本よ、わたしを助けろ!⑤──業、そして歴史。
⑤からもお楽しみいただけますが、よろしければ①からどうぞ。
本よ、わたしを助けろ!①──早稲田大学で元気いっぱい挨拶できるようになるまで。
信田さよ子を知る
心理学に関わる本をたくさん読んできた。河合隼雄はオウム真理教の事件をきっかけにしてプリミティブな物語に興味を持っていたことから、御伽草子研究をしていたわたしの問題意識と結びつく点が多かった。現代思想の勉強の中でフロイトやユングに触れたりもした。わたしの感想は一貫して「おもしろいなあ」だった。
そんなわたしの胸ぐらを掴んで鮮やかに一本決めたのが、臨床心理士・信田さよ子の本だった。
精神科病院でアルコール依存症患者を診ながら依存症について知見を深めてきた信田は、その流れで女性の問題にも取り組むようになる。社会学的なものの見方が必要になると判断した信田は、上野千鶴子研究室に顔を出すようになり───
上野千鶴子……?
ここで、上野千鶴子なんだ!?
フェミニズム界隈では誰もが知るひと、上野千鶴子。入り口付近でモジモジしていたわたしは、とても手をのばせずにいた。まあ、まずは心理学の方へ行ってますわ…と扉を離れたはずが、まさかの方向からぐいと引き戻されたのだ。
信田の語り口にひっぱられて、考えたこともない疑問が湧き出る。
「病んでるのはその人だって、病んでるのはその人にだけ問題があるって、ほんとう?」
「依存症は甘えって言うけど、その人の問題って言うけど、じゃあその人の周りにいた人たちは全員健全で、その人が身を置いている社会も健全で、その人だけがおかしくなったっていうの?」
河合隼雄の言葉は、わたしの痛みを撫でてくれたが、解体してはくれなかった。そこにヒビを入れたのが、信田さよ子だった。
わずかなヒビの奥から、これまで学んだことが溢れてくる。ヒビは次第に広がり、何かが二つに割れた音がした。
「わたしは、わたしを、なんだと思ってたんだ?」
二つの殻を従えて、にゅっと手をのばした。
本よ、わたしを助けろ!
こんにちは、武蔵野市。
ポン子が小学校4年生になるのと同時に、東京都武蔵野市に引っ越した。9年ぶりの東京である。
引越し先に関しては、調査を重ねた。夫の通勤の便がよく、公立小中学校の評判がよく、緑が多く、運動できる公共の施設が充実していて、家賃が高すぎない……と、家族全員の幸福を叶える場所を探していたら、武蔵野市になった。そんなそんな人気No. 1過ぎやしないかと思ったが、エリアによっては幾分か安く住めることがわかったので、そのあたりを目指すことにした。
4月。9年ぶりに3人で見るソメイヨシノにビビりながら(釧路にはソメイヨシノがないんだよ。寒すぎるからだね。その代わりタンポポが覇者のごとく咲き誇るよ)武蔵野市中央図書館に初めて行った時の悲しみを忘れない。
そこの雑誌コーナーには「國語と國文学」が置いてあったのだ。思わず夫婦でうつむいた。
なんてひどいんだ。これが東京か。なんでこんなものがさらっと置いてあるんだ。住む場所によってこんなに変わっていいのか。
釧路市民のわたしが、悔しさと羨ましさの悲しみに燃えた。
東京に居て、いくら地方格差について勉強したとて、わかっていないことばかりだった。
図書館がない地域がある。図書館があっても、そこへ行けない人がいる。図書館が動いていても、本の新陳代謝が十分にできているとは限らない。
専門書を有する余裕のある図書館がある場所に住むこと、それ自体の有難さを、悲しい気持ちで噛み締めた。
夫婦で「釧路に骨を埋めようか。それもきっと楽しかろう」と言っていた先の、別の世界線のわたしに対峙する思いだった。
どこにも行けなくて、アパートの前。車道の側に立って壁となり、街路樹の根元の砂で遊ぶ赤子を見守り続けたあなた。これからわたしは、あなたの代わりに本を読む。
人の出入りが多くて風通しの良い土地であった釧路は、外から来て子育てするわたしたちをたくさんサポートしてくれた。新型コロナで人々の気持ちが軋んだ時も、広大な土地の圧倒的ソーシャルディスタンスが守ってくれた。良くしてもらうばかりだったから、すっかり忘れていた。それを思い出すきっかけになったのが、交通事故の一件だった。
わたしは自分の言葉がシステムによって押しつぶされそうになったとき、新しい言葉を探せないこと、考えを深められないことが、何よりも苦しい人間だったのだ。それはどんなに人に優しくされても手放せない、わたしの業だったのだ。
事故の話には、続きがある。
「ゴッドファーザァーッッッッ!!」と叫んだあと、世を恨んでドン・コルレオーネの権力構造にどっぷり呑み込まれなかったのは、ひとりの新聞記者と繋がることができたからだった。
慰謝料をもぎ取っても、保険会社の不誠実によって被った不利益のことが「問題」として扱われない現実は変わらない。調べてみると、わたしと同じような思いをして泣き寝入りを強いられた人がたくさんいた。
同じ時期に、ある自治体で生活保護の「水際作戦」が行われていたことが報道された。わたしが目にした記事では、被害にあった人たちが一丸となってその事実を認めさせ、自治体が公的に謝罪するまでが記されていた。読んでみると、「水際作戦」と今回の保険会社の態度が、とても似ていることにおどろいた。
わたしはTwitter(現・X)から、その記事を書いた記者にメッセージを送った。今回の事故を通して初めて知った現行法の不十分さと、それによって涙を飲んできた人がたくさんいることを記事にしてほしいと願い出たのだ。
今はまだ自衛しかできないが、自衛には知識を要する。涙を飲んできた人のほとんどは、保険会社の「できません」や「そういうことになっています」といったグレーな断言と圧力に流されて「そんなものなのかなぁ…」と思わされていたからだ。そんな人が少しでも減って欲しいと思った。
彼女からすぐに「記事にさせてください」と返ってきたとき、事故に遭ってから初めて、肩から力が抜けた。言葉が、通じた。そのことが、何よりも嬉しかった。
その後「社内で大まかに記事にできる地域が決まっていて、北海道でのことを記事にするのは難しい」ということが判明し、残念ながら記事にはならなかったけど、「よい記事だ」と思った記事を書いた人がすぐに応じてくれたことで、わたしは社会への信頼を取り戻した。
彼女は何回かやり取りを続けてくれた。記事にできないことを本当に残念に思うこと。自分はこのような問題を重く捉えているのだが、同じ組織内でも問題意識を共有できる記者がほとんどいないので、「では北海道を担当する者の方で記事にしましょう」と言えないのが悔しいことなど、色々と教えてくれた。
できないことがある。でも、思いを同じくしてくれる人が、同じ世界に居る。
言葉を諦めずに済んだ。
そんなわたしの前に、もう一度本の海原が広がったのだ。
「歴史」との再会
武蔵野市の図書館に通えるようになって、大型書店に足を運べるようになって、「今」のフェミニズムを知ることが可能になった。
この9年間で、なんとたくさんの本が出ていたことだろう!
バックラッシュのあいだ、気になりながらも息をひそめてフェミニズムを待っていた人のための本が、ポンポンと出版されていた。
上野千鶴子、田房永子
『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』
タビ・ジャクソン・ジー著、フレイヤ・ローズ著、惠愛由訳
『それ、フェミニズムに聞いてみない? 日々のもやもやを一緒に考えるフェミニスト・ガイド』
アルテイシア
『フェミニズムに出会って長生きしたくなった。』
清田隆之(桃山商事)
『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門 ――暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信』
みずみずしい言葉の数々!
額の傷跡に上野千鶴子『家父長制と資本制』をペタンと貼るころには、フェミニズムへのビクビクとした気持ちは吹っ飛んでいた。
ここに至るまで必要だった前提として、原田大介『インクルーシブな国語科教育入門』で知った「マジョリティ性」「マイノリティ性」という腑分けがある。
それまで「マジョリティ」「マイノリティ」について考える時、わたしは「マジョリティの人」「マイノリティの人」として想像していた(その根底には白黒思考がある)。そうではなく、1人の人間の中に「マジョリティ性」と「マイノリティ性」の両方が含まれていると考えたとき、解像度が飛躍的に高まった。そこから、わたしがモジモジしていた理由もひとつ明らかになった。
「感謝しなさい」と教育されてきたわたしは、常に自分をマジョリティ側に、さらに言えば加害側に、置いてきた。幸福感無しに感謝をするためには、自分が恵まれている理由を探すほかなかった。情報収集能力が低かった幼児の頃には、物質的豊かさに感謝の糸口を見出した。その感謝を維持するため、環境破壊と引き換えの豊かさを享受する者としての加害者意識を刻み込んでいたのだから、加害者意識の歴史は長い。その意識が、マイノリティ・被害者のためのものに手をのばすことを憚らせたのだ。
交通事故の慰謝料を「もぎ取った」と思っていたのも、そのあらわれだ。弁護士が要求したのは、負傷していなければ通常通り行うことができたはずの、わたしの労働の対価だった。慰謝料は、「不払い労働」であったわたしの仕事が初めて貨幣に換算されたものだった。にも関わらず、わたしは「ゴッドファーザー」と口にしなければ、要求にすら踏み切れなかった。それは、当然の権利であるはずのものを欲しいと思うことすら抑圧されてきた(そして何事にも男性の許可をとることが求められた)女性の歴史を象徴していたのだ。
同時期、心理学関連で発達障害当事者研究の本へも手がのびるようになった。
その中でも特に面白かったのが横道誠の本だった。文学者という立場で当事者研究をしている彼の言葉には、共感できる点が多かった。容赦ない共感の嵐は、個人的であると思っていたあらゆることが社会構造に関わっている可能性を浮かび上がらせた。横道誠から精神科医・松本俊彦の本につながっていくと、またそこで「依存症」のワードが出てきた。
やはりこのあたりなのだろうか…と再度依存症について調査して精神科医・斎藤学に流れついたら、信田さよ子とかつて職場を同じくしていた人だと知った。その中で出会ったのが、この一冊。
A.W.スミス著、斎藤学監訳、和歌山友子訳
『アダルト・チルドレンの子どもたち もう一つの共依存』
そこに書かれていたのは、目に見えないけど確かに痛んでいる、深い傷の歴史の話だった。
歴史。
「個」として責任を負え、という新自由主義の時代の空気を吸って育ってきたわたしからは、遠いところにあった言葉。
そう言えば夫は国語科教育史研究で博士論文を書いていた。大津先生も石原先生も生方先生も、常に歴史的視点を携えておられた。そして、「ゴッドファーザー」と口にしたわたしもまた、「女性」の歴史の中に居た。
近くて遠かった「歴史」という言葉に、わたしは再び出会った。
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大好きな家族のために生きて死ぬはずだった人生に、大変化起きる。
本よ、わたしを助けろ!⑥──ただいま。
