薩摩街道10 阿久根宿→向田宿
2024年1月に長崎街道を歩き終えてから1年が経ち、何故か身体が九州を求め始めました。今回は長崎街道との追分、福岡県筑紫野市の山家宿から鹿児島県鹿児島市の鹿児島宿まで、薩摩街道の約80里320kmを歩きます。
2025.03.10
1.阿久根宿









焼酎の甕が何気なく軒先に置いてある風景、薩摩街道らしくていいですね。

さぁ一日が始まります。


この付近は街道の跡形が無いので国道3号沿いを歩きます。
旧道が無く新しい道を歩く時は、退屈ではありますが新しいビジネスモデルのトレンドなどを感じる事ができるので、案外と面白かったりします。

さつまよりみち風景街道、と案内看板が出ていました。
シャッターに薩摩の風景が描かれていたので、シャッター商店街活性化のアイデアなのでしょう。



イワシビル。
1階がカフェ、上にはゲストハウスがあります。



ENEOSが向かい合っています。
日本石油・三菱石油・エッソ・モービル・ゼネラル、などのブランドを統一したので、至近距離でスタンド同士がしのぎを削っている姿を時々目にします。







2.牛ノ浜

鹿児島県に入ってから、偶然かもしれませんが、写真に収めた殆どの神社の鳥居が赤です。






ローソン店内にイートインが無かったので、店外に置いてあった商品を運ぶ棚を机代わりにいただきます。

華の50歳組とは、50歳になると全国各地から阿久根出身者が集まり、母校の運動会に参加する市の伝統行事。
1951年に阿久根小学校で始まり、1994年からは市内の全小学校で運動会の一種目として取り込まれるようになりました。
74年も歴史がある事に驚きましたが、74年前に考えた人も、絶やすことなく継続してきた人も、どちらも凄いですね。
2006年に、華の50歳組が登録商標として特許庁に認可されたそうです。








牛ノ浜駅のホームに、ななつ星の看板があります。
ななつ星とはJR九州が開発し、2013年に日本初のクルーズトレインとして誕生させた、超豪華寝台列車。
今ではJR西日本や東日本が同じような列車を走らせています。
2025年3月発売の、ななつ星のツアーは、4日間でひとり130~175万円、すぐに売り切れるそうです。

どこまでも続く海岸線。
街道は海岸線を避けて通るので、この様な風景にはなかなかお目にかかれません。
昨年夏に北陸道を歩いた際に、新潟・富山県境の親不知という難所で、似たような景色の中を歩きましたので紹介します。

往時の街道は残っておらず、国道を歩いたのですが迫力満点。

眼下には翡翠が拾える海岸線と美しい日本海が見渡せます。

よくこんな断崖絶壁に道路を造ったなぁと感心しながら歩いていました。
美しいのですが、歩道のないトンネルのような道を歩くので、自動車に轢かれないように歩くのがとても難しい区間です。
崖の上から、日本海を眺めながら歩いた時の記録はこちら↓



熊本県内を歩いていた時は、八代海と天草の島々が見えていましたが、いつの間にかその姿は無くなり、代わりに東シナ海と彼方に甑島列島(こしきしまれっとう)が見えてきました。






肥薩おれんじ鉄道の線路脇にある、通行禁止ではなく、通行危険の看板。
禁止とは言えないのでしょう、絶妙な日本語ですね。
3.大川


矢重坂。
見事な切通しです。
この道が旧道でしたら凄いと思います。
今まで街道を歩いた中で、一番お感動した切通しが、昨年夏に歩いた善光寺参道にありました。
街道の案内看板は、多くの人が歩く方向の目線で設置されています。
善光寺西参道は、終点の善光寺から歩いたので、人と逆の方向に歩きました。
なので、史跡などを通り過ぎてから看板があったりします。
私は、あまり予習をしないで歩くので、その場所に切通しがある事を知りませんでした。
その切通しは突然現れます↓

長野県 筑北村
通り過ぎた後にあった説明看板を読むと、小切通しと記してあり、大切通しがこの先にある様です。
期待しながら歩くと、前方に壁の様な切通しが現れました。

長野県 筑北村

長野県 筑北村
大切り通しは1580年に切り拓かれ、1716年・1769年・1809年と四世紀にわたり3回に分けて切り下げが行われています。
四世紀かけて切り下げた切通し、一歩一歩大切に歩かないと駄目ですね。
善光寺西参道の切通しを歩いた時の記録はこちら↓






第二大川橋。
薩摩街道では、多くの石橋を目にしました。
上の画像の第二大川橋、昭和の橋かも知れませんが、風格がありとても美しいです。
建て直すことなく大切に保存すれば、いつかは、薩摩街道の石橋の様な存在になるでしょう。






松岡神社の石の鳥居。
薩摩街道で鹿児島県に入った後の、赤い鳥居の連続記録がこれで途絶えました。








海岸の近くの山に沿ってアップダウンを何度も繰り返すので、思うように前に進みませんが、着実に鹿児島が近づいてきています。
4.西方









国道3号の起点は門司。
どんな所か紹介します。
薩摩街道で江戸まで行く際に、歩く場合は長崎街道を通ります。
その長崎街道の起点が門司の大里(だいり宿。そこから船で下関まで向かい、西国街道経由で東に向かいました。
大里宿は街道のすぐ隣が関門海峡、往時はかなり賑わっていたと思われます。


宿場町の雰囲気は殆ど残っておらず、代わりに赤レンガの建物がたくさんありました。

旧サッポロビール九州工場跡が、テーマパークの如く大切に保管され、飲食店などとして活用されていました。
長崎街道の起点、大里宿を歩いた時の記録はこちら↓












この先飲食店もコンビニもないので、本日の昼食はカロリーメイト。








透明アクリル板と木を使った、美しい看板です。


上湯田橋。
ただならぬ雰囲気があったので、横から覗き込むと見事な眼鏡橋でした。
時速4kmで進んでいると、こういった発見がたくさんあります。

川内宮司簡易郵便局。
右隣に商店があり菓子パンを購入しようと店に入ったら、郵便局の職員さんが出てきました。






5.一条坂




この切通し、想像以上に深く、左に曲がっていて先が見えないため、一瞬恐怖を感じました。




歩く人が殆どいない様で、倒木が多く歩きずらかったです。




この付近は西南戦争一条坂の戦いの戦地で、薩軍が政府軍を迎え撃つも失敗したそうです。
戦地を歩くのは辛いですね。







6.陽成















かなり歩きずらいです。
草木が生える夏は厳しいかもしれません。




西郷どんの腰掛け石で小休止。
街道を歩くと大物が小休止した腰掛け石に時々出会います。
一番の大物が徳川家康が座った石。
場所は東海道掛川宿近くの許禰神社です。


上の画像が腰掛け石。
座って良いものか暫し悩んでいると、境内の掃除をしていた元気なお父さんがやって来て、遠慮しないでさぁ石に座って座って、写真撮ってあげるから。
ガッツポーズして、力を貰いなさい!
とグイグイと迫って来ます。

ガッツポーズで一枚。
徳川家康よりもお父さんから力を頂きました。

上の画像がお父さんです。
力をくださりありがとうございました。
東海道で家康の腰掛け石に座った時の記録はこちら↓


薩摩街道は脇往還だったので、”オカン”と呼んでいた年配の方がいたそうです。

7.高城








光明坊。
黒い屋根が連なり、迫力が感じられます。






京セラ 鹿児島川内工場。
物凄く大きな建物で、サッカー専用スタジアムがスッポリ入りそうです。




鹿児島県立川内高等学校や公共施設があり、街道は寸断されています。






8.向田宿














ホテルのエレベーターホールから、良い感じの店が見えたので飛び込みました。御主人が一人で切り盛りしていり、おまかせコース料理があったので、それをオーダー。

食べたかった鳥刺しが出てきました!

出水では豚足揚げを食べて、川内では豚足煮。薩摩街道では、豚足のいつもと違った食べ方を2つ学べました。
美味しい!
料理の写真は全部撮影していませんが、途中で店の片隅に新日本プロレスの、グッズを見つけて、私プロレスが好きなんです、と話をしたらもう大変。
何で早く言ってくれなかったんですかと、カウンター前の大画面にプロレスの動画を流して鑑賞会。
盛り上がり過ぎて飲み過ぎて、カウンターでいつの間にか寝てしまいました。
疲れるわけで、7日連続の街道歩きも5日目が終わろうとしています。
明日に備えて、洗濯して入浴して寝ます。
