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文通が育んだ運命の出会いと苦悩の始まり

運命の出会いから結婚

※この記事は「普通の主婦だった私がシモーヌになるまで」の連載②です。

前回の記事

眼鏡屋に就職して1年目の時に、他店の同期の友達にダイビングに誘われました。

沖縄で初めてのダイビングを楽しみましたが、ダイビングって同じショップで申し込んだ複数の人達と同じボートに乗って、いいポイントで潜るんですね。

そして最後に、どこのポイントで、どんな魚がいて、などの記録をログブックというノートに書く時間がありました。

当時は、携帯もスマホもない時代。
一緒になった人達と、ログブックに連絡先を書いてもらって、写真を送ったりしていましたの。

だいたい写真を送ってもそれきりになることがほとんどですが、
そこに1人で来ていた男性と、なぜか文通が続きました。

文通と言っても、お互いダイビングやスキーなどに行った時に旅先からのハガキを出す感じだったけど、たまに手紙で仕事の悩みを書いたり、そんな文通友達。
古き良き時代よね(笑)

そんなたまのやり取りが2年経った頃、彼が奈良に一人旅に来た時に再会し、その日から付き合うように。

再会するまでたわいもない文通だけだったから、付き合う事になるとも思わなかったけど、会って1時間後くらいには、この人と結婚したら幸せだろうなと感じてました。

愛知と奈良の遠距離恋愛で、当時職人だった彼との結婚を母から反対されたり一筋縄ではいかなかったけど、付き合ってから2年後の2000年4月に無事結婚!

そんなわけで、愛知に嫁いで26年。
26歳で結婚したので、結婚してからの人生の方が長くなるんですね~

結婚によって開いた道

結婚後、いよいよシモーヌへの道が開いてきます。

シモーヌになるには、性の悩みとセラピストという材料が必要だったんだけど、どちらも旦那さんの存在あってこそなんだよね。

そういう意味でも、本当に魂が望んだ運命の出会いだと思っています。

ある日、名古屋の地下街で何気にリフレサロンの前に置いてあったパンフレットを取りました。

そこには、リフレクソロジー(足裏健康法)のスクールの案内が。

結婚当時、肉体労働をしていた旦那さんのケアをしたいなーというのもあり、自分が受けた事もないのに、スクールに行きたい!と思ったの。

受講料も結構高かったのに、誰も知り合いのいない私に環境を与えたいというのもあったみたいで、旦那さんもポンとお金を出してくれてリフレクソロジースクールへ。

スクール卒業と同時に妊娠したので、すぐに仕事することはなかったけど、ここでの出会いで、アロマ、レイキなど、様々な癒し、スピリチュアルな世界を知るように、、

後にスピリチュアル難民になります(笑)

結婚前には全く知らない、興味なかった世界だったのにね。

そして夫婦生活はというと、遠距離だったから気づかなかったけど、旦那さんは元々淡白な人でした。

特に子どもが生まれてからは、
あれ?産後一年経ってるのに全く求めて来られない!
って事にヤキモキしてた。

この頃、わたしはまだ男性は性欲があるものだと思っていて、
女性である自分の性欲は恥ずかしいものだと思っていました。

それでも、わたしから言わないと性生活がなかったから、アプローチはしてたけど、だんだん女性としての自信もなくなっていき、、

だからこそ、良き妻、母を頑張るようになり、負のスパイラルに入っていきます。

続く

次回予告

この記事は、マガジン「普通の主婦だった私がシモーヌになるまで」の連載②になります。

次回は、愛されたくて頑張っていた時代の衝撃の写真を披露します(笑)

あなたにも、「あの時のあの経験が今の自分に繋がっているな」という事があるんじゃないでしょうか?
何か感じたことがあれば、ぜひコメントで教えてください。

最後まで読んでくださりありがとうございます。
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