唐津街道7 今福→日ノ浦〔完〕
唐津街道は、北九州から玄界灘沿いに唐津までを結ぶ道で、古代より大陸からの物流を運ぶ重要な道でした。
安土桃山時代には豊臣秀吉の九州平定や朝鮮出兵に、江戸時代には参勤交代にも使われていました。
冬の街道歩きは三年連続で九州、2024年長崎街道、2025年薩摩街道、2026年は唐津街道を歩きます。
2026.03.23
1.今福

街道歩きでは毎日洗濯をして、部屋で干しています。
乾きやすい服なので、冬でも夏でも乾燥機なしで確実に乾きます。

荷物はショルダーバックひとつ。
リュックの場合、背中全体に汗をかきますが、ショルダーバックだと背中の接地面積が少なくなり交互に担げるので快適。
さらに洗濯機で洗えるので、夏のリュックの異臭から解放されます。

シューズはasicsトレラン用GORE-TEX。
足マメ予防で、五本指ソックスを履いてます。





よく考えたら、玄海原発の近くを歩いていたのですね。

今福と書いて、"いまぶく“と読みます。



愛宕神社の階段参道。
一瞬登るか迷いましたが、膝が完治していませんので断念。
妙に背が高い鳥居が気になります。



港町の裏通りには、妙な趣があります。
港町の裏通りといえば、北陸道の筒石宿の街道沿いが印象的でした。

新潟県糸魚川市
船宿が残っています。
これがあるだけで、期待が高まります。

新潟県糸魚川市
そして街道はいつの間にか港町の路地裏に入り込んでいきます。
自動車が走れない道幅。

新潟県糸魚川市
猫もゆったり。

新潟県糸魚川市
よく見ると建物は三階建てです。

新潟県糸魚川市
なんと商店もありました。
北陸道筒石宿を歩いた時の記録はこちら↓
唐津街道に戻ります。


昨日から振り続けた雨もあがり、日の出前の穏やかな朝をむかえています。

この鳥居、低すぎます。

どうしてこんなに低いのでしょう。
先ほど見た愛宕神社の鳥居はあんなに高かったのに、両極端さが不思議です。




穏やかな湾の風景に癒されます。


調川(つきのかわ)町。
"調"と書いて"つきの"と読みます。
この読み方を見ると、中山道浦和宿の調神社を思い出します。
読み方は"つきじんじゃ"、地元では"つきのみや"と呼ばれています。

調神社には大きな特徴がふたつあります。
一つ目が鳥居がないこと。
古代の調神社は、伊勢神宮へ奉納する調物(みつぎもの)を集積する倉庫の役割を担っていました。その調物を運ぶ際に、鳥居が邪魔になったために鳥居を建てなかった、との説があります。

さいたま市浦和区
狛犬ならぬ狛兎。

さいたま市浦和区
境内には兎が沢山います。
調(つき)の読みが月で月の使いが兎、そんな理由から兎が祀られる様になったとの説があります。
中山道浦和宿の調神社を訪れた日はの記録はこちら↓
唐津街道に戻ります。


松浦党(まつらとう)。
平安〜鎌倉時代に松浦市から平戸付近までを本拠地とした、水軍・武士団の組織。近世では平戸藩主として活躍しました。
2.松浦宿


アジの水揚げ日本一の港が、この地にあるとは思いもよりませんでした。
この様な発見があると、得した気分になります。

簡易郵便局の佇まいが、局ごとに個性が発揮されていてとても好きです。
上の画像の前浜簡易郵便局は、どう見ても新興住宅地の戸建て住宅ですね。

市場の食堂が、関係者向けに朝からやっている様なので、入れるか立ち寄ってみます。

松浦アジフライ大使の、西浦ありさがお出迎え。

2軒営業しており、1軒は10:30まで関係者以外お断りで、もう1軒は入っても良さそうなので恐る恐る入店。

多くの関係者が食事を食べている中、ふんわりとしたアジフライ定食を美味しくいただきました。







遠くなら見えていた発電所が迫ってきました。



松浦市は本気でアジフライで地域活性をしているようです。
先ほど立ち寄った食堂、週末は混みそうですね。

元寇(げんこう)襲来。
歴史音痴の私にとって、教科書で目にした記憶が朧げにある程度の単語です。
調べてみると、1274年と1281年に、元(モンゴル帝国)と属国の高麗が日本へ侵攻した事件。
築き上げた防塁や、暴風雨(神風)の運もあり、征服を逃れることが出来たそうです。当時戦った方々のおかげで今の日本があると言っても、過言ではないと感じました。






森の間から見える発電所、不思議な風景です。





電源開発の次は九州電力の発電所が現れました。

長崎県は平地が少ないので、棚田が至る所にあります。





幅員2mはなかなかの狭さです。



火力発電所の裏側。
石炭を使って発電していると認識はしていましたが、このように保管しているとは、考えてもいませんでした。
温室効果ガスを出す火力発電所と、核廃棄物を出す原子力発電所、コスト高の自然エネルギー。
街道を歩いていると、それぞれの課題を目の当たりにします。
3.御厨


この先紹介する画像は、松浦鉄道写真集の様になってます。
説明文なしでお楽しみください。
















4.田平

平戸市に入りました。

美味しそうな店。
残念ながら定休日、この付近は飲食店がないので、この後は断食街道歩きになります。





長崎県の石碑や墓の文字は、金色が主流です。
全国の街道を歩いていますが、他の地域では殆ど目にする事がありません。





いのしし肉を専門に扱っている様です。



明日はこの追分から平戸街道を南下します。




明日から歩く平戸街道の地図を作成した中で、唯一道がわからなかったのが平戸市内の田平地区山間部。
運よく田平支所があったので、詳しそうな方がいないか聞き込みに行くことにしました。

元々は田平町役場だったので立派です。
受付で、平戸街道の旧道に詳しそうな方を紹介して頂き、お二人の職員さんが丁寧に対応してくださりました。

上の画像のゼンリン地図を基に、旧道を説明して頂き解明。
地図右側の、梶ノ村池の右側の点線が旧道でした。

5.日ノ浦宿





日本最西端の駅。
日本橋から中山道・西国街道 山陽道・長崎街道・唐津街道と歩き続け、西の果てまで来たのだと実感しました。



駅構内には、国鉄時代の駅名標などが展示されています。



街中に教会が見えてきました。


平戸大橋。
ゴールまであと少し。
街道を歩いていると、数は少ないですが吊り橋を目にする事があります。
印象的だった3つの吊り橋を紹介します。
中山道 桃介橋
まさか木曽の山中にこんなに立派な吊り橋があるとは、思ってもいませんでした。
工事中で渡ることが出来ませんしたが、眺めているだけで十分です。

長野県南木曽町
西国街道 山陽道 明石海峡大橋
圧倒的な存在感と圧倒的な大きさ。
四国と本州を結ぶ大動脈です。

神戸市垂水区
西国街道 山陽道 関門橋
山中で雷雨にあい100m位の場所に落雷が続く中、命さながらの雨宿り。
雨が止むと関門橋が姿を現しました。

唐津街道に戻ります。





吉善商店。
くじらの幟に、建物にはクジラのロゴマーク。
平戸は江戸時代は国内屈指の捕鯨地でした。
現代で捕鯨は出来ませんが、食べる文化が残っており、長崎県のクジラ肉消費量は日本一です。



往時の人々はここから船で平戸に渡っていましたが、現在は船で行くことが出来ませんので、平戸までは馬車(バス)で移動します。
私の街道歩きのルールとして、往時の旅人が歩かないで移動した区間は、馬(自転車)・駕籠(タクシー)・馬車(バス)・鉄馬車(鉄道)を使用することにしています。
6.平戸



近隣の島々のアクセスは平戸港が起点になっています。



港からは平戸城の全容が綺麗に望めます。

港周辺にコンパクトに史跡や街並みがまとまっています。



平戸海峡。
画像では伝わりませんが、潮の流れが物凄く速く、平戸大橋からは渦潮がいくつも見えました。


徳川家康朱印状。
東インド会社のオランダ使節に対して家康が発給した、国内全ての港に寄港しても良いと記された渡航許可証。


日本とオランダの交流400年を記念して、平戸と長崎を結ぶ街道をオランダ街道と命名したそうです。



平戸市内の中心商店街、風格ある見事な街並みで驚きました。

観光地化されているわけでも無く、空き家があるわけでも無く、昔の街並みが現役でそのまま残っています。







偉人の立像が、平戸藩主の御館に向かう道沿いに建てられています。



平戸藩主松浦(まつら)氏の御館。
石垣などは城のようでした。


キリスト教に対する弾圧の歴史を読んでいると、心が痛くなります。



カスドース。
テレビで見た記憶がある伝説の菓子。
店内で店主とお茶を飲みながらいただきました。

カステラを卵黄にくぐらせ、糖蜜で揚げた南蛮菓子。ポルトガル人の宣教師から伝えられたとされています。
卵巣と蜂蜜と角砂糖の味がストレートに口の中に広がり、いままで食べたことがない様な味。最高の和菓子でした。
創業1502年の蔦屋が、松浦藩主の御用菓子司として作り始めてから現代まで作り続けています。






坂道を上ると、薄い緑色の平戸ザビエル記念教会が静かに聳え立っています。







平戸市は平戸海関の故郷。
2026年4月現在、東前頭3枚目で最高位は小結です。






カメラのたかた。
ジャパネットたかた創業者、髙田明氏の実家が経営している店。


蔦屋。
先程紹介したカスドースを作り始めた店です。


鬼洋蝶(おにようちょう)。
鬼退治の様子が描かれた正月用の凧が、戸石川に架かる橋の親柱に飾られていました。


亀岡神社の高い鳥居。
今朝、今福の港町で見た愛宕神社の鳥居も背が高かったです。


露地裏に本日の宿泊施設、民宿とびうおがありました。

宿泊客は私ひとり、夕飯は民宿のご夫婦とこたつで一緒に水戸黄門を見ながら、酒を飲み交わしながらお腹いっぱいいただきました。
御主人は茶碗に焼酎をそのまま入れて、水の様に飲んでいます。
そのうち、隣の家のを取り壊す際に貰ってきて、屋根裏部屋にあった巻物が5,000万円の価値があると思うと語り始めたので、見せてもらいましたが素人目には5,000円に見えました。

締めのカサゴの味噌汁にはびっくり。
とても美味しかったです。
明日から2日間は平戸街道約60kmを、日ノ浦宿から彼杵宿に向けて歩き始めます。
