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ゴッホはもはや「キャラクター」だ!――一番くじと大ゴッホ展にみるキャラクター消費されるゴッホ

2026年の夏、フィンセント・ファン・ゴッホに関して、二つの注目すべき出来事が起きていた。

一つは、一番くじにゴッホが登場したこと。もう一つは、上野の森美術館で開催されていた「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」が連日大盛況だったこと。この二つを並べてみると、ある一つのことが言える。

ゴッホはもはや、「キャラクター」として消費されている。

まず一番くじから見ていきたい。一番くじといえば、ワンピースやドラゴンボール、鬼滅の刃のような人気キャラクターが並ぶのが一般的だし、私もそのイメージしかなかった。しかし、実在した有名画家であるフィンセント・ファン・ゴッホが、そのキャラクターたちと同じ一番くじというシリーズの中で展開された。

星月夜を立体化したジオラマフィギュア、自画像を小さくした「ちょこのっこ ゴッホ」など、もはやゴッホという作家と絵画がキャラクターの如くあつかわれたグッズが並んでいた。

過去に類似する事例があったのかを調べると、歌川一門と葛飾北斎という日本の画家たちも同様に一番くじになっていたようだ。しかし、実際に北斎の一番くじの中身を見てみると、神奈川沖浪裏のジオラマなど、いずれも「作品」から作られたグッズばかりで、北斎本人を模したフィギュアは見当たらない。つまり、作家自身(自画像)がキャラクターとしてグッズ化されたのは、今回のゴッホがはじめてのようだ。

北斎もゴッホも、フィクションの登場人物ではない。固有の人格を持つ架空の「キャラクター」ではなく、かつて実在し、絵を描き、死んでいった一人の人間である。それが今、ワンピースのルフィらと同じく、消費されているのだ。

もう一つの事例、上野の森美術館の「大ゴッホ展」も見逃せない。7月からは日時指定予約制に移行し、僅かな当日券も開場前には完売するほどの人気で、会期中は美術館の前に入場待ちの行列ができていた。

個人的に印象的だったのは、目玉作品であり、唯一撮影可能な作品である『夜のカフェテラス』への長蛇の列。長い整理列に並び、係員に誘導されてただその作品の前を通り過ぎるだけ。立ち止まることはほとんどできず、とりあえず写真を撮るという具合だった。これは名画鑑賞というより、もはや会いに行けるアイドルの握手会やチェキ会の体験に近い。実物の絵の前にいながら、人々はゴッホ作品に会いに来ているのだ。

一番くじと、美術展。売り場も客層もまったく違う二つの現場で、同じ夏に、類似の現象が起きていた。画家や絵画そのものが、キャラクター的に消費される対象になっていたのだ。これは単純に驚きである。ゴッホの生涯や絵の意味を持ち出さずとも、この事実だけで十分に面白い。

実はこのテーマ、私が今取り組んでいるハイアートのキャラクター消費という研究にも通じるところがある。美術館という文脈を離れた一番くじの現場でも、まったく同じ現象が起きているのを見ると、研究者としても単純に「おもしろい」と思ってしまう。

それにしても、バンダイスピリッツの勘の良さには感心する。北斎のときは「作品」を売ることに留めていたのに、ゴッホでは踏み込んで「作家本人」までキャラクター化した。もちろん、ゴッホは自画像が多いことも上げられるが、それだけではないだろう。上野で大規模なゴッホ展が開催され、日本中の注目がゴッホに集まっていたこのタイミングで、作家本人をモチーフにグッズ展開をした。この事実は興味深く、ぜひ担当者に話を聞いてみたいものだ。

2026年の夏、一番くじと美術展という別々の場所から、同じ結論が見えてきた。

「ゴッホはキャラクターである」


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