自分を救った正解ほど、誰かにも渡したくなる。 <マネジメント・リーダーシップ・キャリア・成功体験・価値観>
私は、他人の人生の正解を、勝手に決めるべきではないと思っています。
そう思っているはずなのですが、知人が車を買い替えると聞いたとき、私は本人の希望を聞く前から、「ゲレンデがいいんじゃない?」と勧めていました。本人は、ゲレンデが欲しいなどとは一言も言っていません。
ちなみに、私はゲレンデに乗っていません。ただ、「選択肢がある人なら、こういう車を選ぶだろう」という前提が私の中にあり、本人の希望を聞く前から、その前提を相手にも当てはめていました。
人は、自分が良いと思うものを、誰かにも渡したくなります。まして、それが自分の人生を実際に救ってくれた答えなら、なおさらです。
仕事で人生が変わった人は、つい仕事を頑張ることを勧める。投資で成功した人は、投資を勧める。成果を出して認められた人は、つい他人にも成果を求める。
そこに、悪意はありません。むしろ、ほとんどの場合は善意です。自分の人生で実際に役立った答えだからこそ、それを相手に渡すことが、本当に相手のためなのかを疑うのは難しくなります。
はじめましての方もいると思うので、少しだけ自己紹介をさせてください。JINYOKUです。これまで500名規模の組織マネジメントや事業づくりに関わってきました。今は、会社の立ち上げ期から役員として事業運営に携わりながら、企業の人・組織に関する支援も行っています。
「ワークライフバランスを最大化したい」と答えた夜
10年ほど前、私が100名程度の組織を管掌していた頃の話です。
ある日、事業責任者2名と食事をする機会がありました。そこで、「将来どうなりたいんだ」「何を目指しているんだ」と聞かれました。
今なら、もう少し自分の言葉で話せます。でも当時の私は、うまく整理できていませんでした。少し考えた末に、こんなことを答えました。
「ワークライフバランスを最大化することですかね……」
なかなか勇気のある回答です。事業責任者と食事をしている場で、真正面からワークライフバランスを出しました。若さなのか、正直さなのか、単に引き出しが少なかったのか。たぶん、全部です。
すると、一人から、ほとんど反射的に「は? 何を言っているんだ?」というような反応が返ってきました。正確な言葉までは覚えていません。ただ、私の考えを諭そうとするというより、そんな答えが返ってきたこと自体に呆れている。そんな空気だったことは覚えています。
私は、うまく反論できませんでした。頭の中ではかなり反論していましたが、口からは出てこない。言語化できない人間の、脳内だけは饒舌です。
ただ、一つの違和感だけが残りました。
人の人生なのに、なぜ他人が正解を決めるんだろう。
成功体験には、持ち主がいる
今振り返ると、その人も、私を困らせたかったわけではないと思います。
もっと上を目指してほしかった。せっかく役割を任されているのだから、仕事に本気で向き合ってほしかった。おそらく、期待があったからこその言葉でした。
そして、その期待の根には、その人自身の人生があったのだと思います。
仕事に打ち込み、成果を出し、役割を広げてきた。その経験によって人生が前に進んだ人からすれば、「もっと仕事に向き合うこと」は、実感を伴った正解です。どこかで借りてきた綺麗な言葉ではありません。自分の人生で確かめてきた、本物の答えです。
だから、強い。
ただし、本物の答えであることと、誰にとっても正しいことは別です。
成功体験には、本人の性格、置かれていた環境、時代、家族の状況、出会った人、背負っていたものが含まれています。結果だけを取り出しても、同じ人生にはなりません。
自分を救ってくれた正解には、ちゃんと持ち主がいます。
私も、会社の中から会話を始めていた
その後、私は多くの部下とキャリアについて話す立場になりました。
私自身、仕事によって人生の選択肢が広がった人間です。成果を出し、役割を広げることは、実際に私の人生を前へ進めました。だからこそ、次の役割や成長機会について考えることは、相手にとっても良いことだと疑いにくかったのだと思います。
もちろん、昇進を強要したり、仕事を人生の中心に置けと伝えたりしたわけではありません。相手の希望を尊重し、相手のために考えているつもりでした。
ただ、会話の出発点は、会社の中にありました。
次にどの役割を目指すのか。リーダーやマネージャーに興味はあるのか。どんな経験を積めば、次の選択肢が広がるのか。
どれも、管理職としておかしな問いではありません。組織を成長させる責任があり、人を育てる役割がある以上、必要な会話でもあります。
でも、後になって気づきました。
相手の考えを否定していなくても、最初に置いた問いによって、答えの範囲は狭くなる。
会社の中から始めれば、相手は会社の中にある答えを探しやすくなります。上司から「次は何を目指す?」と聞かれれば、何かを目指している前提で考える。管理職に興味があるかと聞かれれば、「ありません」と答えることに、少しだけ勇気が必要になる。
私は、答えを押しつけているつもりはありませんでした。むしろ、ちゃんと向き合っている側にいるつもりでした。
だからこそ、気づきにくかったのだと思います。
自分では相手のために考えている。その感覚があるほど、渡している答えだけでなく、問いの置き方まで疑うのは難しくなります。
上司の言葉には、勝手に重さが足される
同じ言葉でも、友人から言われるのと、上司から言われるのとでは重さが違います。
上司が「私はこうして成長した」と話せば、ただの体験談ではなく、推奨されるルートに聞こえることがあります。「こういう経験もした方がいい」と言えば、本人は提案のつもりでも、部下には期待や評価基準として届くかもしれません。
役職には、言葉を増幅する機能があります。
自分では50くらいの強さで伝えたつもりでも、相手には80や100で届く。しかも、その最終的な音量を、こちらだけでは決められません。
だからといって、上司が自分の成功体験を語らない方がいいわけではありません。経験してきた人にしか渡せないものは、確かにあります。
私自身、過去の経験をもとに、人や組織について書いています。成功体験を語るなと言われたら、このnoteはかなりの割合で閉店です。
大切なのは、成功体験を捨てることではありません。その正解の持ち主を、曖昧にしないことです。
私は、知人の「欲しい」を勝手に決めていた
ここで、冒頭のゲレンデの話に戻ります。
ある知人が、車を買い替えると話していました。その知人は、少なくとも私から見れば、予算だけを理由に車の選択肢を狭める必要のない人でした。
だから私は、「どんな車を選ぶのだろう」と、勝手にワクワクしていました。本人は何も言っていないのに、私の頭の中では、いつの間にか高級車への買い替えが始まっていました。
しかも、想像しただけではありません。
「ゲレンデがいいんじゃない?」
と、しっかり口にも出していました。
しばらくして、その知人から「車を買い替えた」と連絡がありました。何を選んだのか聞くと、ある国産のミニバンでした。運転支援機能が優れている点に魅力を感じ、選んだそうです。
知人は、自分が重視する機能を基準に、自分が欲しい車を選んでいました。
この話で少しおかしいのは、知人の選択ではありません。他人の欲しいものを勝手に決め、先回りしてゲレンデを勧めていた私です。
もちろん、車を一台勧めただけで、知人の人生を決めたわけではありません。それでも、知人の「欲しい」が、本人に聞くより先に私の中で決まっていた。小さな出来事ですが、自分のものさしが相手の希望より先に動く瞬間が、よく表れていました。
正解は、渡す前から相手を見るレンズになる
私は、自分が本当に望むものを選べることを大切にしています。やりたいことをやる。欲しいものは買う。その生活をつくるために、選べる範囲を少しずつ広げてきました。
ただ、そのときの私は、「選べる範囲が広いこと」と「その中から高級車を欲しがること」を、無意識に同じものとして扱っていました。
でも、知人も、自分が欲しいものを選んでいます。ただ、「欲しい」を決める基準が、私とは違っただけです。
私は、相手が何を選べるかだけでなく、何を欲しがるかまで、自分の基準で想像していました。そして、その想像を、そのまま提案にしていました。
正解は、言葉にして渡す前から、相手を見るレンズになっています。
問題は、自分の答えを強い言葉で押しつけることだけではありません。その前に、自分の答えを通して相手を見て、「この人も、きっと同じものを大切にする」と考えてしまうことです。
選べる範囲が広いなら、自分と同じような基準で選ぶ。そのときの私は、知人もそう考えるはずだと思い込んでいました。
そんな前提は、助言になる前から、問いの置き方や相手の見方に入り込んでいます。
私は10年前、誰かの正解を渡されて違和感を覚えました。それでも今度は私が、別の形で、自分のものさしを相手に渡していた。
人の正解を尊重することは、一度理解したら終わる話ではないのだと思います。

答えが増えるほど、簡単には渡せなくなった
その後、延べ2,000名以上のマネジメントに携わる中で、人に渡せる答えは増えました。一方で、以前よりも簡単に「こうすればいい」とは言えなくなりました。
答えがなくなったからではありません。むしろ、引き出しは増えました。ただ、同じ答えでも、人と状況が変われば結果が変わることを、何度も見てきたからです。
今も私は、自分の経験を話します。必要だと思えば、かなりはっきり意見も伝えます。急に何でも優しく包み始めたわけではありません。そこまでの人格改造は行われていません。
ただ、自分の経験を話すときは、できるだけ「私は」をつけるようになりました。
「私は、こうだった」
私には合っていた。私の人生では力になった。私がいた環境では、この選択が結果につながった。
そこまでが、自分の経験から言えることです。その先にいる相手が、同じものを選ぶかどうかは別の話です。
もちろん、管理職として、会社が求めることを伝えなければならない場面はあります。成果や役割の基準まで「人それぞれ」で済ませれば、組織は回りません。
会社の基準は明確に伝える。そのうえで、自分の成功体験まで会社の正解に混ぜない。
だから、誰かに自分の答えを渡す前に、一つだけ確認します。
この正解は、誰の人生から生まれたものなのか。
多くの場合、最初の答えは「私の人生」です。
自分を救ってくれた正解は、大切にしていい。その正解を誰かに渡したくなることも、きっと自然なことです。ただ、相手には相手の人生があります。
正解を持つことより、正解の持ち主を見失うことの方が危ない。
考えてみれば、ゲレンデは、私を救った正解ですらありません。それでも私は、「選べるなら高級車を欲しがる」という自分の前提だけで、相手の人生に持ち込んでいました。
まして、自分を救ってくれた答えなら、なおさらです。
だからこそ、「これは私の人生の話です」と、持ち主を明記して渡す。
油断すると、私は今でも、相手の人生に勝手にゲレンデを持ち込みますから。
JINYOKU
▶プロフィール
https://note.com/super_stilt3662/n/n37e8bdc98a56
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