結城街道1 小山宿→下館宿
日光道中の小山宿と水戸街道の水戸宿を結ぶ結城街道。場所によっては水戸街道とも呼ばれています。
結城藩・下館藩・笠間藩の参勤交代や日光参詣で賑わった道約70kmを、2025年の冬に夫婦で歩きます。
2025.11.23
1.小山宿



日光道中小山宿の中心部を北に少し歩いた交差点が、結城街道の追分になります。





この付近は2021年11月に日光道中の往路で歩きました。当時の写真と比較しましたが、4年しか経っていませんので、街並みに殆ど変化がありませんでした。
そして、往路を歩いた1年半後の2023年4月に日光道中の復路を歩きました。
往路と復路は景色が180度違うと思い込んでいましたが、感覚的に45度程度の違いにしか感じませんでした。一緒に歩いた家内もそう言ってましたので、きっとそうなのでしょう。

日光道中の追分から右に入り、結城街道に入りました。追分から新しい街道に入る瞬間のワクワク感が好きです。


筑波山。
茨城県唯一の日本百名山で標高は877m、百名山の中で一番標高が低い山。関東平野の北西部に位置し、周りに山がないので標高以上の存在感があります。
私の生まれ育った故郷茨城県総和町(現古河市)が、筑波山から西に約30kmの地点にあり毎日山を眺めていた影響か、今でも筑波山を目にすると望郷の念に駆られます。





本日の朝食はミニストップのイートイン。
まだアルバイトを始めたばかりの様な外国人の店員さんに、ホットドッグを頼んだら、ホットコーヒーですかと聞かれ、もう一度言うと、ホットクですかと聞かれ、ほのぼのした会話に朝からホッコリしました。





社殿が古墳の上に建てられていました。
テンションが高まります。




今日歩いたルートは旧国道50号沿いが多く、残念ながら細い旧道が少なそうです。
2.中久喜城跡



中久喜城は、本日の出発地点の小山にあった祇園城とこの後訪れる結城城の中間に位置し、外交上の重要な城であったそうです。


高さ3m程度の見事な土塁が残っており、途中水戸線が寸断しています。

家内が蟻地獄を自宅で飼っており、土塁の上に巣を発見したので、掘り起こして5匹ほど飼育のために保護させていただきました。
大切に育てます。




栃木・茨城県境の川でしたが、幅が結構狭い川で拍子抜けしました。
街道を歩いてきた中で、県境や藩境の川で、拍子抜けするくらい狭かった川を、広く見えた順に5つ紹介します。
2023年1月7日
愛知・静岡県境 東海道 境川

東海道を西から東に歩き、二川宿を出るとキャベツ畑の中をひたすら進みます。


田んぼのど真ん中に流れる用水路の様な川が県境の境川。

県境を越え白須賀宿を過ぎると、太平洋屈指の景勝地、汐見坂を下ります。
ここは、西から江戸を目指す旅人が、初めて太平洋を見る事ができる場所になります。


現代の汐見坂は、海岸線が高速道路で隠れていましたが、見応えは十分でした。
2025年09月14日
南部・津軽藩境 奥州街道 境の川
奥州道中を日本橋から出立し、初めて目にする海は、野辺地宿がある陸奥湾。
日本橋から歩き始めて29日目、思い返すと気が遠くなる距離です。
野辺地宿を出てほどない場所に、南部・津軽藩の境にある藩境塚と呼ばれる、藩の境界線を示す塚があります。

藩境塚の見た目は一里塚と同じ、藩境の両側に等しく塚が作られています。

藩境を流れるのは、川幅1メートルくらいの境の川。



この時休憩したベンチからの眺めは、街道を歩いてきた中でも、屈指の絶景でした。
2025年03月09日
熊本・鹿児島県境 薩摩街道 境川
薩摩街道を福岡県の山家宿から、鹿児島県の鹿児島 西田橋まで歩いた中で、一番長く一番楽しかった日に、熊本・鹿児島の県境を渡りました。

県境の橋の名前は、さかい橋。流れる川の名はお約束の境川。
さかい橋は、熊本・長崎県内でよく見る石積みの橋でした。



境川、流れているのかいないのか、わからない様な川でした。

さかい橋の親柱には、"さかいはし"と美しい文字が刻まれていました。
この付近は歩行者専用の道で、街道を歩くには最高の舞台、お勧めです。
2023年7月15日
京都・大阪府境 西国街道 西谷川
いままで歩いた街道の中で、一番暑かったのが西国街道。
真夏の京都羅城門を7/15に出立し、4回に分け合計577km延べ21日の行軍、下関赤間関には9/16に到着しました。






荏胡麻油で反映した大山崎。
司馬遼太郎の小説、国盗り物語の主人公斉藤道三の故郷がこの付近です。
2021年8月20日
中山道 岐阜・滋賀県境 水路

場所は中山道今須宿。
その中心に岐阜県(美濃国)と滋賀県(近江国)の県境があります。

県境には細い溝があり、水がさらさらと流れていました。

寝物語の里とも呼ばれています。
その由来は、国境の小さな溝を挟んで建つ近江国と美濃国の旅籠に泊まった客が、寝ながらにして話ができたからと言われています。

今須宿の風景。
中山道は美濃路近江路に入ります。
細い国境の溝を渡った時の記録はこちら↓


キリスト看板。
この看板よく見ますよね。
宮城県伊具郡丸森町にある、聖書配布協力会が配布しており、沖縄県以外の46都道府県に50万枚も貼ってあるそうです。



三角形の二十三夜塔は珍しく、初めて見ました。
二十三夜塔とは、旧暦23日の夜に、月の出を待つ二十三夜講の人たちが集まる場所に置かれた塔。
月待行事と呼ばれ、その多くが二十三夜講ですが、十三夜講や十九夜講などもあります。





ベーカリー ペンギン。
カレーパングランプリ2025で最高金賞を受賞したそうです。
3.結城宿

結城は紬の街、染織工房があります。


日光東往還との追分。








結城の街には多くの見世蔵(みせぐら)があります。見世蔵とは蔵造りの商家の、1階部分を店舗・2階を居住空間とした、江戸時代に発展した建築様式。
見世蔵は結城街道と交差する日光東往還沿いにもたくさん残ってます。
昨年の12月に日光東往還で結城宿を歩いた際の記録をご覧ください↓




今日はこの後、ここ健田須賀神社でフリーマーケットと音楽イベントがあり、関係者が忙しそうに準備をしてました。

左の道が日光東往還、結城街道は右に曲がります。





結城宿の中心部には、多くの枡形が残されています。桝形マニアにはたまらない街かもしれません。





結城東中学校。
市内に現存する蔵を参考に設計された美しい校舎。この学び舎に通学できる生徒たちが羨ましいですね。

水戸街道踏切。
今回歩いている結城街道、結城付近では水戸に向かう街道なので、水戸街道と呼ばれています。
4.鬼怒川







鬼怒川に架かる川島橋。
旧道の橋なので楽しみにしていたところ、辿り着いたら通行止め。来た道を戻らねばならず1km弱を余計に歩くことに。
街道歩きでは1mも戻りたくないので、精神的ダメージが大きかったです。



鬼怒川。
2022年1月に、今渡っている新川島橋から上流約40kmの地点にある、奥州道中の阿久津大橋を渡りました。

栃木県 さくら市
鬼怒川の上流には、雪化粧をした那須連山が見渡せます。

栃木県 さくら市
鬼怒川の下流は緩やかに蛇行し、彼方には筑波山の姿が拝めます。
奥州道中を歩いた時の記録はこちら↓


車社会らしい、車ドロボーの注意を促す幟です。


山倉神社。
境内に入ると、小学生の女の子が落ち葉を集めていて元気に挨拶をしてきます。
神主さんのご家族の様で、みんなで楽しそうに掃除をしていました。
見ているだけで幸せになる光景、ありがとうございました。





下館ラーメン。
鶏ガラと地場産野菜を使用した醤油ラーメン。メンマ・ゆで卵・ナルト・青菜・鶏焼豚・ネギがトッピングされて650円。
驚きの価格でした。


筑波山が徐々に大きくなり、やがて山頂が雲に隠れてきました。
山の稜線が、少しづつ確実に変化していく姿を眺めるのも、街道歩きの醍醐味のひとつです。




ブッタランシー寺院茨城。
2018年に設立、地域のタイ人たちが守り続けるタイ寺院。
大切なコミュニティの場になっているようです。中に入って良いかわからず、外から眺めていました。後から調べたところ、参拝が出来るようでした。
5.下館宿









北向地蔵尊。
江戸時代中頃、奥州からの旅人が、旅の疲れが原因でこの地で亡くなりました。
哀れに思った地元の方々が、旅人の故郷奥州の方角に祀ったのが北向地蔵尊。
今では、安産・五体満足・健康など、地元の方々から慕われている様です。



筑西市の中心部に入りました。
合併前の市町村名は下館市。水戸線・真岡鐵道・関東鉄道が集まる交通の要衝です。






七五三のお参りに、二家族が来ていました。ほっこりしますね。



日本一の神輿、重さが約2トン。
趣味で神輿を担ぎますが、尋常ではない重さです。
有名な三社祭の神輿が約1トンなので、その倍近い重さになります。


本日はここまで。
来週は筑波山の北麓を歩きます。




土産で購入した大福が絶品でした。



夏に奥州街道と松前道を一気に歩き、左膝を痛めてしまいました。専門医に診て貰ったところ、半月板の裏側の脂肪が圧縮されていて、ほぐす必要があるので日々マッサージをしています。
本日は膝を痛めた後の、初のリハビリ街道歩きなので、ヒヤヒヤしながら約25kmを歩き終えました。今のところ痛みがないのですが、次回以降も慎重かつ丁寧に歩こうと思います。
