見出し画像

【スト6精神論】ヒリつきを取り戻すための私の儀式。

はじめに

スト6のネット対戦は、間違いなく格闘ゲーム史上最高に快適だろう。

ボタン一つで次の対戦相手が見つかり、負けても「再戦」ボタンを押せば数秒後にはリベンジマッチが始まる。無限にコンティニューができるような、本当に恵まれた時代になったと思う。

だが現在、私は「1回30分」という強烈な縛りの中でスト6をプレイしている。

ネカフェに籠もり、アケコンを叩き続けてMR1800(アルティメットマスター)に到達したあの頃とは天地の差だ。時間になれば、どんなに調子が良くても、逆に連敗してブチギレそうになっていても、強制終了。

(私のネカフェ時代はこちらから▼)

最初は「こんな環境でMR1800になんて戻れるわけがない」と絶望した。
しかし、毎日30分のタイマーと睨み合いながらパッド(OCTA)を握るうちに、私の奥底からある「懐かしい感覚」が蘇ってきた。

そうだ、これはあの頃のゲーセンと同じだ。100円玉を筐体に積み、負ければ即席を立たなければならなかった、あのヒリヒリした緊張感である。

無限に再戦できる現代の格ゲーにおいて、「1回30分」の制約は私に何をもたらしたのか。
今回は少し、メンタルと闘争本能の話をする。

子供の頃の、アーケードの思い出

1. ネット対戦の「無限コンティニュー」が奪ってしまったもの

ネカフェでスト6に時間をかける事ができていた頃、私は確かにMRを盛れていた。しかし同時に、1試合に対する「執着」は今より薄かったかもしれない。

「負けても、次勝ってMRを取り戻せばいい」
「今は手が温まっていないだけ。数こなせば勝率はおのずと収束する」

無限にコンティニューができる環境は、時としてプレイヤーに「惰性」を生ませる。雑な飛びを通そうとしたり、手癖で無敵技をぶっぱなしたり。
負けても痛みが少ないからこそ、1試合の価値がどこか軽く、作業のようになってしまう瞬間があった。

ネカフェ時代、
作業のようなランクマッチ

2. 1回30分 = 筐体に積んだ「5枚の100円玉」

今の私に「次」はない。

1日30分で回せるランクマッチは、せいぜい5〜6試合。マッチングの待ち時間を考えればもっと少ない日もある。

そう、私の30分はゲーセンの筐体に積んだ「500円」と同じなのだ。

残り時間が5分を切った最終戦。ここで勝てば気持ちよく今日を終えられるが、負ければ屈辱を抱えたまま、次までスト6はお預けになる。しかも相手が苦手なJPだったりしようものなら、心拍数は跳ね上がる。

「絶対に負けられない」

このプレッシャーは、無限再戦が当たり前の現代スト6において、時間制限を持つ者にしか味わえない特権的なヒリつきだ。

最後の一戦

3. 制約が呼び覚ます、アーケード世代の闘争本能

この「100円玉のヒリつき」は、私のプレイスタイルを劇的に変えた。
負けが明日への絶望に直結するため、アケコン時代のような「感覚での甘えたプレイ」が一切できなくなったのだ。

テリーの立ち弱P一つ振るのにも、命を懸ける。
相手の飛びに対して、無音の十字キーで意地でもライジングタックルを合わせる。
バーンアウトしそうな時、必死にラインを下げてでも時間を稼ぎ、生き延びる道を模索する。

「1回30分」しかないからこそ、その30分間は一切のノイズを遮断し、画面の向こうの相手を倒すことだけに全神経を集中させるようになった。

惰性で回していたネカフェ時代よりも、今の方がよっぽど「格闘ゲーム」をしている実感がある。

4. 結び:時間がなくても、熱狂はできる

現在、私のMRは1700台(ACT10終了時点)。目標のMR1800までは、まだ壁がある。

パッド操作のミスに苛立ち、「あと1時間あれば!」と天を仰ぎたくなる夜も正直ある。
だが、「家でゲーム禁止」から奇跡的に勝ち取ったこの30分は、私にとってただの制限時間ではない。

あの頃、100円玉を握りしめて順番待ちをしていた時の「早く対戦したい」「絶対に勝つ」という純粋な闘争本能を呼び覚ますための、大切な儀式なのだ。

制限時間を格ゲーを楽しむ要素にする

時間がない社会人ゲーマーたちへ。
「やれる時間が少ない」と嘆くのはやめにしよう。時間が限られているからこそ、1試合の濃密さはプロにも負けないものになる。

今日も、私は時計をチラチラと確認しながら、筐体に100円玉を入れるつもりで、テリーと共にランクマの海へ潜る。

(次回は、スト6寄り道編、バトルハブに行ってみた話を書こうと思います。)

いいなと思ったら応援しよう!