【AIR】内村鑑三の書を読み考える、中年以降に試される「生き様」
先日、久々に読んだ本があります。内村鑑三の「後世への最大遺物」です。
1894年、明治27年の夏に箱根で開催された講演会において彼が語った内容をまとめた著作であり、内村鑑三の代表的書籍の一つです。メッセージは「何が人が人生を通じて後世に遺す最も価値のあるものなのか」ということについて語るものです。これは彼の後輩たち、まだ若き20代のクリスチャンや知識層の人々から内村鑑三が求められて話した内容なのです。
若くして考えた人生の価値
実に内村鑑三が33歳の時の講演です。彼は61歳でなくなっているとされています。幼児期の死亡数が多い時代ですから平均寿命は45歳程度になっていますが、成人すれば50-65歳程度は生きる時代ですので、まぁ平均並みには生きています。
しかし現代のような人生100年時代のような長さから考えれば、30%は短い人生。だからこそ、ターニングポイントとなる30代前半で、内村は我々は何を今後遺すだけの価値がある人生なのか、を考えるというのはなかなか持って成熟を感じますね。今の30代で今後の人生の意味、価値を考えたり、さらに言えば20代で30代の先輩にそのような講演を頼むかと言われれば、あまり普通ではないですよね。
だけど、この内村の話が価値があると思うのは、年取った晩年に語る人生論ではなく、むしろこれから晩年に向けて我々はどう生きるのか、を考えさせられる一冊となっているからです。
今30、40、50代などが読んで、これからの人生の時間をどう過ごすかを考えるうえでとても意味のある内容なのは、晩年の振り返りではなく、勢いがまだある時に考える残された時間の過ごし方として論考であるからです。
過去の方程式が崩れ、模索する明治
当時の時代背景は極めて混迷を極めています。
明治維新が起きて士農工商がなくなり、武士失業、廃藩置県で過去の行政機構も置き換えられ、それぞれの人生を選択しなくてはならない時代になった明治時代。人々は人生の混迷に悩みます。
明治初期には福沢諭吉が「学問のすすめ」で、人はみな平等だ、その差は学問をするかどうかで変わる、学問せい、自立せい、と唱えたわけです。これに感銘を受けた人々も多くいて、財を成していく商人たちも出て、知識層は高級役人になったり、農民も都市に出て一旗揚げようとしたり、つまりは経済的な豊かさ、近代国家への貢献というものが一つの価値観になっていました。
しかし、明治後半になるとその行き詰まりとして出てくるのは、金や社会的地位は本質的価値があるのか、という疑問です。そこで内村鑑三の「人生の最大遺物」という問いが出てくるわけです。
この本が現代においても役に立つのは、このように過去の変革と、それに合わせた人生論や思想が転換点を迎え、自分たちで人生を捉え直さなくてはならなかった際に、「人生の最大遺物」というテーマは普遍的に我々に問いかけるものがあるのです。
金を遺す限界
彼は第一の異物としてお金というものは残す価値があるかということを最初に考えるわけですね。しかしながら、お金を残すことは確かに一定の価値はあるものの、お金は使えばなくなります。あと相続で争いになる。お金自体は人の人格そのものを向上させたりするものでもないということで、お金は異物にはなり得るが、最大の異物ではありません。
お金をいくら稼いだか、お金をいくら残していくかということは、それほど後世に大きな価値は生み出さないでしょう。つまり、お金は別に後世の人も稼ぐことはできるし、どんなに残したところで使えばなくなる、没落するということが普通に起こるというのを、これは江戸から明治を含めて、この時代の変遷の中で内村も見てきているわけです。
事業や組織や制度は永遠ではない
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