大人になるってこんなこと(たぶん)
社会人を数年もすると、だんだんと学生時代というものがいかにファンタジーだったかがわかってくる。
学校という閉鎖空間は、ある種の牢獄であると同時に確かに結界の内側だった。
今にしておもうとなんでもないことが楽しかったし、あまりにも些細なことに落ち込んだりもしたものだ。
ところで、ブラバンは、文系の皮を被ったゴリゴリの体育会系だとおもう。
うちの中学校では練習の前に学校の外周を5周だかするのがルーティンだった。
サッカー部やら軟式テニス部やらに混ざって、なんなら運動部より先に走ってた。
終わったら腹筋とかもしていた気がする。
(毎回じゃないけど、楽器を持って走らされてるのもいたような気さえする)
わたしは、楽器の演奏には憧れがあったものの、今以上に運動に対する苦手意識が強すぎて
入部はさっさと断念したくらいだ。
とにかく、ブラバンは、そういうグループなのだ。
そういう「ある種の根性」で繋がった組織は物理的にも精神的にも結束が深い。
しかも人数が多い。
そりゃ、ドラマチックにもなりますわね、というのがこの作品
『ブラバン』津原泰水(新潮社)
高校生の時のブラバンを、25年後に復活させようという話である。
四半世紀の長さを具体的に実感できるかどうかで、この物語に受ける印象は変わってくるとおもう。
現役高校生はピンとこないだろう。(そうであってくれ)
大学生はまだ楽観的に捉えられそうだ。
社会人になり、何年かしてくると、ここでやろうとしていること、一度解散したバンドを何十年も経ってから再結成することがどれだけ奇跡的な話なのか…
学生の頃になにかしらバンドを組んでいた経験のある人であれば、想像するだけで胸が熱くなってしまうかもしれない。
25年というのも絶妙な年数だ。
生まれたての赤ん坊がそれなりの社会人になっていておかしくない年数。
しかも高校卒業後からだから、就職、結婚、出産、育児、介護、死別、病気、大ケガ、リストラ…
学校ではほとんど教えてくれないような、いいことも悪いこともたくさん、たくさんあって、
今は外国に住んでいたりで、そもそも同じ場所に集まれない人や、楽器ができなくなっている人も大勢いて、
知りたくなかったことにも気づいてしまっていたりして、
集まれたからといって、まともに演奏ができるかどうかもわからない(というか基本的にはほぼ無理だろう)という状態で
それでも…と集う、集える尊さとあの頃の眩さにちょっと眩暈を覚えてみたりする。
読了後、久しぶりに高校時代の友人に会いたくなった。
いつの間にか自分も、この物語を「いい話だなあ」とおもえる程度には、大人になっていたらしい。
こういう楽しさを味わえるのなら、大人になるのもそんなに悪くないかもしれない。
