日光東往還4 結城宿→雀宮宿〔完〕
日光道中以外で日光に向かう三つの脇往還、日光御成道・日光例幣使街道・日光壬生通、は夫婦で歩きました。
調べていると千葉県内の水戸街道から分かれ、茨城県西部を北上し栃木県内の雀宮宿で日光道中に合流する日光東往還を発見。歩程距離は約40里、年末をはさみ極寒の時期に北を目指します。
2025.02.09
1.スタート地点まで



さいたま新都心駅で乗り換え。
イベントがある日は電光掲示板に、混雑の案内がでます。
昨日今日は、サザンオールスターズ LIVE TOUR 2025 「Thank You So Much!!」、多くの熟年たちで賑わうのでしょうね。

通過する貨物列車は雪化粧。
今季最強寒波の影響で、今朝はかなり冷え込んでます。

只今の時刻は06:02。
日の出が一番遅かった12月下旬と比べると、30分くらいは早くなってきてます。春が近づいてきてますね。
2.結城宿


氷点下3度ですが、風が吹いていないので、なんとか耐えられそうです。




まだ街道には入りませんが、街道の雰囲気たっぷりの駅前通り。





背銘文と呼ばれる、阿弥陀如来座像の背中刻まれた銘文の解説看板。
像には銘文が刻まれていたとは知りませんでした。
背中に貼られた湿布にみえて、シュールな感じでした。





赤荻本店の看板に”砂糖”の文字。
塩は時々目にしますが、砂糖は極めて珍しいです。


街道に入る手前でしたが、魅力的な見せ蔵がたくさんありました。
前回歩いた結城宿の他の街並みについては前回の記事をご覧ください↓

街道に入ります。

結城酒造。
2022年5月に火災で全焼し煙突だけが残されています。
再建に向けて動いているそうで、力強く聳え立つ煙突が、復活に向けた象徴の様です。






結城宿は想像以上に賑やかな宿場町でした。紬で繫栄したのでしょうね。
3.茨城 栃木県境






市村まゆ工房。
まさかと思って調べたところ、結城に一軒だけ残った養蚕家から繭を仕入れて、帽子などの日用品を製作しています。
凄いですね!





工業団地の中や雑木林に囲まれた、単調で退屈な道がしばらく続きます。






そばの古里・はなだむら。
美味しそうな店ですが閉業の様です。





本日の朝食会場予定のファミリーマートが工事中・・・・
氷点下3度の中歩き続けて9.2km、
私の街道歩きの最大の楽しみは食事なのです。本日の朝食は、熱々の珈琲とサンドイッチを楽しみに2時間超歩いてきました。
この先も10km近くコンビニや商店が無いので絶望の底に落とされます。




朝食予定会場のファミリーマートが工事中で入れず、朝食は我慢できるとしても、トイレは限界に。
街道から少し離れた場所の公園で用を足します。災害指定の公園の様で快適でした。
朝食向けにスープの自販機を探して、住宅街を進みます。


運よくスープを販売している自販機に遭遇。
こんな日もあります。





3年前に下野市内の、3つの小学校と1つの中学校が合併して完成した、義務教育学校。
義務教育学校とは、小中一貫校の事で、2016年に新設された学校教育制度。
教育改革なのか、経費削減なのか本質はわかりませんが、地方も都市も含め全国的に広がりを見せています。

4.下野薬師寺



宇都宮市周辺は大谷石の産地。
自然と大谷石の蔵が増えてきます。

ほうれんそう畑。
この時期は収穫できる野菜の種類が少なく、今日歩いて来た中では、ほうれん草以外に目にしたのは、ネギ畑と白菜畑くらいでした。


十九夜塔。
街道を歩いていると、数字が刻まれた石碑を時々目にします。
月を信仰の対象とした、講と呼ばれる集まりで、月待塔(つきまちとう)と呼ばれています。
お経などを唱え飲食をしながら月を拝み、悪霊を追い払う月待行事。午前0時に下弦の月が出る二十三夜が一般的な月待行事の日で、街道を歩いて目にする月待塔の殆どが二十三夜塔。
十九夜塔は女人講で、子宝や安産に恵まれるとの言い伝えがあります。

見事な妻飾りの蔵がありました。
建築用語で、建物の三角屋根の下の部分の壁を、妻と呼びます。
その部分に文字や、鏝絵(こてえ)と呼ばれる、壁材の漆喰(しっくい)を立体的に盛り上げて、家紋や文字を描いた飾りを、妻飾りと呼びます。
上の画像の妻飾りは、今まで街道を歩いてきた中で一番立派でした。
鏝絵といえば、その世界では全国的に有名な職人が、北陸道小杉宿(富山県射水市)出身の竹内源造。

竹内源造記念館
昨年北陸道小杉宿を歩いた際に、その美しさに魅了させられました。
その技術は全国に広がったとも言われており、竹内源造の記念館があります。

竹内源造記念館

竹内源造記念館
街中の商店街には、店ごとに職業の特徴を捉えた鏝絵が飾られていました。

酒屋の鏝絵

歯科医院の鏝絵
上記の画像以外にと、駅・郵便局・宿など沢山ありました。
北陸道小杉宿を歩いた時の記録はこちら↓









下野薬師寺。
奈良の薬師寺と同時期の680年に建立、区別するために下野薬師寺と呼ばれていました。
その後安國寺に改名するも、2018年平成の大改修を機に、再び下野薬師寺に名を戻してます。



内部

後:丈六釈迦如来坐
戒檀堂。
戒壇堂とは、正式な僧侶となるため儀式を執り行う場所。
普段お寺にあまり入らないので、お堂の独特な造りが面白かったです。





5.多功宿



多功宿に入りました。
今回歩いている日光東往還は、多功道とも呼ばれており、賑やかな面影が残っているのかと期待していましたが、そうでもありませんでした。






長屋門が残る家が続きましたので、この付近が多功宿の中心部だったと思われます。





西念寺 本日の言葉。
「縣情流水受恩刻石」
かけた恩は水に流し、受けた恩は石に刻め。
私の大好きな言葉です。


お寺の入り口などに並んでいる六地蔵尊、亡くなったご先祖が六つの道どこに行っても救われるようにという想いが込められています。
檀陀(だんだ)地蔵は地獄道
宝印(ほうじゅ)地蔵は餓鬼道
宝珠(ほういん)地蔵は畜生道
持地(じじ)地蔵は修羅道
除蓋障(じょがいしょう)地蔵は人間道
日光(にっこう)地蔵は天道
こうしてみると、人は亡くなると、行いによっては、いろんな道に行くのですね。





天満宮の拝殿、上の画像手前の建物が、向かって左側に増築されてます。
珍しい造りです。


6.宇都宮貨物ターミナル

大峽製鞄。
ランドセルの老舗メーカー、看板のデザインがオシャレ過ぎ!





貨物ターミナル駅の横を歩いたのは初めて。殺伐とした風景ですが、何故か私も家内もワクワクしてました。

見たことがない大きさの重機風の謎の乗り物、一体何に使うんだろうか?
深夜に活躍するんでしょうね。

赤い機関車が、オイルタンク車を右に左に移動して連結してます。
まるで機関車トーマスの世界。


貨物ターミナル駅は、想像以上に楽しかったです。
7.雀宮宿





日光道中に垂直に合流して終点。
追分の石碑があるわけでもなく、あっけなく終わりました。

さて、一里ほど日光道中を進みます。






歯科医院長の看板が、劇画調に描かれています。歯科医やクリニックの道沿いの看板には、顔写真入りが流行ってますが、次は劇画調が流行るのかもしれません。


スープがしつこくない程度の魚介出汁で、とても美味しかったです。



これにて終了、宇都宮線で帰路に着きます。
これで、日光に行く往還道は5つ歩きました。
日光道中
日光御成道
日光例幣使道街道
日光壬生道
日光東往還
これにて日光往還道を全て歩き終えたかと思っていたら、まだありました。
八王子から日光に向かう、日光脇往還。
江戸時代に八王子に置かれた、八王子千人同心とよばれる江戸幕府の防衛的な任務を負う職制がありました。
その様々な任務のひとつが日光の徳川家康霊廟を守る日光勤番。100人が10組にわかれ50日単位で交代勤務し、参勤交代行列を追い抜く事が許されていたそうです。
又時間を作って夫婦で歩きます。
