結城街道4 内原→水戸宿〔完〕
日光道中の小山宿と水戸街道の水戸宿を結ぶ結城街道。場所によっては水戸街道とも呼ばれています。
結城藩・下館藩・笠間藩の参勤交代や日光参詣で賑わった道約70kmを、2025年の冬に夫婦で歩きます。
2025.12.28
1.スタート地点まで

2025年最後の街道歩きは、結城街道の終点水戸宿を目指します。


今までの結城街道歩きは自宅近くの駅から、宇都宮線を北上し小山から水戸線沿線の駅で乗り降りしておりましたが、今日だけは南下して都内の日暮里駅から常磐線でスタート地点に向かいます。

車内で朝食。
セブンイレブンの、宮崎名物"じゃりパン"が最近のお気に入りです。




日の出と共に変わりゆく4本の川の姿、一緒に映る景色との共演が素晴らしかったです。




今日は日曜日。
休日の朝は人の動きが無いからか、鳥たちがのんびりと自由に過ごしているように感じます。
2.大足宿

大足宿。
大足と書いて"おおだら"と読みます。
神話ダイダラボッチに出てくる巨人が、この地で大きな足跡を残したことが、この地の名の由来らしいです。





ダイダラボッチ伝説は、全国にあります。
調べるとたくさんあり過ぎたので、5つに分類してみました。
1. 足跡系
東京都武蔵村山市の大多羅法師の井戸、神奈川県相模原市鹿沼公園の池や沼など、ダイダラボッチの足跡が沼や池になった説。
2. 湖系
ダイダラボッチが手をついた跡が、静岡県の浜名湖になったや、富士山を作るために掘った跡が滋賀県の琵琶湖になった説。
3. 山系
代表例が富士山、その他長野県塩尻市の高ボッチ高原、福島県福島市の信夫山(しのぶやま)などを作った説。
4. 島系
伊豆諸島を足場に島々を開拓し、伊豆半島に上陸した説。
5.食事系
茨城県水戸市の大串貝塚の、食べた貝殻を捨てた場所と言われる説。
調べると、もっともっとあると思います。
今まで街道を歩いて来た中で出会ったダイダラボッチの史跡を紹介します。
富士山
甲州道中や東海道、矢倉沢往還で拝むことができます。その中でも印象的だったのが、東海道吉原宿から東に向かって歩いていた時に撮影した1枚。
2月下旬の18:00過ぎ、すでに辺りは真っ暗になり、そろそろ歩き終えようと急ぎ足で進んでいた時のことです。
なんとなく、左方向に気配を感じて目を向けると、暗闇の中に大きく静かに佇む富士山の姿が。
スマートフォンの性能が良過ぎて、撮影した画像が明るくくっきりしていますが、実際はもっと暗い中にその姿が浮かんでいました。

静岡県富士市
暗闇の富士山を眺めながら歩いた日の記録はこちら↓
琵琶湖
街道歩きて初めて琵琶湖を見たのが、中山道の鳥居本宿に入る手前の峠の中腹、木々の間からほんの僅かに眺める事が出来ました。
中山道を更に西に向かい、東海道と草津宿で合流した先では、大津宿付近で少し寄り道をすると、ゆっくりと眺める事が出来ます。
一番印象的だったのは、北陸道を越後から近江に向かい、長浜宿から眺めた琵琶湖。まるで海のようで、島がない為か角度によっては瀬戸内海より広く見えました。

滋賀県長浜市
北陸道長浜宿で琵琶湖を眺めた日の記録はこちら↓
参考までに琵琶湖がある付近、近江國の呼び方は、京から近い場所にあった湖(=江)である事が、名の由来とされています。
江は大きな川や湖を意味し、浜名湖がある付近の遠江國の名は、京から遠い場所にあった湖から来ています。
浜名湖
浜名湖は、東海道から眺められると思いますが、現代ではそれが出来ません。
かつては東海道の東側の舞坂宿と西側の新居宿の間は、浜名湖と太平洋が繋がっていた為に渡船で行き来していました。
その渡船上から浜名湖を眺める事が出来ましたが、今は渡船もなく埋立地や鉄道がその視界を妨げています。

静岡県湖西市
上の画像は、新居宿の漁港。
1991年、20代前半に東海道を西に歩いた時の事です。舞坂宿の漁港に着き、往時の旅人の如く船で新居宿まで渡ってみたくなり、漁港で仕事を終えた漁師さんに交渉し対岸まで送ってもらった事がありました。
それから32年後の2023年に、今度は東海道を東に向かって歩きました。新居宿に着く前に、再び船を貸りて対岸の舞坂宿に行こうと、何件か船宿に連絡をしました。しかし先般の知床沖の観光用船舶事故以来、厳しくなったようで全て断られました。
今回は船で渡る事が出来なかったので、姫街道と呼ばれる、琵琶湖の北側の山の中を迂回する道を歩く事に。その道中、思わぬところでダイダラボッチの足跡に遭遇します。

静岡県浜松市北区
ダイダラボッチの足跡。
少し水が溜まって池になっています。

静岡県浜松市北区
説明看板を読むと、琵琶湖を掘った土を富士山に運ぶ途中にこの足跡が出来たとか。そして休憩中に食べたご飯の中に入っていた小石を浜名湖に捨てたら、島ができたそうです。

静岡県浜松市北区
ダイダラボッチの足跡を歩いた先で、ようやく浜名湖を眺める事が出来ました。
先程の説明看板から推測すると、浜名湖は富士山が出来るより前にあった事になります。
浜名湖北の山道でダイダラボッチの足跡を見た日の記録はこちら↓
ダイダラボッチの話で大きく脱線したので、結城街道に戻ります。


味わい深い小学校の正門。
街道を歩いていると様々な小学校の正門を目にします。
その中で一番印象的だったのが、日光道中古河宿の、古河第一小学校の赤門。

茨城県古河市
小学校までの通学路は石畳、左右に歴史的建造物が並んでいます。

茨城県古河市
美術館の様な外観、町並みと調和しています。

茨城県古河市
こちらが、古河第一小学校の正門。
名門私学の様な佇まいですが、市立の普通の小学校。
実は私の母校で、当時は上の画像の門は保存をする為か理由は定かではありませんが、赤門使われておらず、校舎は煉瓦造りではなく鉄筋コンクリートの普通の建物でした。
当時の校長先生の教育方針で宿題はゼロ。最高の教育環境で育ち、そのお陰で大学受験で浪人して予備校に行くまで、塾に通った事がありませんでした。
古河第一小学校前を歩いた日の記録はこちら↓



本日の最低気温は氷点下2℃。
大人げなく、踏んで良さそうな道沿いの霜柱は全て踏んで歩きました。



木で出来た地蔵は珍しいです。

感覚的に、この付近が大足宿の中心部かと思われます。


白鳥の群れが飛んでいます。
大きくてそれでいて優雅、近くに飛来する湖か池があるのでしょうね。
本日歩く先の地図上に池があったので少し期待します。



この杜は、ただならない雰囲気。
道を渡って見に行きます。


フジとタブノキが、絡み合って数百年生き延びているようです。

幹に触れ力を授かって前に進みます。


久々に昔ながらのドライブインを見ました。
大型バスの駐車スペース、土産品売り場、様々な旅行会社のロゴ看板、2階にある団体客向けの食堂、昭和の文化が漂う素晴らしい空間でした。
街道を歩いてきた中で、印象的だったドライブインがひとつあります。
西国街道の山口県山口市郊外にある長沢ガーデン。

山口県山口市
国道2号沿いにあり、西に向かって歩くと山口市内に入りすぐ、長沢池という池の畔あります。

山口県山口市

山口県山口市
建物を見ただけでワクワクしてきます。

山口県山口市
ホコリひとつなく手入れが行き届いた食品サンプル群、和洋中魅惑のメニュー構成で、画像も含めると50以上あります。

山口県山口市
ラーメンの器はチャルメラ風のゆるい傾斜のどんぶり。そのの模様は美しい雷紋(らいもん)、店名入りの箸袋、何もかもが完璧でした。

山口県山口市
うどん自販機のオリジナルグッズ。

山口県山口市

山口県山口市
長沢ガーデンの様なドライブインが、道の駅に負けずに、いつまでも残る事を望みます。
50年・100年後のドライブインはどうなっているのでしょうね。
長沢ガーデンに立寄った日の記録はこちら↓





ハワイアンズ。
福島県いわき市にある、テーマパーク型の老舗スパリゾート。
茨城県北部の家族連れの聖地で、このポスターを時々目にする事があります。
私は高校まで茨城県西部で育ち、一度だけ小学校の頃家族で来ました。今でもその帰り道、東北自動車道のインターチェンジに入った時の寂しさを覚えています。
3.赤塚宿

道中に白鳥の群れを2度目にしており、もしやと期待していましたが的中しました。

優雅ですね。




いやぁ楽しかったです。
鳥好きではありませんが、ずっと見ていられる眺めでした。









今日はずっと下り道、海が近くなっているのですね。



県庁所在地の水戸市中心部が近づき、空襲を受けている影響か、昔ながらの建物は殆ど見当たりません。
4.水戸宿

石塀の透かしが梅の形をしています。
水戸といえば偕楽園の梅が有名。水戸ならではの石塀ですね。
街道から偕楽園まで、1kmくらいなのですが、開花時期には1カ月くらい早いので、今回は立ち寄りません。





北海道のコンビニエンスストア、セイコーマート。
セイコーマートは、北海道以外に茨城県と埼玉県にしかありません。北海道からのフェリーが水戸近くの大洗港に就航している影響か、茨城県内には44店もあります(2025年12月29日現在)。
家内が北海道旅行の時にその味に魅了され、ポイントカードを持っている位のファン。

今回はポイントカードを持参しており買う気満々。夕飯用に豚丼とかつ丼、その他小樽のクラフトビールやポテトフライなどを購入しました。
豚丼はおすすめです。



ENEOS店頭に鎮座する獅子が気になります。
1995年に中国の美術家・蔡國強氏が、水戸のアートプロジェクトの一環で製作。
獅子と言えば対の相方がいないのが気になりますが、きっと水戸市内のどこかにいるのでしょう。




十銭屋。
現在は瀬戸物屋ですが、1935年創業当時はアメリカで流行っていた”10セントショップ”にヒントに得たそうで、全品十銭で販売したとか。
現代の”100均”の草分け的存在ですね。












水戸市内中心街は、昭和の風景が多く残っていて落ち着いた街並み。
新幹線が来ない街って良いですね。
今のところ高層マンションも無いので、住み心地が良さそうです。
5.水戸黄門所縁の地










水戸黄門 誕生地。
上の画像の場所かと思ったら、少し奥に入った神社らしいです。
次に来た時に行きます。


総本家天狗納豆。
屋号は株式会社笹沼五郎商店。
水戸納豆発祥のお店が、結城街道沿いにひっそりと佇んでいました。








水戸元祖天狗納豆。
屋号は天狗納豆株式会社。
至近距離に二つの天狗納豆があります。
最初に見た、総本家天狗納豆が1889年創業の本家、水戸元祖天狗納豆は次男が1910年に暖簾分けして創業しています。


陸前浜街道。
この先、福島県浜通りを経由して宮城県岩沼市まで約220km。
2024年3月に歩きました。
忘れられないのが、3月11日に歩いた福島県大熊町と双葉町の街道沿いに所々で残っているた震災当時のままの街並み。
そして、地震発生と同じ14:46に追悼のサイレンが鳴った時の街の光景。
黙祷をする人の横で、鳴りやまない工事現場の重機の音、道を行き交う自動車。
時間はとまらないと、そんな光景を眺めながら痛感しました。
3/11に陸前浜街道を歩いた日の記録はこちら↓


この地には2022年6月4日に、夫婦で日光道中の千住宿から水戸街道を歩いて辿り着き、本日は夫婦で日光道中の小山宿から結城街道を歩いて、再び辿り着きました。
街道はつながっている、当たり前の事ですが月日を越えて体感した瞬間です。
街道歩きはやめられませんね。
水戸街道を歩き終えた日の記録はこちら↓

終点の銷魂橋に到着。
2025年の街道歩きもここまで。
6.寄り道
歩き終えたので、この後は普通に観光。
目的地は大洗海岸の太平洋に向けて建つ大洗磯前神社。
バスで向かいますので、それまで水戸市内散策。





釡神社。
丁度門松を飾っていました、今年もあと僅かですね。

伊勢屋、人気の店の様で、ひっきりなしにお客様が出入りしていました。

これからは約30分、駕籠=バスに乗り大洗海岸を目指します。


素晴らしい風景。



一年間無事に街道を歩けた御礼参り。


大洗磯前神社の周辺では、至る所で石が積み上げられていました。
崩していまった高校生くらいの女の子たちが、きゃーきゃー騒いでましたが、大丈夫かなぁ…
参拝が終わりましたので帰ります。



帰路の常磐線車内、大好きな利根川を渡る際に夕暮れの富士山を拝む事が出来ました。
街道の神様に感謝です。
