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オナニーをかっこよく言い換える

自慰行為には様々な言い方がある。
その中で最もかっこよくてしっくり来る言い方を模索してみようと思う。
目を開けながらする自慰目を閉じてする自慰
やはり格好良いのは目を閉じてする自慰だろう。
目を閉じて何か一つの事を思い、その先にある賢者タイムという無の境地を目指して必死に手を動かすというのはなにか坐禅や瞑想に近いものを感じる。良く言うなら神秘的だ。
こんなにも文学的な表現ができるのは偶然ではなく必然だと思う。
それはつまり私たち人間の生き様と似ている部分があるからだ。
何か確立した信念を持ち、そのためにたとえ何かを犠牲にしても必ずやり遂げる。人の格好良いとされる生き様はこうであろう。決して何も目標を持たずに浮浪して生きるというのはかっこいいとされないのが人の理想であろう。
先ほど述べた自慰行為の説明はその人間の理想にも即している。
時間やプライドというものを犠牲にし、自分の性癖と向き合い、その先の会館と悟りの境地に達するために必死に手を動かす
この2つは何ら違いがない。よって同等であるとして考えていこうと思う。
本題に戻ろう
かっこいい言葉とは何か。小学生がよく名前につけるハイパーとかウルトラとかいう言葉は成長していくにつれて幼稚な表現であったと認識させられる。それはつまりハイパーとかウルトラは凄さの次元の表現であり、例えるなら自分の作品を他人に説明する際、凄いという言葉のみで納得させようとするということに似ている。それでは他者は何が何かわからず、また幼稚な表現だと受け取られる、対して論理的に的確に特徴を伝えられる人は大人つまり理想的でかっこいいとされる。
自慰行為、オナニーも例外ではない。
自慰行為を気持ちがいい行為などと表現すると低俗なことだという印象をうけるが、無の境地に達する行為だと表現するとそれはもうかっこいいのだ
だが長ったらしい文章はかっこよくない。できれば名詞一つで終わらせるのがりそうであろう。
坐禅というものにおいて何かを考えるというのは煩悩とみなされるので、

自慰行為を坐禅と表現したらそれは煩悩まみれであろう。


となると似た表現で瞑想という言葉が近いのではないのか。
うん、これはめっちゃいい
今日から瞑想と呼ぶことにする。QED


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