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[スト6】イングリットにみる、P4Uのエリザベス。

はじめに

イングリットが実装されたスト6をプレイし、私は10数年前に稼働されたP4Uの事を思い返していた。

トレーニングモードの画面端から端までを、一瞬にして真っ白な光の筋が焼き尽くす。

イングリット ビーム

イングリットが放つ、そのあまりにも鮮烈で圧倒的な「ビーム」。リビングで音を消したテレビの強い発光が私の顔を照らした瞬間、右親指でOCTAのボタンを押し込んだまま、私はずっと昔に置き忘れてきたはずの、あの夜の匂いの中に引き戻されていた。

2012年稼働のP4U

「やる気勢」と呼ばれた日々

学生時代は、私にとって初めて格闘ゲームをしっかり取り組んだ時期だった。
講義後、なけなしのお金を握りしめて向かうのは、すでに他の格ゲーで腕を磨いた格上たちが我が物顔で座る、熱気と煙草の煙が立ち込めるゲームセンター。

実力差は歴然で、100円玉は一瞬で溶けた。
それでも諦めずに通い詰める私たち学生集団を、格上の彼らは煙たがることなく、親しみを込めて「やる気勢」と呼んでくれた。そして、いつでも快く胸を貸してくれたのだ。あのゲーセンのコミュニティの中で揉まれた経験が、私の格ゲーの原点になっている。

やがて待望の家庭用が発売されてからも、私たちの熱が冷めることはなかった。今度は友人宅に集まり、夜通し修行に励む日々が始まった。
「もっと強くなりたい」その一心で、学生の身でありながら、決して安くはない初めてのアケコンも購入した。ずっしりとしたその重みを膝にのせ、レバーを正確に倒し、ボタンを叩き込む。その手触りを指先に馴染ませながら、私たちはそれなりに、しかし間違いなく純粋な熱量で格ゲーに没頭していた。

あの頃、私が狂ったように手なずけようとしていたのが、P4Uのエリザベスだった。
彼女の代名詞もまた、生身の格闘技のセオリーを嘲笑うかのような極太の「ビーム」だった。泥泥とした地上戦をすべて無に帰していく、圧倒的で暴力的、かつ優雅な光条。

エリザベス ビーム

決して扱いやすいキャラクターではなかったが、格上たちの胸を借り、友人たちとアケコンを叩き合って手に入れたその連携で画面を支配したときの全能感は、今でも脳裏に焼き付いている。

静寂に差す、異端の光

それから10数年が経ち、スト6という現代の洗練された闘技場にイングリットが降り立った。
彼女の指先から放たれたビームの光が画面を覆い尽くすとき、私はかつての絶対的強者の面影を、確かにそこに重ねていた。

今の私は、リビングのソファに深く腰掛け、テレビの音を消し、妻の隣で「1回30分」という砂時計が落ちるのを気にしながらコントローラーを握っている。学生時代の、あの馬鹿みたいに笑い合いながら、無限にゲームをしていた日々には、もう二度と戻れない。

けれど、画面の中で彼女たちが放つ異端の光と、それを精密なパッドで制御しようともがく指先の熱だけは、長い時を経ても少しも変わっていなかった。
勝ち負けという結果や数字に追われる現実を一瞬だけ忘れて、ただ「規格外の存在を操る」という純粋な快感が、右親指の先から全身へと駆け巡っていく。

イングリットのトリッキーな軌道を追う脳の回路は、あのアケコンを握ってエリザベスを動かしていた時と同じ、心地よい疲労感を伴って覚醒していくようだった。

SA2 使いたくなる

結び。

日々、ギリギリの勝負の世界で数字を追いかけていると、ふと息継ぎの仕方を忘れてしまうことがある。

たまには効率や生存戦略といった重たい鎧を脱ぎ捨てて、ただ純粋な「ゲームという遊び」の記憶に身を委ねてみるのも悪くない。

効率的な強さからは少し遠いかもしれない。それでも、イングリットが放つ眩い光は、あの頃、ゲーセンの片隅で「やる気勢」と呼ばれて目を輝かせていた自分と、優しく温かいノスタルジーを運んでくれた。

今日もまた、限られた時間の中で、私は画面の中の異端の輝きにそっと指先を浸している。

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