阿蘇のピンク石
※まかど:「馬門」と書くことが多いが、正しくは「真角」で、道や川が直角に曲がる場所の地名。

首都は阿蘇から大和へ遷るが、その経路上の古墳の石室の石材は、付近の石ではなく、聖地にして旧首都の阿蘇から運ばれた。『魏志倭人伝』「其山有丹」の「丹」は、「阿蘇のピンク石(馬門石)」のことであろう。(「邪馬台国=阿蘇説」)
出真珠、青玉。其山有丹。
「真珠」といえば御木本幸吉(志摩国のうどん製造店「阿波幸」の長男)の「ミキモト・パール」(天然真珠ではなく。養殖真珠)、「青玉」といえば「糸魚川の翡翠」、「丹」といえば伊勢国多気郡丹生の「丹生神社」を思い起こさせられる。
(今流行の邪馬台国=阿波説では、「青玉」は「阿波の青石」製の珠で、「丹」は阿波の若杉山遺跡(徳島県阿南市水井町)で採れる辰砂だとし、真珠については触れない。)
『隋書倭国伝』では、阿蘇山を取り上げ、
有阿蘇山。其石、無故火起、接天者。俗以為異、因行禱祭。有如意寶珠。其色靑、大如雞卵。夜則有光、云魚眼精也。新羅百濟皆、以俀為大國、多珎物、並、敬仰之恒通使往來。
(阿蘇山有り。その石、故無く火起こり、天に接すてへり。俗は以って「異」と為し、因りて祷祭を行う。「如意宝珠」有り。その色は青く、大さは鶏卵の如し。夜則ち光り有りて、魚の眼精なりと云う。新羅、百済はみな俀を以って大国、珍物多しと為し、並びに、これを敬仰し、恒に使を通じ往来す。)
と記している。日本の山々の中で、富士山ではなく、なぜか阿蘇山を取り上げているのである!(倭国=九州で、使者は富士山の存在を知らなかった?)
『魏志倭人伝』の「真珠」は秘宝「潮干珠、潮満珠」、「青玉」は「阿蘇の如意宝珠」、「丹」は「阿蘇のピンク石」であろうか。
「阿蘇のピンク石」は、阿蘇山の噴火で吹き上げられて天に触れたことによりピンクに変色した石で、「天に触れた石」として崇められたようだ。(「青玉」は使者が身に付けていた「勾玉」のことでしょうね。)
次の新羅や百済が、倭が大国だとして常に使者を送っているという記述は「神功皇后の三韓征伐」を思い起こさせられる。倭国は、卑弥呼が魏をバックに付けて威を振るっていたことに倣って隋に使者を送ったのであろう。
※今は「10数基」ではなく「20数基」です。(上の「ピンク石石棺分布図」参照)
『魏志倭人伝』の「丹」は朱でしょう。朱は熊本県でも採れます。
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