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現代文の勉強方法

はじめに

 このnoteをご覧いただいているということは、国語の勉強で行き詰ることがあって解決を求めていたり、また国語の力を向上させたかったり、テストの点数を伸ばしたかったり、志望校合格を目指していたり、なにかしらの意欲があってこのページにたどり着いたことだとおもいます。
 このnoteは、現代文の勉強方法で悩んでいる方、現代文という科目がどういうものかわからない方、試験で何を求められているかわからない方、どのように解答すればよいかわからない方、このような方々に向けて書きました。
 小手先の技術や解法を紹介するものでは決してなく、文章を読解して内容把握できる力が身につく方法をお伝えすることを目的としているため、現代文の成績が安定しない、また演習を繰り返していても力がついている実感がない、という悩みを持っている受験生には、入試のスタイルを問わず全員に学んでいただきたい内容となっています。そして特に、的確に記述する力を身につけるための勉強方法も書き記していますので、国公立大学志望の受験生や、小論文が求められる受験生には、ぜひとも学んでいただきたい参考書です。
 読者としては、日本語で書かれた文章を、少なくとも言語として問題なく把握できる状態にある人を想定しています。例えば、指示語や接続詞の働きを理解していること、ある程度の語彙力があって知らない語句に遭遇しても調べながら読めば日本語としての意味がわかること、知らない語句はきちんと調べて確認し調べた語句を知識として増やそうとする意欲があること、これらは身に着いた状態であることが望ましいです。
 日本語としては読めているはずなのに結局なにが言いたいのかうまく説明できない、なにが言いたいかなんとなくわかっているはずなのに現代文の成績が伸びていない、答えるべきことはなんとなくわかるけれどどのように答案を記述すればいいかわからない、このような状態の人にはまさにうってつけの参考書です。また、このnoteに記載する内容は大学受験を控える受験生に向けた作りになっていますが、教養を身につけたいという意欲がある方であれば、社会人や大学生にとっても、中高生のお子さまがいらっしゃる親御さんにとっても、仕事や勉強や教育において新しい価値観を発見できる部分があるのではないかと考えます。多くのみなさまに学んでいただけること、そして、お読みいただいたみなさまになにかひとつでも気づきがあり、人生がほんの少しでも豊かになること、お役に立てるのならば大変光栄に思います。

現代文という科目について

現代文の勉強はなにが難しいのか

 突然ですが、質問です。現代文は文系科目でしょうか。多くの方は、イエスと答えるでしょう。現代文というと「国語」「日本語」「言語」を正しく運用できるかどうかを試されている、最も典型的な文系科目であるという認識を持つ方が多いとおもいます。その考え方は当然、正解です。しかし、大学入試で「現代文」という科目で求められている能力という点で考えた場合、必ずしもそうではないようです。
 現代文ができるようになるためには、どのように学習すべきでしょうか。多くの高校生にとって、難しい課題なのではないかと考えます。現代文以外の科目であるなら、例えば英語を勉強しようと思えば、まずもって語彙力は必須ですし、英語を日本語に変換できるようになるためにはどんなことをすればいいのだろうと想像することはできますよね。それが自身にとって最適な学習であるかどうかはさておき、なにができれば英語ができるようになるかを考えて行動に移すことは容易に(もちろん、英語の習得が容易であるという意味ではなく)できるのではないでしょうか。それが古文や漢文であっても同様であると思いますし、社会科や理科や数学であれば「学ぶべきもの」が明確に在るので、なにを知らなくてはならないか、どんなことができるようにならなくてはいけないのか、ある程度は見えている状態から学び始めることができます。
 僕は、どの科目のどの単元を学ぶに際しても、これから学ぼうとしている学問がどんな必要があって誕生し、どのような目的を果たすために成長し、どんな役割を持って学ばれてきたのかを知った状態であることが相応しいと考えます。ですが、お伝えした通り、高校までの学習や大学受験勉強の多くは、これらがわからない状態でも取り急ぎ着手することができてしまうものです。僕が考える、他の科目と異なる現代文特有の難しさは、「なにから手を付ければいいのかわからない」ところです。それを解決するためにはまず、現代文というものがどのような科目であるかを知るところからスタートしましょう。

大学入試で求められていることはなにか

 「現代文」という枠を一旦離れて、そもそも大学入試ってなにかを考えてみましょう。これからお伝えすることは他の科目にも共通して言えることだと考えています。
 大学入試、いえ入学試験に限らずともあらゆる試験というものは、どのような機能を果たすのでしょうか。それは「仕分け」です。合格する人と、不合格となる人とに分ける、そのために実施されるのが大学入試です。では、どのような人が合格するのでしょうか。「こういう能力を備えている人にうちの大学に入学してもらいたい!」という基準がなければ、そもそも仕分けの機能を作ることができないですよね。まずは「大学に求められている能力」を知るところからでないと、効果的な学習にたどり着くことはできません。では、「大学に求められている能力」を知る術を、みなさんはご存じでしょうか。

 ふたつ、ご紹介いたします。

① アドミッションポリシー

 ひとつめはアドミッション・ポリシーです。大学進学を目指すのであれば、まずはアドミッション・ポリシーを把握するところから始めていただきたいと考えます。各大学のホームページに掲載されており、「学部情報」「入試情報」「受験生のみなさまへ」などのリンクからアクセスできることがほとんどです。志望する大学があるのなら、必ず目を通してください。
 例として、東京大学のホームページに掲載されているアドミッション・ポリシーをみてみましょう。

 「東京大学の使命と教育理念」
 「期待する学生像」
 「入学試験の基本方針」
 「高等学校段階までの学習で身につけてほしいこと」
 「教育の仕組み・学部紹介」
 これら5つについて書かれています。

 「高等学校段階までの学習で身につけてほしいこと」についてはそこからさらにリンクがあり、各科目の学習で身につけてほしいことが詳細に記載されています。

 そのうち国語に関する箇所を引用します。

【国語】

 国語の入試問題は,「自国の歴史や文化に深い理解を示す」人材の育成という東京大学の教育理念に基づいて,高等学校までに培った国語の総合力を測ることを目的とし,文系・理系を問わず,現代文・古文・漢文という三分野すべてから出題されます。本学の教育・研究のすべてにわたって国語の能力が基盤となっていることは言をまちませんが,特に古典を必須としているのは,日本文化の歴史的形成への自覚を促し,真の教養を涵養するには古典が不可欠であると考えるからです。このような観点から,問題文は論旨明快でありつつ,滋味深い,品格ある文章を厳選しています。学生が高等学校までの学習によって習得したものを基盤にしつつ,それに留まらず,自己の体験総体を媒介に考えることを求めているからです。本学に入学しようとする皆さんは,総合的な国語力を養うよう心掛けてください。
 総合的な国語力の中心となるのは

 1) 文章を筋道立てて読みとる読解力

 2) それを正しく明確な日本語によって表す表現力

の二つであり,出題に当たっては,基本的な知識の習得は要求するものの,それは高等学校までの教育課程の範囲を出るものではなく,むしろ,それ以上に,自らの体験に基づいた主体的な国語の運用能力を重視します。

 そのため,設問への解答は原則としてすべて記述式となっています。さらに,ある程度の長文によってまとめる能力を問う問題を必ず設けているのも,選択式の設問では測りがたい,国語による豊かな表現力を備えていることを期待するためです。

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/admissions/undergraduate/e01_01_18.html

 ここまで詳細に示してくれています。熟読したうえであれば、まずは「現代文というのがどのような科目であるか」がなんとなく見えた状態になるのではないでしょうか。

② 過去問

 ふたつめの方法が、過去問をみることです。アドミッション・ポリシーに記載されている「期待する学生像」を満たした学生であるかどうかを、大学側はどのように確認するのでしょうか。それを機能させるべく作成されたものが、まさしく入試問題になりますよね。入試問題を作成する人の役割は、「期待する学生像」を満たす学生に入学してもらうことです。そのためには、「期待する学生像」を満たす人には解けて、そうでない人には解くことができない、そんな問題を用意する必要があります。ひとつめのアドミッション・ポリシーをまさに具現化したものが、入学者選抜の仕分け機能、すなわち入試問題になるのです。
 それでは、国語の試験における入学者に身につけておいてほしいことに沿って、現代文の入試問題をみていきましょう。そのためには、「身につけておいてほしいことが身についているかどうかを試すことができる現代文の問題」を実際に作ってみる体験をするところから考えてみます。
 想像してみてください。あなたは大学の教授です。今年度の国語の入試問題の作成を担当してもらうよう依頼がきました。ここから入試問題が完成するまでの過程をたどってみましょう。まず、題材を選ぶところから始まります。入試問題の問題文として相応しい「論旨明快でありつつ、滋味深い、品格ある文章」を選定するのです。文章の論理構成がしっかりとしていることはもちろんのこと、扱っている題材の内容や、それを表現する文体が、大学生に求めるにあたって相応しいものということですよね。
 では、選んできた文章を入試問題にしようとしても、そのままの形では難しい場合がほとんどです。まず、文章の長さが試験時間の長さに見合っていなければ、抜粋するという作業が求められます。そのためには、ほとんどの場合は文頭と文末の部分が切り取られることになりますし、場合によっては文の途中であっても切り取られることがあります。入試問題や模試を解いているときに「〜〜(中略)〜〜」という表記を見たことがある人も多いでしょう。
 では、抜粋されるのはどのような箇所でしょうか。
 これは経験則によるため断言することはできませんが、「本文の主張がひとつ、完結している箇所」であると考えています。これまで読んできた模試や過去問のほとんど全部が、筆者の主張をひとつ、言い表すことができる文章になっています。主張がぶれていたり(結論が「断言することはできない」みたいに曖昧であるという意味ではなく主張自体が曖昧という意味)、主張がなかったり、主張と一切関係ない文章があったり、わざわざこういった文章は用意しないということです。なぜなら、入試問題を作成するために自由に文章を抜粋して構わないのだから。もしみなさんが、主張がない文章や、主張と関係ない記載がある文章に、出会ったことがあるという場合、100%とまでは言いませんが、ほぼ間違いなく主張を読み取れていないか、あるいは全体の主張と部分との関連性を理解できていないと思っていて差し支えないとおもいます。
 さて、ここまでであれば想像に難くないとおもいますが、実はこれで終わりではありません。余談にはなりますが、「入学試験の問題文」の作成にあたっては著作権が一時的にフリーになるということをご存じでしょうか。著作権フリーだとどういうことができるかというと、問題作成者によって文章の順番を入れ替えたり、表記を書き換えたり、書き加えたり、これらの改変が認められるということです。こうした作業は、通常であれば適切でない引用となるため、特に学術的な領域においては厳しく咎められる行為です。しかし、学術機関である大学の、まさに入学試験においては、その行為が許可されているのです。
 ちなみに、これが赤本などの過去問題集として掲載される際には、著作権が発生します。著者にとって、書かれてある文章はもともと自分が意図していたものと必ずしも一致しているわけではありませんので、問題作成者の書き換えた文章が自分の名前と一緒に書籍として残ることを嫌う場合は、掲載を拒否できるのです。過去問題集をみると「著作権の都合上本文は掲載しない」などの記載があり、設問のみが書かれたものに遭遇することがあるでしょう。こうした背景により本文が掲載できない場合があるのです。
 このような作業を経てできあがった問題文は、作者の文章であると同時に、それ以上に問題作成者の文章になっていることを理解できたのではないでしょうか。あなたがこの文章を作り上げることで、受験生に求めることはなんでしょう。この時点においては「本文を正確に読んで理解すること」以外にないのではないでしょうか。選定してきて、しかも手を加えて作り直した「論旨明快でありつつ、滋味深い、品格ある文章」を、きちんと読んで把握できていてほしい。これを確認するための手段として、問題が設けられているわけです。問題作成者にとって、受験生が文章を適切に読むことができているかどうかを知るのは意外と難しいのです。きちんと確認しようとおもったら、面接試験を設けて30分程度会話する、などといった方法になってしまい、現実的な手段はないのです。だから、「問題を解けるかどうか」をもって「文章を読めたかどうか」を判断することになります。ここに持ってくるべき問題は、「文章を読むことができた人は解けて、文章を読むことができなかった人は解くことができない」問題でなければ意味がありませんよね。となると、読めておいてほしい箇所の理解を設問によって尋ねることで理解状況を測ることができますし、選択式の設問であれば、理解が誤っている人や不足している人にとっては正しく選ぶことが難しい選択肢を用意しておけば、正答率によって理解を測ることができるわけです。つまり、設問も選択肢も「本文の理解」に根ざして作られていることになります。
 最終的に志望校に合格するためには「読む力」と「解く力」の両方が求められます。選択肢を正しく選び抜くことができて合格最低点を僅かでも上回ることができたら、どうであれ合格することはできるのですが、ここで考えるべきは、これから受験勉強を開始するにあたって「読む力」と「解く力」のどちらから身につける方が相応しいのかということです。結局合格できればどちらでも構わないと思うかもしれませんが、少なくとも大学が求めているのは「読む力」です。そして「解く力」は「読む力」に依存するものです。受験をどのように捉えて、どのように乗り越えるかは受験生の自由ですが、行きたい大学があるのであればぜひとも、「大学が求めている力」を真正面から身につけていただきたいと願います。

「現代文」とはなにか

 「現代文」という科目とはいったい、何者なのでしょうか。その答えは「問題作成者が読むことで得られる理解と、受験生が読むことで得られる理解が、一致しているかどうかを試すもの」です。
 このように書くと、問題作成者の独断によって、あるいは気分によって、模範解答が変わってしまうのではないかと思われるかもしれません。しかし、そのようなことは(絶対とは言い切れませんが)まず起こりません。というのも、ある程度の教養がある人が読むならば、同じ文章を読むことで得られる理解というものは一致するからです。読みながらどんなことを考えて、どういう思考回路によって理解を作るか、これは当然、年齢や母語、あるいは育った文化的背景や、専攻している領域などによって違いが生じます。東京大学のアドミッション・ポリシーにも書かれてある通り、これらの「自身の体験と結びつけながら読むこと」は文章の理解の助けになりますし、求められていることでもあります。個人の体験はそれぞれ異なるわけですから、考える際の手がかり足がかりは受験生全員、いや大学教授も高等学校の先生も問題作成者であっても、異なって然るべきです。しかし、間違いなく読み取るべき内容というものは共通してあるのです。受験生であるあなたは、同様の理解を作ることができるのか、すなわち、学術機関に入って一緒に言葉を交わすことができる基礎力が備わってあるかどうか、これが試されているというわけです。
 およそ、現代文という科目がどのようなものであるかは理解いただけましたでしょうか。話をもとに戻しますと、さて、現代文は果たして文系科目なのでしょうか。ここまでお読みただいたみなさまであればもうわかるはずですね。求められているのは「内容の理解」です。現代文という科目が求めていることに「言語運用能力」はもちろん含まれます、そしてそれ単体しか問わない入試のスタイルもきっと存在するでしょう。ですが学術機関である「大学」に入学するために求められるものは、文章を正しく読んで理解し、共通認識を作ることができるかどうかであり、そのためには言語運用能力も、当然必要であるというだけの話です。
 大学に入ったら文系も理系も問わず、日本語ないし英語で論文を読み、日本語ないし英語で論文を書くことになります。(もちろん他の言語で読み書きする可能性も大いにあります。)読んでいる論文の題材が生物学であれば、生物学の内容が現代文の試験で求められる能力になります。医学であっても哲学であっても天文学であっても歴史学であっても同様です。現代文は文系科目ではなく、あらゆる学問領域において大学に入ってから求められる、情報を整理して把握する能力そのものなのです。

「教養」とはなにか

 先ほど、現代文の説明をする際に「ある程度の教養がある人が読むならば、同じ文章を読むことから得られる理解というものは一致する」と申し上げました。であれば、現代文ができるようになるために求められるのは「教養」ということになりますよね。
 実は、僕自身が高校生だったときは現代文が大の苦手でした。いろんな参考書に手を伸ばして、どんな勉強をしなければならないのか思案していたところ、同様の文章に出会ったことがあります。現代文に必要なのは教養であり、これまでの人生における読書量がものをいう、といった旨が書かれており、当時高校3年生であった僕は絶望した記憶があります。もう間に合わないんだ、無理なんだ、人生をやり直さなくてはならないのだ、と思い知らされた無力感を決して脚色ではなくはっきりと覚えています。この文章によって、僕にとって現代文というものが、生まれた環境によって合否が決まってしまうような、とても不平等な科目におもえて憤慨していました。当時の僕と同じように考える人が出現しないように、ここでいう教養とはどのような意味であるのか改めて整理しておきます。
 僕は東京大学の文科3類に入学したのですが、入学してからしばらくは「教養学部」という学部に在籍していました。僕が通っていた東京大学は特殊な大学で、受験した科類によらず、入学した学部生の全員が最初の2年間は教養学部に在籍することになり、そして大学3年生から専門の学部に分かれていくのです。まあ、僕は留年という素敵な制度の恩恵を受けることができましたので、3年間も教養学部に在籍しておりましたが。
 教養学部に在籍している際には「教養とは?」という問いに多く出会うことができました。教養は、高校時代に僕が持ち合わせてなかったことを恨んだ存在であるだけに、非常に興味がある問題でした。そして、大学に入ってから知ることができた「教養」は、僕がそれ以前にイメージしてきた「教養」とはずいぶんと異なっているものでした。
 「教養とは?」という問いに最初に触れたのは、入学して間もないことでした。田舎で生まれ育った僕が東京にでてきて、入学のための手続きやらなんやらをバタバタと終えて、まだ東京の暮らしにも大学生活にも慣れているはずのないときに、武道館で行われた入学式にて、早くもその機会は訪れたのです。
 当時の教養学部長の言葉が美しく、かつ強く、それでいてユーモラスであり、いまでも非常に印象深く記憶しています。ニュアンスも含めて是非ともお伝えしたいので、一部抜粋ではなく全文をお読みいただきたく、東京大学のホームページのリンクを掲載いたします。

 この式辞を読んでどのように感じたでしょうか。教養を身につけるためには、結局のところ、多くの人が言っている「本をたくさん読め」と同じ行動に行きついてしまうかもしれませんね。ですが単なる読書量が大切であるわけではないことにも気付かされたのではないかとおもいます。
 別の捉え方を見てみましょうか。東京大学が発足した際の初代教養学部長である矢内原によると「ここ(=教養学部)で部分的専門的な知識の基礎である一般教養を身につけ、人間として片よらない知識をもち、またどこまでも伸びて往く真理探求の精神を植えつけなければならない。その精神こそ教養学部の生命なのである」と表現されています。
 教養とは知識や経験の量の多寡を指すのではなく、知識や経験をどのように考えながら身につけてきたか、そしてどのように活用するか、その態度であると考えることはできないでしょうか。僕にとっての教養は、まさしくこの態度、立ち振る舞い方なのであると結論づけています。すると、アドミッション・ポリシーに書かれている「学生が高等学校までの学習によって習得したものを基盤にしつつ、それに留まらず、自己の体験総体を媒介に考えることを求めている」という意図が見えてくるのではないかとおもいます。(東京大学の入試問題を作っているのがまさに教養学部であることも納得できますね。)
あなたはこれまで知識や経験に出会ったときに、どのように感じ、思考し、行動したのか。そしてこれから知識や経験に出会うとき、あなたはどのように感じ、思考し、そして行動するのか。この態度こそが教養だ、と捉えてみましょう。

どのように教養を身につけるか

 高校生がそのような教養を身につけるためには、では、どうすればいいのでしょうか。この方法を探るということは、多くの情報に出会い、その情報について考える、という体験をたくさん積むためにはどのような方法が考えられるかという問いを意味します。
 さあ、日本一周自転車の旅にでもいきましょうか。いろんなことを考えながら多くの人と出会い想像し悩み様々な体験をして、故郷に帰ってきたとき、あなたはきっと大きく成長しているはずです。しかし、このnoteを読んでいるみなさまがそんな答えを期待していないということは、僕も当然わかっています。
 改めて確認します。教養とは、態度のことです。僕が高校時代に「現代文が解けるようになる方法」を探し求めていた態度は、きっと、教養的であることから最も離れていたようにおもいます。ですが、きっともう現代文を解けるようになれないのだと絶望した僕がたどり着いた行動は、期せずして、高校生にとって教養を身につけるために最適なものであったように考えます。具体的な行動としては、とにかく過去問を解き続けることでした。ただ過去問演習をするだけであればどんな受験生も取り組むとおもいますが、僕にとっては人生の中で読書をする時間があまりに不足していたのだと絶望していたわけですから、受験までの時間をなるべく無駄にしないようにしながら読書量を確保する手段として、「大学入試の現代文の文章を、過去問として演習すると同時に、読書量を稼ぐために読みこんでいく」という作戦をとったのです。効率を重視した、教養的ではない、いささか卑怯な手立てかもしれませんが、思い返してもなお、これが高校生にとって最適な勉強であったと確信しています。
 理由は明確です。大学受験で問われている文章は、教養を持ち合わせているかどうかを確認するための文章だからです。
 「教養を身につけるための文章」を、そもそも教養を持ち合わせていない高校生が見つけ出すことがまず難儀なのです。そして仮に見つけられたとしても、教養を持ち合わせていないのだから、正確に読めているかどうかを確かめられないわけです。大学受験の文章には、教養が備わっているかどうか、文章を理解できているかどうかを確認するための設問という補助輪までつけてくれています。
 これを、「得点力を上げるため」や「試験当日のパフォーマンスを上げるため」の傾向と対策としてのみ用いるのは、あまりにも、もったいない。
 現代文の入試問題は、アウトプットであると同時にインプットでもあると捉えてみてください。現代文の文章を読むときの心構えとしては、これまで学んだことを活かして理解できるかどうかを試すと同時に、文章に書かれてある考え方を身につけるという、両方に向かい続けていてほしいのです。
 過去問は、教材です。ぜひとも、じっくり読んで、じっくり考えて、国語の力を涵養していただきたいと考えます。
 もちろん、実際の入試本番においては「制限時間内に、いかに正確に解答して合格を勝ち取るか」ということを考えるものですが、過去問として取り組む際には、お伝えしたような態度で向き合うことができれば、文章を読んで理解する力は間違いなく高まります。ぜひとも、どの大学を受験するとしても、同様の心持ちで学んでいただけることを願います。
 長くなりましたが、貴重な受験勉強の時間を割いてでも、受験生が考えておいてほしいことを書き記しました。
 ここからは、読者のみなさまが過去問を用いた学びを体験いただくことで、直接的に学びを得るのはもちろんのこと、教養の身につけ方としての「現代文の学び方」を実践していただき、今後の学びが実り多きものとなることを祈念いたします。



※「教養」については別の記事でも取り上げてますので、興味があれば併せてご覧ください。

現代文の学び方

「読む力」の涵養

 実際に読み方を学んでいくにあたって、まずは僕が想定している学習の手順をお伝えします。
 多くの受験生は、問題形式にすることで、「解けるようになること」を学習のゴールにしてしまいがちであるため、ここではあえて設問や傍線部を一切気にしないようにしていただきたいのです。文章に書かれている内容がわかること、文章を読みながら考えているべきことを追いかけられていること、徹底して確認するようにしてください。

 ① まずは自力で読む

 ② 知らない語句があれば意味を調べる

 ③ 解説を読む

 ④ 本文を読みなおす

 必ず、この4つのステップを踏むように心がけてください。特に「④本文を読みなおす」のステップを重視していただきたいです。
 最終的には(少なくとも入試で間違いなく解答できる状態になるためには)、初見で、自力で、一読しただけで、意味が整理された状態で頭に入っていること、ここを目指さなくてはなりません。現代文の学習において、「読んでみてわからなかった、でも解説を読んだら理解できた」という状態で満足して勉強を終えて次の問題に進んでしまう受験生がとにかく多いです。(現代文に限らず、英語や古典や数学の勉強においてもこの懸念が窺われます。)
 しかし、このような学習をどれだけ繰り返したとしても「初見で、一読で、意味がわかる」状態に至ることはありません。しっかりと理解できたのなら、頭から文章を読みなおして、本文中の記載から理解を作ることができるかを確かめること、そしてそれがあまりに容易であると認識すること、ここまでできてはじめて、学習が完了したと言っても良い状態になるでしょう。そして、この読み方ができたとき、そのときの頭の使い方が、現代文が得意な人の文章の読み方であると考えてみてください。
 勉強した文章で「初見で、一読で、意味がわかる」読み方を追体験すること、この状態まで求めます。必ずこの状態であることを確かめてください。解説を読んだ直後に達成できなかったとしても構いません、1週間後でも、1か月後でも、必ず戻ってきて読み直してください。この作業を怠ると、現代文の力は身につきません。
 そして、しっかりと確認できた文章であっても、気が向いたら時間をおいて読み直してみてください。一度でも理解を作ることができた文章であれば、例え詳細部分は忘れてしまっていたとしても、いとも簡単に理解をつくることができると気づくはずです。「初見で、一読で、意味がわかる」読み方が自然とできていること、そして現代文の力が確かに身についていることが、実感できるのではないかとおもいます。

(2015年の大学入試センター試験国語第1問の文章について、一文ずつ、読み終えた時点で考えていてほしいことをコメントする形式で全文解説したものを是非ともご紹介したかったのですが、著作権の都合上掲載しておりません。大変申し訳ございません。)

「記述する力」の涵養

 これまで、読解に注力してきました。しかし、それだけで受験に合格できるわけではないですよね。ここからは、しっかりと読み取った内容を相手に伝わるように適切に伝えられるよう記述して表現することを学んでいきます。
 僕自身もそうでしたが、現代文の記述問題においては、本文中の表現をそのまま書き写していいのか、それとも書き換えた方がいいのか、書き換えるとしたらどの程度まで求められるのか、あるいはどの程度まで許容されているのか、非常に曖昧な問題として多くの受験生を悩ませているのではないかと考えています。
 多くの大学入試には模範解答なるものが存在しません。しかし、模範解答を教えてくれている試験、それも大学進学を志す大多数が受験する試験であり、それでいてどの入試問題よりも丁寧に作りこまれた試験があります。それが「共通テスト」です。
 共通テストの来歴をご存じでない方もいらっしゃるかとおもいますので、少しお話しします。共通テストはもともと、国立大学の一次試験であったことをご存じでしょうか。それが共通一次、センター試験と名前を変え、共通テストに至るのです。いまでは公私を問わずほとんどすべての大学受験の選抜に用いられている試験ですが、国立大学の一次試験であったという性格は完全に失われてはいません。国立大学の多くが記述による解答を求めていますが、特に国公立受験者が現代文の模範解答の作成方法を学ぶためには共通テストの解答例から学ぶのがベストだと考えております。

 この単元では、大学入試センターが用意した「模範解答」を自力で作成できるようになる方法を身に着けていただきます。これは、国立大学を目指す受験生にとってはもちろんのこと、英語や社会や小論文で記述が求められる受験生にも広く役立つものになります。
 それだけでなく、共通テストをはじめとする選択式のスタイルで現代文を解答する受験生にとって、適切な選択肢を見抜くうえで必要な力でもあると考えています。どのような解答を正解の選択肢とするか、またどのような答案を誤りの選択肢として用意するか、出題する大学によって性格が異なってくるので、ご自身が受験する大学の過去問で同様のアプローチを徹底的に実践していただくことが過去問演習では求められていますし、文章を理解できるようになったうえで最終的な得点力にまで結びつけるためには、必ず求められる過程です。
 受験スタイルによらず、現代文の学び方として知っておくべき内容になりますので、しっかりと理解して実践できるように確認しましょう。



(以下、2015年の大学入試センター試験国語第1問の正解の選択肢について解説しています。可能であればお手元にご用意いただいたうえで本文と照らしながらお読みいただけると、理解がより深まるものと考えます。)

問1
傍線部A「『教えて君』よりも『教えてあげる君』の方が、場合によっては問題だと思います」とあるが、それはなぜか。

 では、大学入試センターが用意した答案を先に見てみましょう。

【模範解答】
「教えてあげる君」は自身の知識を増やそうとすることがなく、「教えて君」の知的好奇心を新たに引き出すこともないため、「教えて君」もまた「教えてあげる君」と同様の状況に陥り、社会全体の知的レベルが向上していかないことにもなるから。

 このような答案をどうすれば導き出すことができたのか、本文の表現から逆順で追ってみましょう。
 本文中の言葉だけを用いて、模範解答になるべく近くなるように答案を作ってみましょう。これを「コピペ答案」とでも名付けましょうか。

【コピペ答案】
「教えてあげる君」は教えられるまでもなく知っているかもしれないのに答えるし、「教えて君」は自分で調べてもすぐにわかりそうなのに他人に質問するため、両者は一緒になり、よりものを知らない人へと向かってしまうから。

 模範解答を作成するためには、

  ① 文章を理解して的確なコピペ答案を作成する

  ② コピペ答案をきちんと評価される答案に仕立てる

この2つの作業が正確にできるようになる必要があります。それぞれ順を追ってみてみましょう。

① 文章を理解して的確なコピペ答案を作成する

 本文中で解答に必要な箇所を大きく取り出してみましょうか。傍線部の直前に「だから」という接続詞がありますね。であれば、ここより前に書かれている部分が傍線部の理由に該当するということは、多くの高校生が理解できることかとおもいます。

 「ネット上で~~~~かもしれない。」ここまで全部が傍線部の理由ですよね。ここをきちんと理解できるようになることが必要です。
 ここから先は【「読む力」の涵養】を読んでいる前提で進めます。内容がついていけなくなってしまった場合には、ためらうことなく戻って文章の理解を作り直すことを推奨します。

 さあ、ここで言われていることはなんでしょうか。傍線部では「『教えて君』よりも『教えてあげる君』の方が、場合によっては問題だ」と言っているのですね。そのうえで傍線部の理解から始めます。
 多くの場合は「教えて君」の問題点は明らかなわけですよね、でも場合によっては「教えてあげる君」の方にも問題があるわけです。
 さて、筆者がここで伝えたいことは、「教えて君」の問題点と、「教えてあげる君」の問題点、どちらでしょうか。





 さあ、考えましたか?


 筆者が伝えたいのは「教えてあげる君」の問題点ですよね。

 となると解答の骨格は、
・「教えてあげる君」の問題点がこれこれで、
・そんな「教えてあげる君」の存在によってこれこれのような問題が生じる、
みたいな感じになるとよさそうですよね。

 踏まえて、該当箇所の読解を進めましょう。

 「教えて君」は、自分で調べてもすぐにわかりそうなのに、他人に質問する。
 「教えてあげる君」は、教えられるまでもなく知っているかもしれないのに、答える。
 両者(=「教えて君」と「教えてあげる君」)が一緒になって、川が下流に流れ落ちるように、よりものを知らない人へと向かってしまうという現象(=啓蒙のベクトルがどんどん落ちていく現象)があり、これはナンセンスだと思う。

 だから、「『教えて君』よりも『教えてあげる君』の方が、場合によっては問題だと思います」となるわけですよね。

 質問する人と、それに答える人には、上下の関係性があるようで、ふたりで完結してしまうために一緒になってしまい、成長することがないということ。

 まず、言うまでもない「教えて君」の問題点は、自分で調べてもすぐにわかりそうなのに、他人に質問することです。自発的に動いて、答えにたどり着く経験ができたかもしれないのに、それを放棄してしまうということですね。
 「教えてあげる君」の問題点は、教えられるまでもなく知っているかもしれないのに、答えることです。「相手が知らない」という前提にたっているということですね。「自分がものを知っている」と思い込んでいるのです。
 そして、「教えて君」が知識を自分で調べてみようとしないという態度になるのはなぜかというと、「教えてあげる君」がすぐに答えを用意してくれるからですよね。「教えて君」の問題点も、「教えてあげる君」が生み出していると筆者は考えているようです。
 「教えてあげる君」は、「教えて君」をみつけると、「自分が知っていること」を教えることで自分のレベルまで持ち上げることを望むのだから、ふたりの知識量は同じになることができました。
 「教えてあげる君」のあり方は、より知っている人をみて「もっと知りたい」という風に動くのではなく、より知らない人をみて「ここまでは知っておくべき」という風に動く、そして満足した「教えて君」はその分野における新しい「教えてあげる君」になるわけです。ふたりの知識量としてはいまより向上することはない、だからナンセンスだと言っているわけです。

 以上を踏まえると、本文中の言葉を丸々用いたコピペ答案を作ることができます。

【コピペ答案】
「教えてあげる君」は教えられるまでもなく知っているかもしれないのに答えるし、「教えて君」は自分で調べてもすぐにわかりそうなのに他人に質問するようになるため、両者は一緒になり、よりものを知らない人へと向かってしまうから。

② コピペ答案をきちんと評価される答案に仕立てる

 さて、これを模範解答に近づけていきましょう。まずは両者を並べて見比べてみましょうか。

【コピペ答案】
「教えてあげる君」は教えられるまでもなく知っているかもしれないのに答えるし、「教えて君」は自分で調べてもすぐにわかりそうなのに他人に質問するため、両者は一緒になり、よりものを知らない人へと向かってしまうから。

【模範解答】
「教えてあげる君」は自身の知識を増やそうとすることがなく、「教えて君」の知的好奇心を新たに引き出すこともないため、「教えて君」もまた「教えてあげる君」と同様の状況に陥り、社会全体の知的レベルが向上していかないことにもなるから。

 こうしてみると模範解答の記述は、本文中の記載を随分と逸脱していることに気づくのではないでしょうか。本文の内容をきちんと理解していないとここまで書ききることはできないですよね。
 コピペ答案を模範解答に近づける手法をトレースするために、部分ごとに取り出して分析することでこれらの差分を見出していきましょう。

【コピペ答案】
教えられるまでもなく知っているかもしれないのに答える

【模範解答】
自身の知識を増やそうとすることがない

「教えられるまでもなく知っているかもしないのに答える。」

 この行為は、相手が自分よりも知っている可能性を考慮に入れていない行為です、自分が持ちあわせている知識が十分であると思い込んでいるからこそ教えるという行為に及ぶわけです。つまり、自身が知っている知識を、持っておくべき知識の最大として認識しており、自分が知っているレベルにまで相手も知っているように要求する行為であると考えることができます。

「相手の方が自分より多く知っているかもしれないのに聞くことはせず、自分の知っている範囲で教えようとする。」

「自身の知識を増やそうとすることがない。」

【コピペ答案】
「教えて君」は自分で調べてもすぐにわかりそうなのに他人に質問する

【模範解答】
「教えて君」の知的好奇心を新たに引き出すこともない

「『教えて君』は自分で調べてもすぐにわかりそうなのに他人に質問する。」

 「教えて君」は知識を自分で調べてみようとしないということですね。この態度になるのはなぜかというと、「教えてあげる君」がすぐに答えを用意してくれるからです。この態度はまさしく、「教えてあげる君」のあり方が作り出したと言えるでしょう。
 (「教えてあげる君」が、)「教えて君」の調べようとする気持ちを奪い、十分な答えを知っていると思い込んだなら、もっと知りたいという感情は生まれなくなってしまう。

「『教えて君』の知的好奇心を新たに引き出すこともない。」

【コピペ答案】
両者は一緒になる

【模範解答】
「教えて君」もまた「教えてあげる君」と同様の状況に陥る

「両者は一緒になる。」

 まず、両者とは、「教えて君」と「教えてあげる君」のことですね。
 一緒になるとはどういうことかというと、「教えてあげる君」と「教えて君」が同じ状態になることです。同じ状態であることのひとつめは、知識量です。「教えてあげる君」にとって教えることは、自分が持ちあわせている知識が十分であると信じて相手に知識を授ける行為なので、ここでいう教えることのゴールは「教えて君」が「教えてあげる君」の知っていることを知ること、となります。同じ状態のふたつめは、教わった領域に関する態度です。質問したら、「教えてあげる君」からはこれを知ってなきゃいけないという態度で教わるわけなので、教えてもらってからは「教えて君」も同様に、自分の知識量は十分であると思い込んでしまいます。
 「教えてあげる君」に教えてもらうことで、「教えて君」は、同じような知識量を持ちあわせて、同じように十分であると思い込むことになるでしょう。

「『教えて君』も『教えてあげる君』に教わることで、『教えてあげる君』と同じ状態になってしまう。」

「『教えて君』もまた『教えてあげる君』と同様の状況に陥る。」

【コピペ答案】
よりものを知らない人へと向かってしまう

【模範解答】
社会全体の知的レベルが向上していかないことにもなる

「よりものを知らない人へと向かってしまう。」

 「教えてあげる君」に教わることで、知識面と態度面の両方で、両者の知的レベルは同等になってしまうわけです。こうしたあり方のふたりがいたら、ふたりが有していた知的レベルの最大値が更新されることはなくなってしまいますよね。これがまさしく問題なわけです。

「ふたりの知的レベルが向上していかないことになる。」

 さて、ここで挙げられている「教えて君」と「教えてあげる君」の話は、具体例ですよね。具体例は、どのように読むべきだったか、覚えているでしょうか。
 「教えて君」と「教えてあげる君」のようなふたりが組み合わさってしまうと、知的レベルの最大値は、より知っている人の最大値を超えることがないという例え話ですよね。これはふたりに限った話ではなく、3人以上の共同体を考えた場合でも同様です。共同体の知的レベルの最大値が、最も知っている人の最大値を超えることがなくなってしまうわけですね。

「社会全体の知的レベルが向上していかないことにもなる。」

【コピペ答案】
「教えてあげる君」は教えられるまでもなく知っているかもしれないのに答えるし、「教えて君」は自分で調べてもすぐにわかりそうなのに他人に質問するため、両者は一緒になり、よりものを知らない人へと向かってしまうから。

【模範解答】
「教えてあげる君」は自身の知識を増やそうとすることがなく、「教えて君」の知的好奇心を新たに引き出すこともないため、「教えて君」もまた「教えてあげる君」と同様の状況に陥り、社会全体の知的レベルが向上していかないことにもなるから。

 このような道筋をたどることができれば、模範解答に到達することができました。
 最初の問題でしたが、かなり難しかったのではないかとおもいます。いまの段階ではまだできなくても大丈夫ですので、気を落とさないようにしましょう。いずれはこれが自力でできるようにならなくてはならないというイメージをもっていただけたら、次の問題に進みましょう。


問2
傍線部B「メロディを書こうとする音楽家にとっては、これはなかなか厳しい問題かもしれません」とあるが、それはなぜか。

 同様に解答をみてみましょう。

【模範解答】
音楽家は、新しい曲を作ることを期待されているが、多くの曲が作られてきたことで、自分が考え出したメロディに前例がある可能性が高くなるため、オリジナルな曲を作ることが困難になってきているから。

【コピペ答案】
音楽家にとって、沢山の曲が作られてきたことで、誰かがふと思いついたメロディが過去に前例があるということは、確率論的にも起き易くなっていて不可避であるため、新しいメロディはなかなか出てこないから。

① 文章を理解して的確なコピペ答案を作成する

 この問題も同様の手順を踏んでいきましょう。まずは、本文中から理由に該当する箇所を抜粋します。

 人類がそれなりに長い歴史を持っているということは、当然ながら人類は、これまでに沢山の曲を作ってきたわけです。メロディも沢山書いてきた。だから誰かがふと思いついたメロディが過去に前例があるということは、確率論的にも起き易くなっていることであって、ある意味では不可避だと言ってもいい。新しいメロディが、なかなか出てこないということは、それだけ過去に素晴らしいメロディが数多く紡ぎ出されたということです。

 傍線部は「メロディを書こうとする音楽家にとっては、これはなかなか厳しい問題かもしれません」でした。
 傍線部内に指示語がありますね。文章の内容を理解するためにわざわざ指示語を追いかける必要はないとおもいますが、傍線部内に指示語があるときは、解答するために特定しておきましょう。
 「これ」は、「新しいメロディが、なかなか出てこないということ」ですね。傍線部をわかりやすくすると、「メロディを書こうとする音楽家にとって、新しいメロディがなかなか出てこないことは、問題である。」ということです。それがなぜかというと、人類の歴史が長いために完全に新しいメロディを生み出すことが次第に難しくなっているから、です。

【コピペ答案】
音楽家にとって、沢山の曲が作られてきたことで、誰かがふと思いついたメロディが過去に前例があるということは、確率論的にも起き易くなっていて不可避であるため、新しいメロディはなかなか出てこないから。

 この問いに関しては、コピペ答案まではさほど難しくなく作ることができるのではないでしょうか。

② コピペ答案をきちんと評価される答案に仕立てる

【コピペ答案】
音楽家にとって、沢山の曲が作られてきたことで、誰かがふと思いついたメロディが過去に前例があるということは、確率論的にも起き易くなっていて不可避であるため、新しいメロディはなかなか出てこないから。

【模範解答】
音楽家は、新しい曲を作ることを期待されているが、多くの曲が作られてきたことで、自分が考え出したメロディに前例がある可能性が高くなるため、オリジナルな曲を作ることが困難になってきているから。

 一問目と同様に、部分ごとに取り出して分析していきましょう。

【コピペ答案】
音楽家にとって、

【模範解答】
音楽家は、新しい曲を作ることを期待されているが、

 本文中には、模範解答に該当する箇所が直接書かれてありません。そのため、ある程度自分の言葉で補うことが求められています。傍線部に対する理由を考えた際、「○○だから、メロディを書こうとする音楽家にとって、新しいメロディがなかなか出てこないことが、問題である。」という構造で論理的になるように想定してみると、自ずと補うべき言葉が見えてくるのではないでしょうか。「音楽家は新しいメロディを書くことが求められているのに、パクリのメロディしか書けなかったら音楽家として期待に応えられないから」ですよね。

「音楽家は、新しい曲を作ることを期待されているが、」

【コピペ答案】
沢山の曲が作られてきたことで、

【模範解答】
多くの曲が作られてきたことで、

 「沢山の」を「多くの」に言い換えています。

【コピペ答案】
誰かがふと思いついたメロディが過去に前例があるということは、確率論的にも起き易くなっていて不可避であるため、新しいメロディはなかなか出てこないから。

【模範解答】
自分が考え出したメロディに前例がある可能性が高くなるため、オリジナルな曲を作ることが困難になってきているから。

 主語を音楽家にしたので、「誰かが」を「自分が」に直しました。

 「ふと思いついた」を「考え出した」に言い換えています。

 「過去に前例があるということは、確率論的にも起き易くなっていて不可避であるため、新しいメロディはなかなか出てこない」を「前例がある可能性が高くなるため、オリジナルな曲を作ることが困難になってきている」としています。非常に簡潔になっているにも関わらず、間違いなく元の意味を踏まえられていますし、わかりやすい表現になっていますね。

 コピペ答案をきちんと作れるようになる前提ではありますが、このような書き換えができるようになると、模範解答に近い答案が自力で作成できるようになるということです。

【コピペ答案】
音楽家にとって、沢山の曲が作られてきたことで、誰かがふと思いついたメロディが過去に前例があるということは、確率論的にも起き易くなっていて不可避であるため、新しいメロディはなかなか出てこないから。

【模範解答】
音楽家は、新しい曲を作ることを期待されているが、多くの曲が作られてきたことで、自分が考え出したメロディに前例がある可能性が高くなるため、オリジナルな曲を作ることが困難になってきているから。

 もう一問、研究することでこの文章で求められているレベルを探りましょう。


問3
傍線部C「『歴史』の崩壊」とあるが、それはどういうことか。

【模範解答】
インターネットによる情報収集の普及に伴い、過去の個々の出来事を時間的な前後関係から離れて自由に結び付けられるようになったため、出来事を時間の流れに即してつなぐことで見いだされる因果関係を歴史と捉える理解の仕方が権威を失ってしまったということ。

【コピペ答案】
ネット以後、何事かの歴史を辿る際に、どこかに起点を設定して、そこから現在に連なっていく、あるいは現在から遡行していって、はじまりに至る、ということではなくて、むしろ時間軸を抜きにして、それを一個の「塊」として丸ごと捉えることが可能になったため、過去から現在を経て未来へと流れてゆく「時間」というものが、そのあり方からして因果性を要求してくる捉え方としての「歴史」が崩壊してメインではなくなってきたということ。

① 文章を理解して的確なコピペ答案を作成する

 傍線部は「「歴史」の崩壊」ですね。傍線部が含まれている文章を見ると、「これはある意味では「歴史」の崩壊でもあります」と書かれています。
 「これ」は必ず特定しましょう。
 「ネット以後、このような一種の系譜学的な知よりも、『歴史』全体を『塊』のように捉える、いわばホーリスティックな考え方がメインになってきたこと」ですよね。

 きちんと説明すべきは、「系譜学的な知」と「『歴史』全体を『塊』と捉える考え方」です。「系譜学的な知」について説明しているのは9段落、「『歴史』全体を『塊』と捉える考え方」について説明しているのは8段落です。

 8段落からは、「何事かの歴史を辿る際に、どこかに起点を設定して、そこから現在に連なっていく、あるいは現在から遡行していって、はじまりに至る、ということではなくて、むしろ時間軸を抜きにして、それを一個の『塊=マッス』として、丸ごと捉えることが可能になった。」を取り出すこと。

 9段落からは、「過去から現在を経て未来へと流れてゆく『時間』というものが、そのあり方からして『物語』を要求してくる。『物語』とは因果性の別名です。」を取り出すこと。

 「系譜学的な知」よりも「『歴史』全体を『塊』と捉える考え方」がメインになったことが、ある意味で「『歴史』の崩壊」であるとするならば、崩壊が意味するものは「『系譜学的な知』としての歴史がメインではなくなったこと」を指しますね。

 説明されている箇所を、まずは自力で的確に抜き出すことができるか確認してください。

② コピペ答案をきちんと評価される答案に仕立てる

【コピペ答案】
ネット以後、何事かの歴史を辿る際に、どこかに起点を設定して、そこから現在に連なっていく、あるいは現在から遡行していって、はじまりに至る、ということではなくて、むしろ時間軸を抜きにして、それを一個の「塊」として丸ごと捉えることが可能になったため、過去から現在を経て未来へと流れてゆく「時間」というものが、そのあり方からして因果性を要求してくる捉え方としての「歴史」が崩壊してメインではなくなってきたということ。

【模範解答】
インターネットによる情報収集の普及に伴い、過去の個々の出来事を時間的な前後関係から離れて自由に結び付けられるようになったため、出来事を時間の流れに即してつなぐことで見いだされる因果関係を歴史と捉える理解の仕方が権威を失ってしまったということ。

【コピペ答案】
ネット以後、

【模範解答】
インターネットによる情報収集の普及に伴い、

 「ネット以後、」と言われるだけで多くの読者は意味が通じるはずです。しかし、この表記だけで適切でわかりやすい記述であるかといわれると、そうではないですよね。文脈があれば間違いなく通じるとしても、この表現だけで通用しない場合はわかりやすく説明する必要があります。

「インターネットの普及以後、」

 また、ここでのインターネットの普及は、過去の情報をどのように捉えるかという認識を変化させる直接的な原因であると筆者は考えているわけですよね。

「インターネットによる情報収集の普及に伴い、」

【コピペ答案】
何事かの歴史を辿る際に、どこかに起点を設定して、そこから現在に連なっていく、あるいは現在から遡行していって、はじまりに至る、ということではなくて、むしろ時間軸を抜きにして、それを一個の「塊」として丸ごと捉えることが可能になった

【模範解答】
過去の個々の出来事を時間的な前後関係から離れて自由に結び付けられるようになった

【コピペ答案】
過去から現在を経て未来へと流れてゆく「時間」というものが、そのあり方からして因果性を要求してくる捉え方としての「歴史」

【模範解答】
出来事を時間の流れに即してつなぐことで見いだされる因果関係を歴史と捉える理解の仕方

 このふたつの文章は、ぜひとも対応する箇所をひとつひとつ見比べて分析してください。本文を読んで間違いなく意味が通じるとしても、本文から取り出して別個の文章として独立させたとき、やはり同様に意味が通じるかどうかは別物です。模範解答の文章が、見事なまでに、的確でいて簡潔に表現できていることをじっくりと味わっていただきたいです。

【コピペ答案】
崩壊してメインではなくなってきた

【模範解答】
権威を失ってしまった

 崩壊、というのはやや誇張表現であり、比喩的でもあります。
 もともとメインだったものが、メインではなくなって崩壊した、という様子を言い表すために「権威を失う」としたのは、素晴らしい表現です。

【コピペ答案】
ネット以後、何事かの歴史を辿る際に、どこかに起点を設定して、そこから現在に連なっていく、あるいは現在から遡行していって、はじまりに至る、ということではなくて、むしろ時間軸を抜きにして、それを一個の「塊」として丸ごと捉えることが可能になったため、過去から現在を経て未来へと流れてゆく「時間」というものが、そのあり方からして因果性を要求してくる捉え方としての「歴史」が崩壊してメインではなくなってきたということ。

【模範解答】
インターネットによる情報収集の普及に伴い、過去の個々の出来事を時間的な前後関係から離れて自由に結び付けられるようになったため、出来事を時間の流れに即してつなぐことで見いだされる因果関係を歴史と捉える理解の仕方が権威を失ってしまったということ。



 お疲れさまでした。いかがだったでしょうか。
 センター試験の過去問を解いてみることで、模範解答を作ることのハードルの高さと、自力で作れるようになるために要求されていることのレベルの高さを、実感いただけたのではないかとおもいます。
 コピペ答案を模範解答に、いくつかに区切って書き換えるという作業を通じて、記述の作成にあたって具体的に求められる事項を3つにまとめられると考えます。

 ① 本文中の内容を、筆者の伝えたい意図と一致させたまま、
   できるだけわかりやすく表現すること。

 ② 具体的な記載は抽象度を上げて汎用性の高い説明になるように
   (逆に抽象的すぎる記載は詳細がわかるように丁寧に)
   表現を修正すること。

 ③ 文中の独特な表現や、文脈ありきでないと理解できない表現を、
   答案の中の言葉だけで伝わるように一般的な表記で言い換えること。

 これらの手順を踏むことができるようになれば、自力で模範解答を作成できます。以降の問題に取り組むことで、この力を確実に身に着けることを目指していきましょう。

(このnoteでは2015年の大学入試センター試験国語第1問のみの紹介とさせていただきます。)

さいごに

 ながながと文章を連ねましたが、僕が最も公開したかったといっても過言ではない【「読む力」の涵養】については、本文を丸々掲載する必要があるので割愛しています。
 一文ずつ、読み終えた時点で何を考えていてほしいか、少なくとも僕は何を考え終わっているか、すべて惜しみなく書き出した現代文の参考書をいつか世に出せたら、というのが僕の密かな望みです。

 いつか世に出したいと考えている参考書では、センター試験や共通テストはもちろん、東京大学など国立大学の記述形式の国語や、早稲田大学など私立大学での択一式の国語や、慶應義塾大学の小論文など、いろいろな問題に触れることで、まずは出題形式によらずとにかく文章の内容を理解できること、そして、それぞれの大学がどのような力を求めているかを把握すること、導けるように僕が知ることを可能な限りすべてお伝えしたいと考えています。

 少しでも応援したいと思っていただけたら「♡スキ」を押していただけると大変励みになります。

 最後になりますが、このnoteをお読みいただいたみなさまの学びが充実したものになること、そのうえで大学受験が納得できる形で実を結ぶこと、そして、学びを通じて今後の人生が豊かになること、心より願っております。


総合学府ステアウェイ
代表  酒井 暖

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