日光東往還2 中里宿→谷貝宿
日光道中以外で日光に向かう三つの脇往還、日光御成道・日光例幣使街道・日光壬生通、は夫婦で歩きました。
調べていると千葉県内の水戸街道から分かれ、茨城県西部を北上し栃木県内の雀宮宿で日光道中に合流する日光東往還を発見。歩程距離は約40里、年末をはさみ極寒の時期に北を目指します。
2024.12.15
1.スタート地点まで

我が家のアイドル雄兎"もちぼう"。
年齢は10歳、兎の平均寿命は種別や環境などにより異なりますが5~8年といわれてますので、人間で言うと後期高齢者。夜以外は家の中に放牧しておりますので、ストレスフリーな環境でのびのび育ってます。
留守番頼んだぞ、行ってきます!


大宮駅で東武アーバンパークラインに乗り換え。ここで忘年会シーズンの日曜日早朝ならではの、不思議な光景を発見しました。

不思議な光景とは、朝の円陣。
朝まで飲んだ若者たちは、始発電車の時間まで別れが名残惜しいのが、円陣を組んでお喋りしてます。
改札口の中・コンコース・ロータリー前、あちこちに輪が広がってます。
年末の夜の新橋駅前でも、私もそうですがサラリーマンたちが同じような事してますね。
人間の習性は何歳になっても変わらないと考えさせられた、年末のほっこりする平和な光景でした。

東武アーバンパークラインの始発列車、円陣が解散した人々が、散り散りに乗り込んでいきます。


東の空が明るくなって来ました。
スタート地点の茶屋までバスで移動します。
2.中里宿




屋根瓦の隅の先端にある瓦を、隅瓦と呼びます。その上に鯱鉾の如く狛犬が鎮座していました。沖縄のシーサーが屋根の上で見護っているのと似てます。
参考までにに、神社拝殿に向かって右側に鎮座し口を開いているのが獅子、左側で口を閉じているのが狛犬です。

今シーズン初、氷点下の行軍。
身体が温まるまで、凄まじい速さで歩きます。


野田市関宿総合公園体育館。
宇宙船のようなデザインは、近くの江戸川にある関宿滑空場から飛び立つグライダーの翼をモチーフにしています。






富士塚。
富士山に模して造られた山や塚で、富士信仰の祈りの場で、関東地方の街道を歩いていると時々目にします。
今回は印象的だった4つの富士塚を紹介します。
1つ目は、さいたま市浦和区の自宅から1km付近にある大東の富士塚。
昔はこの上から富士山が望めたと思われますが、今は建物があり望めませんでした。

さいたま市浦和区 大東の富士塚

さいたま市浦和区 大東の富士塚

さいたま市浦和区 大東の富士塚
赤山街道を歩いた時の記録はこちら↓
2つ目3つ目は、日光御成道で2か所登りました。

東京都文京区 富士社

東京都文京区 富士社

【工事中】東京都北区 十条富士塚

【工事中】東京都北区 十条富士塚
上の画像の十条富士塚、最初に訪れた時は道路拡張工事の影響で工事中でした。
2年後に訪れた際は見事な姿で蘇っており、富士塚を大切にする地域の心意気に大きな感動を覚えました。

【工事後】東京都北区 十条富士塚

【工事後】東京都北区 十条富士塚

【工事後】東京都北区 十条富士塚
日光御成道の、完成した十条富士塚をみて感動した日の記録はこちら↓
4つ目は川越街道下練馬の富士塚。

東京都練馬区 下練馬の富士塚

東京都練馬区 下練馬の富士塚

東京都練馬区 下練馬の富士塚
街道歩きの仲間と3人で、標高37.76mの富士塚に登頂。上の画像中央、標高の数字に覚えがあると思ったら、富士山の標高3,776mの1/100に合わせていました。
素晴らしい拘りです。
1/100富士山に昇った時の記録はこちら↓
3.江戸川






富士山。
富士塚に昇った後に拝む富士山は別格です。一日の中で空気が一番澄んでいる日の出の直後は、山々の稜線が一番綺麗に拝める時間です。



朝食を買いに入ったローソン、敷地面積が狭目なので、陳列が自然とドン・キホーテの様に上に向かっており、何故かテンションが上がりました。


食べる場所が無く、極寒の堤防の上で富士山と江戸川を眺めながらの朝食。
散歩をしている人が結構いて、お尻冷たくないか、最近猪出るから気を付けて、などと声を掛けられました。

対岸にグライダーが並んでます。
調べてみると明治大学体育会航空部 宝珠花滑空場、なんとも贅沢な部活ですね。




堤防からの景色が素晴らしく、街道は遺構がなく退屈そうなので、このまま堤防の上を進みます。
4.山々の想い出



赤城山。
群馬県を代表する山で、赤城山・榛名山・妙義山を上毛三山と呼びます。
上の画像のデコボコした山々が赤城山、標高1,200~1,800mの山々の総称で主峰の黒槍山が最高峰で1,882mあります。
かつては富士山より高い山でしたが、噴火で山の上の方が吹き飛んでしまい、現在の姿になったと言われており、裾野の広さをみると噴火前の姿が想像できます。

高崎市新町 赤城山説明看板
上の画像は中山道を歩いた際に見た、赤城山のわかりやすい説明看板。赤城山は曇っており拝めませんでした。

群馬県伊勢崎市
上の画像は、日光例幣使街道を日光に向かって歩いた時に撮影した看板。
それまで左に見えていたはずの赤城山が、群馬県伊勢崎市内で右に見える付近があり、"右赤城,の説明看板が立っていました。この日も曇っており赤城山は拝む事ができず。
街道歩きでの山は相性がある様で、東海道や甲州道中では富士山は殆どの場所で拝めたのですが、中山道では浅間山と御嶽山は拝む事ができませんでした。
復路で歩く時に期待します。

堤防の上の道のあちこちに、糞が同じ場所にまとまってしてあります。観察すると新旧の糞が混ざっており、同じ場所にし続けている様です。
イノシシかと思っていたら、同じ場所に糞をする習慣はタヌキらしいです。

江戸川対岸の河川敷で、銃の発砲音が鳴り響いています。熊はいないはずなので、イノシシの駆除かもしれません。

中央の白い山が、東日本最高峰の日光白根山。
毎年この山から雪化粧が始まります。右の白い山が男体山、日光に近づくと日光白根山は見えなくなり、男体山は目の前に聳え立ってきます。


何度も何度も、自転車に追い抜かれて行きます。

筑波山。
朝霧の上に浮き上がって見えます。
茨城県の中央部に聳え立つ日本百名山の最低峰で標高は877m、周りに高い山がないので立派な山に見えます。
茨城県民の私は、幼い頃からこの山を見て育ってきました。

堤防の下で焚き火をしています。
煙が冬の空に舞ういい光景ですね。
5.関宿




しばらく寄り道をしながら堤防の上を歩いてきたので、そろそろ街道に戻ります。



関宿関所は、利根川・江戸川を行き来する船の関所。
川幅が一番狭い場所に関所が設けられ、その場所は"棒出し"と呼ばれていました。





街中の公園内にテントが並んで、みなさん朝ごはんを食べています。
意外な場所にあるキャンプ場ですが妙に混んでおり、何故なのか調べたところ利用料が無料でした。



記念館の方が丁寧に説明してくださりました。
上の画像の終戦の詔書は、昭和天皇が終戦を国民に告げた玉音放送の原文が記された文書。
左下の大臣の著名筆頭の、内閣総理大臣鈴木貫太郎が関宿出身で、この地に鈴木貫太郎記念館が建てられています。
玉音放送で有名な一文が詔書の後半にある3行。

堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
※現代語訳
堪え難くまた忍び難い思いをこらえ、永遠に続く未来のために平和な世を切り開こうと思う。
上記の太文字部分が、鈴木貫太郎記念館入口の塔に刻まれています。

玉音放送の内容について、意外な形で知る事が出来ました。



6.利根川




河岸の地図。
1700年頃の交通機関、川の駅に相当する河岸の地図。現代の鉄道路線図は直線的ですが、河岸の地図は曲線的です。



香取神宮 神幸祭。
香取神宮は関東を中心に約400社ある香取神社の総本宮。現在いる場所から利根川を下流に約80km下った千葉県香取市にあります。
平安時代に”神宮”の称号を与えられていたのは、伊勢・香取・鹿島の三社のみという、日本屈指の名社です。

神幸祭は、800年の歴史がある香取神宮の最大の例祭、毎年4/14.15に執り行われています。
上の画像の川岸にある大鳥居は、先月銚子街道で利根川の堤防を歩いていた際に遭遇し、その存在感に圧倒されました。

香取神宮 浜鳥居
鳥居は香取神宮の一の鳥居である通称”浜鳥居”、良い名前ですね。

香取神宮 浜鳥居
往時の人々は、江戸から江戸川・利根川を経由して船が来て、浜鳥居から香取神宮に参拝をしていたと思われます。
浜鳥居がある利根川堤防を歩いた日の記録はこちら↓











海まで120.3km。
先月銚子街道をあるいた際に驚いたのは利根川のスケール感、海の様で護岸にはテトラポットが置かれ、河口付近では川幅が1kmもありました。

テトラポット

利根かもめ大橋

利根川河口
利根川の河口付近を歩いた時の記録はこちら↓
7.境宿



茨城県境町に入りました。
周辺市町村が合併する中、大企業があるわけでも無い中、合併の波に立ち向かっています。


2020年から導入されている自動運転バス。












茨城県立境高等学校。
私の母校です。前回来たの10年くらい前、高校3年時の担任が定年退職の日に送別会をやり、その帰りに立寄って以来でした。

な~んにも考えておらず、馬鹿なことばかりやっており、体育の先生からは”宴会部長”と呼ばれていました。

自宅から高校まで、公共交通機関が無く自転車で30分くらいかけて通学。冬の午後は、日本海側からの冷たい季節風が赤城山を超えて吹きおろしてきて、下校時は毎日向かい風が悲惨だった記憶しかありません。




注文する前のお通しがオレンジ、ビールを注文すると奴のお通し、2段階お通しシステムです。

おいしいラーメンでした。うずら・絹さや・ナルト・海苔が、絶妙なコンビネーションで、器を彩っています。

カレンダー展覧会。
子どもの頃よく見た光景が、今も残っているとは思ってもいませんでした。
その光景とは、商店や事務所などの壁に、取引先から頂いた全てのカレンダーが、壁一面に貼ってある光景です。
懐かしくてホッコリしました。




8.谷貝宿

古河市は私の故郷。
今歩いている道から西に4kmの付近に住んでおり、合併前の地名は猿島郡総和町。
鉄道の駅が無く不便な町でしたが、合併し町の名前が消えるのが凄く嫌でした。


越屋根とは屋根の上にある背の低い屋根。
蚕を飼っていた家は、換気を良くするために越屋根にしていました。
群馬県内の街道を歩いていると、もっと大きな越屋根を見る事が出来ます。












本殿の裏手にひっそりと4体の神様が鎮座、風にさらされていますが、色が見事に残っていました。








KDDI八俣送信所。
前身は国際電気通信の八俣送信所で1940年に開設。1945年に終戦を告げる終戦の詔書(玉音放送)を各国語でこの送電所から放送されました。
子どもの頃はこのアンテナ群が不気味で怖かった記憶があります。



本日はここまで。
バスとJR宇都宮線を乗り継いで帰ります。


今朝歩き始めた頃にちょうど満月に近い月が沈み、帰宅直前に朝みた月よりも大きくなった満月が昇ってきました。
あと1週間で冬至、2週間で年末です。
