観音様の暗闇リトリート
こんにちは!魔タリカ792歳、魂のR指定です。
京都からやっと戻ったと思ったんですが、今これを書き始めたのは飛行機の上で、香港経由チェンマイ 入りをしました。 今年は本当にクレイジーな忙しさであちこち移動を繰り返していて、なかなかに注意も散漫になりがちです。ただでさえ何でも忘れっぽいのに!
今回私はタオガーデンでのダークルーム・リトリートに入るためにやってきました。20年タオガーデンに通っている私は、本来ならもっと早くにダークルームに入るべきだったのですが、なんせこんなハードスケジュールな日々で、ついつい後回しになっていたことを反省しています。
今回のダークルームは10日間の短いリトリートです。あまりに忙しかった日々から一転して、ダークルームの真っ暗闇で過ごす時間は、今の私にとっては大きなギフトだな、と感じています。
ダークルームといえば、以前師事していたハワイの師匠が、暗闇のリトリートについて話してくれたことを思い出します。
「人はみな、この世に生まれる前に、九か月間(日本では十月十日と数えます)の暗闇の修行を済ませている。」
胎児は、母の子宮という暗闇の中で、この世界へ出てくる準備をしています。母の心臓の鼓動、母の声、母の呼吸や動きなど、母を通して伝わってくる周囲の世界の響きを、全身で受け取っています。まだ自分の目で世界を見ることも、言葉で理解することもできないけれど、有機的な生命そのものとして、この地球上に自らを顕現させる準備をしているのです。
この九か月こそ、人間として生まれるための、最初の、そして最も神聖なダークリトリートなのだというのです。
あなたも私も、すべての人がすでにそれを経験していて、私たちは本来、何かが欠けている、何も知らない無知な存在として生まれてくるのではなく、すでに完全な生命として、この世にやってくるのだ、と。
けれども、母のお腹から外へ出て光の中に生まれ落ちたとき、私たちはそのことを忘れてしまいます。
これはいい匂いで、これは臭い。これは美しく、これは醜い。これは正しいけれど、これは間違っている。これは愛される私で、こっちは愛されない私。世界を生きるために、私たちはものごとを区別し、判断し、名前をつけることを覚えていきます。
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もちろん、それ自体はこの世界で生きていくために必要なもので、悪いことだとはいえません。区別、判断する力がなければ、私たちはこの世界を生きていくことができないでしょう。
けれど、いつの間にか、後から自分がつくった判断、社会的な常識など、後付けのマインドの方を真実だと思うようになります。
そうして少しずつ、本来の生命の姿と、後付けのマインドの「自分」との間に、亀裂が生まれていきます。
師匠は、母の胎内から分離して始まるこの人生を、第二のリトリートと呼びました。最初のリトリートでは、私たちは暗闇の中で、ただ生命として存在しています。
第二のリトリートでは、光の世界に生まれ、分離を経験し、喜びや痛み、人との出会いと別れを通して、自分が何者なのかを探し続けます。
だとすれば人生とは、何者かになるための道ではなく、忘れてしまったものを思い出していく道なのだと言えます。
師匠が伝えてくれた気功には、「観音」の名がついていました。
観音菩薩は、サンスクリット語でアヴァローキテーシュヴァラ、チベット語ではチェンレジクと呼ばれる、慈悲を体現する菩薩です。
「観音」とは、文字どおりには「音を観る」と書きます。
ただ耳で音を聞くのではなく、言葉の奥にあるもの、世界が発している声なき声まで全身で観じ取る。沈黙の音を「観る」「観じる」ことです。
観音の慈悲とは、ただ優しいことでも、相手の苦しみに同情することでもなく、ハートが恐れから解放されて、完全に開かれたときに立ち現れる真実。その全体を正確に観る力。そして、その理解から生まれる、最も適切で巧みな行動。それが compassion―慈悲なのだと言います。
「見る」と「観る」とでは、同じ「みる」でも、次元が違います。
目は、形や色や境界を見分けます。けれどハートは、目に映るものだけではなく、そこに流れている生命の音を観じます。
では、目に見えるものが何もなくなったとき、私たちは何を観るのでしょう。物質的な目を閉じて、ハートを完全に開くことで現れる真実。
観音様がのっている龍のように開ききったハートから放たれる光。
それが、観音の光なのです。
外からの光がまったく入らない場所で過ごすダークルームの10日間。
暗闇の中では、自分の顔や手すら見ることができず、
時計も、空の色も、太陽の位置も見えません。
何か神秘的な体験を期待してしまえば、私は暗闇の中にまで、自分が欲しっているエゴの物語を持ち込むことになってしまいます。
暗闇は、真実だけを見せてくれるとは限りません。
私の恐れも、願望も、記憶も、同じ暗闇のスクリーンに映し出されるかもしれません。
最初の暗闇では、私は自分が何者なのかを完全に忘れてこの世に出てきました。その後の人生では、自分が何者であるかを、世界を鏡としてたくさん教えられてきました。
そして今、もう一度暗闇へ戻っていくタイミング。
そこで私は、何を思い出すのかもしれないし、思い出すべき「何か」など、初めからないのかもしれません。
私が忘れっぽいのは、いいことのように思えます。
あらゆるエゴの期待を全て忘れて、闇の中に入っていけるんですから。
それではみなさま、次号のメルマガはそんなわけでお休みとなります!
Love♡
Tarika
2026年8月20日発行メルマガより

