小節の♭IIIMaj7が、旧調では色彩的な下降和音として隠れながら、新調では【IVMaj7】として機能し始めているからである。
この二重性こそが、サブリミナル転調の核心である。
なぜ転調に気づきにくいのか
第一に、旧調の中での説明が自然だからである。
第5小節から第8小節までを旧調で見れば、
IIIm7 → ♭IIIMaj7 → IIsus4 → II7
という下降的な流れになる。
この流れは、和音が少しずつ沈んでいくように聴こえ、転調のための準備というより、曲想の深化として受け取られる。
第二に、第7小節のIIsus4が曖昧さを保っているからである。
sus4は和音の性格を一瞬ぼかす。これによって、第8小節のII7が新調の【III7】として働く準備をしていても、それがあからさまには聞こえない。転調の予告が、意識の表面に出てこないのである。
第三に、第9小節で新調の【VIm】へ着地しても、それが突然の到達に感じられないからである。
すでに第6小節から新調側の進行が潜伏しているため、第9小節の【VIm】は驚きではなく、必然のように響く。
第四に、転調後の進行が前半の型を引き継ぐからである。
聴き手は、別の調へ移ったというより、同じ宇宙がさらに続いているように感じる。形式上は反復に聴こえる。しかし、実際には調の座標が移動している。
転調を聴かせない転調
多くの転調は、聴き手に気づかせるために使われる。
盛り上げるため、場面を変えるため、感情を高めるため、新しい世界に入ったことを示すためである。
しかし『無限に広がる大宇宙』の転調は、それとは違う。
転調そのものを聴かせるのではなく、転調に気づかせないことで、宇宙的な広がりを生む。
いま自分がどこにいるのか、はっきりわからない。
けれども、気がつけば前とは違う場所にいる。
この感覚が、曲名の『無限に広がる大宇宙』とよく合っている。宇宙は突然切り替わるのではない。果てしなく連続しているように見えながら、座標だけがいつのまにか変わっている。
第6小節から始まる新しい宇宙
第6小節の♭IIIMaj7を新調の【IVMaj7】として読むことで、この曲の転調は、単なる第8小節から第9小節への和声的処理ではなくなる。
それは、第6小節から静かに始まる、気づかれない重力圏の移動になる。
だから私は、この転調をサブリミナル転調と呼びたい。
転調は第9小節で成立する。
しかし、その契機は第6小節にある。
そして、その第6小節は、旧調と新調の共有点でもある。
この二重の読みが、聴き手に転調を意識させない。
だが、音楽の内部では、すでに新しい宇宙が始まっているのである。
以上、音楽の話でした。
*『無限に広がる大宇宙』:1974年のテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』のために宮川泰(みやがわ・ひろし)が作った劇伴曲の一つ。スキャット:川島和子。アニメの原案:西﨑義展。監督:松本零士。放送局:読売テレビ系。制作:よみうりテレビ・第一放映・オフィスアカデミーほか。
