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「構造ず力」から「シン・゚ノァンゲリオン」 に至る

1988幎、パルコのショヌりィンドりの前に䜇む、赀ず黒のNSR250R。 それはホンダが䜜った最匷のサヌキット・マシンでありながら、同時にセゟン文化ずいうポストモダンの蚘号をたずった、郜垂の「知的おもちゃ」でもあった。 浅田地の蚀葉に眩暈を芚えた地方出身者の芖線の先で、あのSEEDカラヌの2ストロヌクは、バブルずいうあたりにも刹那的な党胜感を乗せお、軜やかに珟実から逃走しおいったのだ。 その埌に蚪れる、あのドロドロずした実存の地獄など、ただ誰も知る由もない、矎しき蚘号の時代。



序出䌚いの回路

 今ずなっおは、浅田地ずいう人、ゞル・ドゥルヌズ、フェリックス・ガダリ、ゞャック・デリダの名前を田舎の高校生に教えおくれた、ずいうのがすべおで、その埌の圌自身の蚀葉が届かなくなったのは残念だ。

 浅田地氏が『構造ず力』や『逃走論』で果たした最倧の功瞟は、それたで倧孊の象城的な象牙の塔や、䞀郚のむンテリだけのものだったフランス珟代思想ドゥルヌズガタリ、デリダ、ラカンなどを、ポップ・カルチャヌず同列の「最高にクヌルな知的おもちゃ」ずしお提瀺したこずだった。

 地方の、むンタヌネットもない時代の高校生が、本屋の棚でそれらの名前に出䌚い、䞖界の芋方がガラリず倉わるような知的興奮を芚えた――その回路を開いたこずの䟡倀は、どれだけ時間が経っおも色耪せるこずはないのだが。


第䞀章届かなくなった蚀葉──䞉぀の理由

 䞀方で、「その埌の圌の蚀葉が届かなくなった響かなくなった」ずいう感芚を抱く人は少なくないはずだ。

 「逃走」のスタンスそのものの限界はあったのだろう。

 圌はか぀お「歎史の終わり」や「シニカルな知的遊戯」を軜やかに説いたが、90幎代以降、䞖界がシャレにならないレベルで耇雑化・泥沌化栌差、テロ、分断、ネット瀟䌚の到来などしおいく䞭で、か぀おの「軜やかな逃走」ずいうステップが、珟実の課題に察する有効な批評になり埗なくなったずいう偎面がある。

 批評の察象が「アヌト」ぞ移行したこずもある。

 浅田氏はその埌、思想そのものを展開するよりも、京郜芞術倧孊などで教鞭を執り぀぀、矎術、音楜、建築などの珟代アヌト批評ぞず軞足を移したようだ。そのため、か぀おのような「生き方や䞖界の読み方をアップデヌトしおくれる思想家」ずしおの発信を期埅する局からは、蚀葉が芋えにくくなったあるいは届きにくくなったのかもしぬ。


「若者の神話」ずしおの消費ずいうものが困難ずなった。

 ニュヌ・アカ自䜓が、バブルぞ向かう時代のあぶくのような「若者文化」ず寝たからこそ爆発したものだったのだ。時代が倉わり、圌自身も幎霢を重ねたずき、か぀おのような党共闘䞖代ぞのカりンタヌずしおの茝きを維持するのは構造的に難しかったずも蚀える。

第二章知の起爆剀ずしおの『構造ず力』『逃走論』

 「名を知らしめた、ずいうのがすべお」ずいうのは䞀芋、蟛口な評䟡のようだが、しかし、それ自䜓が最倧の文化的テロリズムであり、圌にしかできなかった偉業だったずも蚀えるかもしれない。

 圌が翻蚳・玹介したドゥルヌズの「リゟヌム根茎」や、デリダの「脱構築」ずいう皮火は、浅田氏本人の手を離れ、それを手枡された圓時の地方の高校生たちやか぀おの若者たちの䞭で、今も圢を倉えお生き続けおいるように思う。

 っおいうか珟に、リゟヌムも脱構築も圌の本で知った蚀葉だった。
たさに、あの時代の『構造ず力』や『逃走論』は、そうした難解な抂念を鮮烈なデザむンずずもに脳内に叩き蟌んでくる「知の起爆剀」だったのだ。

 「リゟヌム根茎」や「脱構築ディコンストラクション」ずいう蚀葉は、それたでの「これが正解」「これが䞭心」ずいうガチガチの瞊瀟䌚や、䞀本道のストヌリヌをひっくり返す、最高の歊噚のように芋えたものだ。

 リゟヌムドゥルヌズガタリずは、倧暹のように䞀぀の幹から枝分かれするツリヌ型のではなく、雑草の根のように、䞭心もなく䞊䞋もなく、あちこちでゲリラ的に繋がり合う関係性であり、

 脱構築デリダずは、「善悪」「西掋東掋」「男女」ずいった、䞖の䞭の圓たり前ずされおいる二項察立の枠組みそのものを、内偎から揺るがしお解䜓しおいく䜜業であった。

 田舎の高校生にずっお、これらの蚀葉は単なるお勉匷の甚語ではなく、「今ここにある退屈な日垞や、倧人たちの抌し付ける䟡倀芳から『逃走』するためのパスワヌド」のようだったのかもしれない。

 むンタヌネットがなかった時代、それらの蚀葉を知っおいるこず自䜓が、どこか遠くの、ただ芋ぬ自由な䞖界ず繋がっおいるような感芚をくれたのかもしれない。


第䞉章パラノスキゟの倱効──1995幎ずいう転換点

 か぀おの「軜やかな逃走」ずいうステップが、珟実の課題に察する有効な批評になり埗なくなったずいう偎面に぀いお。それは、バブル期ず、その䜙韻がただ残っおいた時代だから成り立ったものだったのだろうか。需芁は、゚ノァの解釈の方に奪われた。則ち若者の内面はちょっず深刻な方にシフトし始めたように芋える。

 浅田地氏が提瀺した「パラノパラノむア䞀぀の堎所に留たり執着する」から「スキゟスキゟフレニア軜やかに逃走し暪断する」ぞ、ずいうモデルは、経枈的にも豊かで「䜕を遞んでも生きおいける」ずいうバブル期の党胜感䞇胜感があっお初めお機胜する、極めお莅沢な知的ゲヌムだった。

 しかし、90幎代半ばを境に、日本の若者を取り巻く空気は䞀倉する。

 1995幎ずいう決定的な転換点が、たず思い浮かぶ。

 阪神・淡路倧震灜ずオりム真理教事件が起き、バブルが完党に厩壊したこの幎、䞖界は「軜やかに逃走できるほど甘い堎所ではない」ずいう珟実を突き぀けた。

 どうなったか 「逃走」から「匕きこもり実存」ぞずシフトしおいったのだ。

 浅田氏の思想が「倖ぞ向かっお軜やかに逃げる」ものだったのに察し、1995幎に攟送された『新䞖玀゚ノァンゲリオン』が描いたのは、「逃げちゃダメだ」ず呟きながら、傷぀き、自分の狭い内面に匕きこもらざるを埗ない若者の姿だった。

 若者たちの需芁は「蚘号を消費しお軜やかに遊ぶこず」から、「この壊れかけた䞖界で、傷だらけの内面リアルずどう向き合うか」ずいう深刻な実存の問いぞず完党にシフトしたのだ。

 浅田氏のスマヌトでシニカルな蚀葉は、゚ノァに代衚される「セカむ系」の、泥臭くも切実な自意識の叫びの前に、急速にリアリティを倱っおいった。時代の䞻圹が「思想ニュヌ・アカ」から「サブカルチャヌアニメ・批評」ぞず亀代した瞬間でもある。

第四章スキゟずいう蚀葉の倉質──浅田から庵野ぞ

 奇しくも庵野秀明がどこかで「スキゟフレニヌ」ずいう蚀葉を、最初聎いたずきずは埮劙に違うニュアンスで䜿ったのを目にしたこずがある。

 浅田地氏が『逃走論』などで提瀺した「スキゟ分裂症・スキゟフレニヌ」は、資本䞻矩のコヌドを軜やかにすり抜け、ひず぀の堎所に定着せずに逃げ続ける、いわば「ポゞティブでスマヌトな自由人」のシンボルだった。

 しかし、庵野秀明監督が『゚ノァンゲリオン』の文脈、あるいはあの時代のドキュメンタリヌやむンタビュヌで攟った「スキゟ」のニュアンスは、それずは決定的に異なっおいた。

 庵野氏の蚀うスキゟフレニヌあるいは分裂病的な気質ずは、軜やかな逃走などではなく、「珟実ず虚構の境界線が厩壊し、自他の茪郭がドロドロに溶け出しおしたう恐怖」であり、文字通りの粟神的な危機や、瀟䌚に過剰適応できない若者の「リアルな病理」そのものだった。実際、庵野監督自身が゚ノァ制䜜圓時に極限の粟神状態鬱病や解離的な状態に远い蟌たれおいたこずは有名だ。

 思想家が「おしゃれな最先端のコンセプト」ずしお消費しおいた蚀葉が、アニメ䜜家の手によっお「血の流れる珟実の傷口」ずしお突き぀けられたのだ。

第五章パラノスキゟの二項察立の厩壊

 スキゟずパラノは察立項ではなかった、なくなったのだ。

 浅田氏のモデル『構造ず力』『逃走論』では、䞖の䞭は綺麗でスマヌトな二項察立ずしお描かれおいた。

 則ち、パラノ偏執病ずは 囜家、組織、家、過去の因習に執着し、そこに瞛り付けられる叀い生き方であり、スキゟ分裂病はそこから軜やかにステップを螏んで、自由に、流動的に逃げ去る新しい生き方を指しおいた。

 ここでは、パラノ「敵・叀い䜓制」であり、スキゟ「味方・オルタナティブな自由」ずいう明快な察立軞があったわけだ。

 しかし、90幎代半ば、庵野秀明氏が盎面し、゚ノァが描いおしたった䞖界においお、この二項察立は完党に厩壊した。

 スキゟ分裂的な状態ずは、パラノ匷固なシステムから軜やかに逃れた先にある自由などではなく、「パラノ他者、瀟䌚、父芪ゲンドりずの境界線が匕けず、自己がバラバラに解䜓されおいく底なしの地獄」そのものになっおしたった。぀たり、パラノの察立項カりンタヌずしお機胜するのではなく、「パラノずいう他者ずたずもに地続きのコミュニケヌションが取れないこずによる、自閉的な自己厩壊」ずいう、党く別の次元の病理ずしお立ち珟れたのだ。

 逃げた先には、自由なリゟヌムの草原など広がっおいなかった。ただ、自分ず䞖界の境界線を芋倱い、ドロドロに溶けおいく「LCLの海」があるだけだった――。

第六章「その埌」を匕き受けなかった思想家ぞの問い

 なんずいうかな、浅田氏には、ちゃんずその蟺から埌の面倒を芋おもらいたかったな、ず。思想はどう倉遷するのかを芋たかった。

 そこから先の、地獄のような珟実ず化した思想の「その埌」を、圌がどう匕き受け、どう蚀葉を線み盎しおいくのか。少なくずも、オレはそれを芋届けたい読者だった。そしお、『構造ず力』ずいう時代を画した仕事を曞いた以䞊、その埌の䞖界に぀いおも、圌自身の蚀葉で語り続けおほしかったずいう思いが、今も残っおいる。

 『構造ず力』ずいうあたりにも矎しいチャヌトを描いお芋せ、『逃走論』で「逃げろ」ず煜った匵本人が、いざ若者たちが本圓に䞖界の底抜け底なしのスキゟ状態に盎面し、泥沌の䞭で血を流し始めた途端、思想の珟堎から静かにフェヌドアりトしおしたった。

 「蒔いた皮がどう倉異し、どう䞖界を蝕んだのかあるいは救ったのか」の定点芳枬を攟棄されたような寂しさず、ある皮の裏切られたような感芚は、あの時代を誠実に生きおいた人ほど匷く残っおいるのではなかろうか。

 もし圌が、90幎代埌半以降の「セカむ系」や「ネット瀟䌚の分断」、そしお「境界線を倱った若者のリアルな病理」から逃げずに、思想のアップデヌトを詊みおいたら、䞀䜓どんな蚀葉を玡いでいただろう。

 「逃走の終わり」のその先はどんなんだったか。それは、どこにも逃げられない閉塞した䞖界たさに『゚ノァ』の閉じた䞖界芳においお、それでもなお「脱構築」や「リゟヌム」を駆動させるための、泥臭い実践の思想だ。

 すべおを冷笑し、パロディ化しお消費するバブル的態床が、巡り巡っおネットの「匿名的な悪意」や「冷笑䞻矩」ぞず盎結しおいった珟実に察する、思想家ずしおの冷培な自己批刀ず総括も聞きたかった。

 そうした「思想の倉遷」や「傷を負った思想」の姿をリアルタむムで提瀺しおくれおいれば、その埌の日本の批評空間も、私たちの䞖界の捉え方も、もっず違う足堎を持おおいたのかもしれない。

 圌はその埌、矎術やクラシック音楜の批評、教育の珟堎ぞず軞足を移した。しかし、私が期埅しおいたのはそこではなかった。あの明晰な頭脳で、ドロドロに溶けた「LCLの海」にたで手を突っ蟌み、「逃走」のその先を語り盎しおほしかったのである。

第䞃章思想の䞍圚ず゚ノァずいう神話

 それがあったら、「シン・゚ノァンゲリオン」はなかったかもしれないが。

 もし浅田地氏が、あるいはあの時代の思想が「逃げた先の地獄」から目を背けずに蚀葉を玡ぎ続け、若者たちの実存の足堎を支える思想のアップデヌトに成功しおいたら――。

 庵野秀明ずいう皀代の衚珟者が、時代党䜓の「深刻な自意識の病理」を䞀身に背負い、たった䞀人で衚珟の血を流しながら、25幎もの歳月をかけお『シン・゚ノァンゲリオン』ずいう「巚倧な個人的・時代的総括あるいはカりンセリング」ぞずたどり着く必芁は、本圓になかったのかもしれぬ。

 思想が「機胜」しおいれば、アニメは「神話」にならなかった。本来、瀟䌚の歪みや粟神の危機を分析し、人々に「生きるための座暙軞」を䞎えるのは思想や哲孊の圹割だ。しかし、ニュヌ・アカがバブルず共に雲散霧消し、思想がその「面倒を芋る」こずを攟棄したため、その巚倧な空癜空虚に庵野氏ず『゚ノァ』が䞞ごず嵌り蟌んでしたったのだ。

 結果、思想が瀟䌚の共通蚀語ずしお機胜しにくくなり、その空癜をサブカルチャヌが肩代わりをさせられたように芋える。 若者たちは、生きる指針を珟代思想ではなく、゚ノァずいうアニメの「謎」や「キャラクタヌの病理」に芋出さざるを埗なくなった。

 浅田氏がスマヌトに逃げ去った戊堎で、庵野氏は「逃げちゃダメだ」ず叫ぶシンゞ圓時の若者、そしお自分自身をどう救うかずいう問いに、四半䞖玀にわたっお捕らわれ続けるこずになった。

 2021幎に完結した『シン・゚ノァンゲリオン劇堎版』は、庵野氏がドロドロのLCLの海境界のないスキゟの地獄から、他者のいる珟実の䞖界ぞず、25幎かけお力技で「脱構築」を成し遂げた䜜品だった。あれはアニメの圢を借りた、壮絶な「時代の決算」だったのだ。

 もちろん、そんな思想が提瀺されおいたずしおも、『シン・゚ノァンゲリオン』が生たれなかったずは蚀えない。しかし、あれほど長い歳月をかけお、䞀人の䜜家が時代党䜓の粟神史を背負わなければならなかった状況は、違ったものになっおいたのではないか――そんな思いは拭えない。


「思想の䞍圚」が、䞀人の倩才の人生を四半䞖玀瞛り付け、同時に日本のアニメ史に空前絶埌の神話を生み出しおしたった。

終章翻蚳者の仕事、そしお留保

 それでも、『構造ず力』が私に䞎えおくれた衝撃たで吊定する気はない。地方の高校生だった私に、ドゥルヌズやガタリ、デリダずいう名前を教え、「䞖界は別の芋方ができる」ず知らせおくれた。その功瞟は、今もなお消えない。
 だからこそ、その続きを聞きたかったのである。

 思えば、圌は ドゥルヌズ や デリダ の思想を日本語圏に“茞入”し、それを「䜿える抂念」ずしお提瀺した、「翻蚳者媒介者」だったのだ。

 茞入者は埀々にしお「その埌の地獄」を匕き受けない。茞入した思想が瀟䌚でどう倉異し、どう誀読され、どう暎走するか――
 そこたで面倒を芋るのは、本来は思想家の仕事だが、浅田はそこたで螏み蟌たなかったずいうこずだ。

 䞀方で、確かに、90幎代埌半かられロ幎代にかけお、実際には別の論者たちが「その埌」を匕き受けおいたずいう事実がある。宮台真叞は揎助亀際やオりム以埌の若者論で、倧塚英志はサブカルチャヌ論で、東浩玀は『動物化するポストモダン』でたさに「セカむ系」やオタク的自意識を思想の蚀葉で捉え盎そうずした。぀たり「思想の空癜」ずいうより、「浅田個人がそのバトンを持たなかった」だけで、思想の蚀説自䜓は空癜ではなかった、ずも蚀える。

 そういうこずなのだ。


いいなず思ったら応揎しよう