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教会牧師室より

高崎教会のホームページの開設に合わせて牧師の思いやエッセイなどをnoteでアップ、リンクしようと思っています。

牧師の日常に興味がある方は少ないとは思いますが、個人的関心のあることについて書いていきたいと思っています。

とはいえ、「何をアップしたら良いか」頭の中でぐるぐるしていますが、硬軟合わせて気楽にアップします。

7月3日「思いつくままに」

2008年から2019年まで滋賀県近江八幡市にある「ヴォーリズ記念病院」でチャプレンとして勤めていました。「チャプレン」とは教会以外で働く牧師、司祭、日本では僧侶の方もそう呼ばれる場合があります。

毎週、入院患者さんを対象に聖書の言葉の解説を配布していました。もちろん紙媒体でコメントなど聞く機会はあまりありませんでしたが、「読んでいます」と言われた時は本当に嬉しく思いました。聖書の解説の裏側には1週間の食事の献立がありましたので皆さんの関心はそちらにあったかもしれません。

仕事とではありますが自分としては聖書に向き合う大切な時、「言語化」するトレーニングでもありました。

こうして書いている中で今、関心あることについてまとめてみようかと考えています。
ブックレビューは数多くあると思いますし、いずれ挑戦したいと思います。

◯いつから「個人」という概念を人は持つようになったか?

今、関心ある一つのテーマです。
NPP(New Perspective on Paul / 新しいパウロの視点)について学んでいる中で浮かんが疑問の一つ。AI(Claude)と対話、というか資料収集してもらい考えを深めている中にあります。

そもその「救い」とは「個人」に向けられていることなのか?
歴史が進む中で「個人」の概念が形成され、救いは「個人」に向けられているかのように受け止めてきたとの理解ですが、「そもそもパウロは個人という概念を持っていたのか」という点です。

A Iに以下のように聞いてみました。

パウロには現代的な意味での「個人」という概念はあったと考えますか?それともユダヤ人、異邦人という「民族性」「集団性」が概念の中心であったと考えますか?

AIはこう答えました。

これは非常に重要な問いで、NPP論争の核心に触れる問題です。私の見解を述べると、パウロには近代的意味での「個人」概念は基本的に存在せず、その人間理解は「参与的・関係的人格」というべきもので、民族性・集団性の枠組みの中で構成されていると考えます。ただし、これは単純な二項対立では捉えきれません。

Claudeからの答え(抜粋)

最後の「単純な二項対立では捉えきれません」という答えは理解できました。喜怒哀楽など人間の内面の思いを自覚していることは誰でも持っているもの、小説など感情移入するのも内面ではないでしょうか。

ただ社会の視点(これもパウロの時代の人が持っていたとは思えませんが)で言えば「私は私です」という考えはなかったのではないかと。

ではいつから「個人」を意識するようになったのか?

ではパウロ受容の歴史で「救済」について「個人」がクローズアップしてきたのは宗教改革の時代ですか。それとも以前ですか?そもそも教会史の中で個人が取り上げられるようになったのはいつの時代ですか。

同上

AIの見解は以下でした。

「救済が個人の内面的事象としてクローズアップされる」最初の決定的転換点はアウグスティヌス(354–430)であり、宗教改革はそれを「教会的媒介から切り離して」徹底化・純化した第二の転換点です。つまり宗教改革は起源ではなく、急進化です。

同上

このようなことを考えているわけですが、NPPの視点を学ぶ中で「どこに立ち返るのか」という点を整理したいと思った次第です。パウロはどう考えていたか?一方、どのように「理解」されてきたかとの「歴史」。

教義としての理解を深める機会としたいと思います。

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