隣の市なら在宅で働けたのに:障害福祉の結論が「住所」で変わる理由
在宅でしか働けない、という人がいます。外に出て人と同じ部屋にいると体がこわばって動けなくなる、けれど家でなら手を動かせる。その事情は、隣の市に住む同じ障害の人と、何ひとつ変わりません。それなのに、自分の市では在宅での就労支援が認められず、隣の市では認められる。同じ制度の同じ名前のもとで、住所だけが違う二人の結論が、静かに分かれていきます。
これを「役所が冷たいから」で片づけるのは簡単です。担当者の裁量が狭い、自治体の財政が厳しい、福祉への理解が足りない。どれも部分的には当たっているのでしょう。けれど、そこで説明を止めると、肝心なものを見落とします。住む場所で結論が変わるという現象は、特定の役所の体質ではなく、制度の作りそのものから出てくる症状だからです。
七夕研究所は「障害者福祉のガバナンス」という連載で、この症状を一つずつ解剖しています。この記事はその入口です。込み入った制度論は本編に譲って、まずは「なぜ住所で結論が変わるのか」という素朴な不思議から、一緒に歩いてみます。
1. 在宅で働く人に、役所は何を求めているか
就労継続支援B型という制度があります。一般企業で働くのが難しい人が、支援を受けながら働き、工賃を受け取る場です。これを在宅で利用する場合、事業所が報酬を受け取るには、国が定めた要件をすべて満たす必要があります。
平たく言うと、こうです。1日に2回は連絡や進捗確認をして日報を作ること。緊急時に対応できること。週に1回は評価を行い、月に1回は職員の訪問または本人の通所で達成度を確かめること。これらが揃って初めて、報酬が算定されます。
この一覧を眺めて、気づくことがあります。要件のほとんどは、その人が働いているかを測っていません。その人がいまどこにいて、何をしているかを、事業所が把握できているかを問うています。成果を測る物差しではなく、所在を絶えず報告させ続ける仕組みとして、結果的に働いているのです。
2. 通っていれば、ただで手に入っていたもの
通所型の事業所では、利用者がそこにいるという事実が、支援の前提を黙って支えています。職員は同じ部屋で見ています。誰が来ていて、誰が来ていないか。今日は調子が良さそうか、手が止まっていないか。特別な手続きなしに、ただ同じ空間にいることで把握されています。所在が、支援が成り立っている一次的な証拠になっているわけです。
在宅は、この前提を外します。利用者は事業所の空間にいません。すると、空間がそれまで無料で提供していた情報が、まるごと失われます。1日2回の連絡と日報、週1回の評価、月1回の対面という要件は、この消えた所在を、報告の束で建て直そうとする試みです。連載ではこれを、失われた所在をテレメトリで再建する、と呼んでいます。
だとすれば、多くの事業所が在宅に及び腰になるのは、利用者を疑っているからというより、この絶え間ない証明のコストを背負いきれないからだと見るほうが、現象に合っています。在宅忌避は、冷たさの問題ではなく、所在という保証が消えた穴をどう埋めるかという、構造の問題に見えてきます。
3. 住所で変わるのは、制度が二階建てだから
では、なぜ住む場所で結論が分かれるのでしょうか。根は、制度が二つの層に分かれていることにあります。
誰がそのサービスを使えるかを決める支給決定は、市町村が行います。一方で、事業所を指定し監督するのは、都道府県や指定都市や中核市です。使う側の入口と、提供する側の管理が、別の自治体に割り振られています。在宅利用を認めるかどうかは、この支給決定の段階で市町村が判断します。国の基準が同じでも、その手前で市町村ごとに判断が分かれれば、結論は住む場所で変わります。
実際に、線を引き始めた自治体もあります。東大阪市は令和8年7月1日の適用で、B型に限って在宅利用を厳格化しました。在宅を例外的な扱いとし、定員の5割を上限とし、週1日以上の通所を原則としています。これは特定の市が冷たくなったという話ではありません。判断が市町村に委ねられている以上、こうした個別の厳格化はどこででも起こりうる、という構造の現れです。
4. これは「信じる」のをやめて「安心」を買う動き
ここに、連載を貫く一本の背骨があります。制度は、その人を信じて任せるのをやめて、計測して安心を得るほうへ、少しずつ退避しています。信じるのをやめた分だけ、確かにそこで働いているという信号を、絶えず送り続けてもらう。7要件は、その退避が形になったものです。
問題は、計測に置き換えても、確かめるコストが消えるわけではない、という点です。コストは誰かが払います。そして、いちばん計測しにくい場所で働く、いちばん立場の弱い人ほど、自分が確かにそこにいるという証明を、いちばん重く背負わされます。在宅でしか働けない人が締め出されやすいのは、その人に問題があるからでも、役所が冷たいからでもありません。所在が消えた途端に、検証の足場が崩れる仕組みだったからです。
ひとつ、自分への戒めも要ります。役所の線引きを形式主義だと批判するなら、何が本物の働くことなのかを、私たち自身が言えなければなりません。これは思ったより難しい問いで、行政もそこで揺れています。だから、役所だけを責めれば済む話でもない。この難しさそのものを、本編で正面から扱います。
5. この連載の歩き方
ここまでが入口です。もっと深く知りたい方のために、本編の地図を置いておきます。
第1回「在宅忌避の解剖」は、7要件を一つずつ開いて、所在の再建という見立てを立てます。第2回「信頼から安心へ」は、在宅の人を締め出すほど厳しいのに、巨額を抜かれるほど緩い、という落差を一本の線で説明します。第3回以降は、B型の工賃や、就労移行支援の2年間へと降りていきます。そ
以下の記事は今後公開予定です。公開された時点でアクセスできるようになります。
7要件を一つずつ開いて、なぜ在宅が忌避されるのかを構造から見たい方は、第1回へ。
締め出すほど厳しいのに巨額を抜かれるほど緩い、というこの制度の落差そのものに関心のある方は、第2回へ。
そもそも福祉は生存を守るだけのものなのか、という土台から問い直したい方は、番外へ。
して番外の「福祉とは何か」で、そもそも福祉は生存を守るだけのものなのか、という土台そのものを問い直します。
結び
在宅でしか働けない、いちばん計測しにくい場所にいる人ほど、自分が確かにそこで働いているという証明を、いちばん重く背負わされている。もしそうだとしたら、その配分は、いったい誰が決めたものなのでしょうか。そして、住む場所で結論が変わることを、私たちは制度の仕方がないこととして受け入れるのか、それとも設計の問題として引き受け直すのか。あなたはどちらだと感じますか。
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本記事で示した「所在をテレメトリで再建する」という見立て、つまり検証が実体ではなく所在の報告の上で回っているという診断を、ご自身の組織や制度設計の文脈で使ってみたい方、別の角度からの問いをお持ちの方、または本記事への反証や批判を寄せたい方は、以下のフォームからご連絡いただけます。
七夕研究所は、こうした診断道具を社会と共同で磨いていく仕事を引き受けています。本記事はその入口の一枚にすぎません。
