Light-up studio 038 詩というのは草花なんだよ 谷川俊太郎 「うつむく青年」
ぼくがはじめて買った詩集は、寺山修司だったか、谷川俊太郎だったか。いずれにせよ同時期に、たぶん中学一年か二年のどこかで前後して、江平通りにあった本田書店で買った。

本田書店は町の普通の本屋さん。毎週、少年サンデーを買っていたお店だ。そんな、町の普通の本屋さんにも詩集のコーナーがあった。入って左側の壁の棚、入口に近いところのワンブロックがそうだった。そこの一段の半分くらいを占めていたのが、このサンリオ出版のシリーズと、新書館の寺山修司編集、宇野亜喜良のアートディレクションで出されていた「あなたの詩集」だ。「あなたの詩集」は、10~20代の女性向けの詩集。
『うつむく青年』の帯に書かれているのは、「おべんとうの歌」の終盤の一節。「どうすることもできぬ/くやしさが/泉のように湧きあがる/どうやってわかちあうのか/幸せを/どうやってわかちあうのか/不幸を/手の中の一個のおむすびは/地球のように/重い」です。これも部分ですが。
他にも「大きなクリスマスツリーが立った」とか「聞こえるか」とか「五つの感情 後悔(その一)」とか、素敵な詩がたくさんあった。今でも谷川俊太郎のベストの一冊だと思っている。
なかでも、この「うつむく青年」は大好きだった。

谷川俊太郎
Light-up studio 038
1970年ころの作品だと思う。谷川俊太郎は1931年生まれだから、30代の終わりあたり。そんな彼が70年安保、学生運動が吹き荒れた時代の若者に語りかけたのだろうか。
先に書いたように、この詩を読んだころぼくは中学生だった。それから、ぼくはうつむいて歩くようになったのだ(笑)。右手に住宅街、左手に田んぼのある道をうつむいて家に帰る。なんかカッコいい気がしていた。もうこれ以上ないくらい自分に酔っていた。その道は中学校からの帰り道だから、ぼくはこの詩を中学生の時に読んだとはっきり言える。
まあ、アホである。うつむく理由は何もないのだ。ただ「うつむく青年」の姿にあこがれて、形から入ったわけである。なんというか、そういうお年頃だし、そういう時代でもあった。
その後ぼくはいろいろな詩を読むようになり、なんとなく「谷川俊太郎の詩が好きだ」と口にするのが恥ずかしくなっていく。それは「井上ひさしが好き」とか「つかこうへい、最高!」とかを口にするのが恥ずかしいのと同じで、なんか通じゃないのだ。通だと思われたいのだ、未熟な人間ほど。
でも、実は折に触れ、隠れて読んでいた。何も隠れる必要などない。ぼくが何を読もうとも誰も気にしない。でも、やはり隠れて読んでいた。時には口に出して詠んだ。
いいのだ、これが。詩は声に出して詠んでなんぼである。
うつむく青年
谷川 俊太郎
うつむいて
うつむくことで
君は私に問いかける
私が何に命を賭けているかを
よれよれのレインコートと
ポケットからはみ出したカレーパンと
まっすぐな矢のような魂と
それしか持っていない者の烈しさで
それしか持とうとしない者の気軽さで
うつむいて
うつむくことで
君は自分を主張する
君が何に命を賭けているかを
そる必要もないまばらな不精ひげと
子どものように細く汚れた首すじと
鉛よりも重い現在と
そんな形に自分で自分を追いつめて
そんな夢に自分で自分を組織して
うつむけば
うつむくことで
君は私に否という
否という君の言葉は聞こえないが
否という君の存在は私に見える
うつむいて
うつむくことで
君は生へと一歩踏み出す
初夏の陽はけやきの老樹に射していて
初夏の陽は君の頬にも射していて
君はそれには否とはいわない
谷川俊太郎
Light-up studio 038
「詩にはメッセージはないというのが基本的な立場です」「ある美しいひとかたまりの日本語をそこに存在させたいだけ」(『文藝』二〇〇九年夏号)と、谷川俊太郎は言う。
最近、ようやくその言葉がわかるようになってきた。長い間、ぼくは「美しい日本語」に惹かれながら、それにあらがっていたのだ。今思えば、意味がわからん。
このあいだね、小学生四人と詩の話をしたんです。そこで詩のメッセージ性の話になったとき、ぼくは「詩というのは草花なんだよ」といったんです。草花は何のメッセージも持っていない。けれども、見れば綺麗だから感動するじゃないですか。ぼくは「詩も草花と同じように読んでほしい」といいました。小学生には全然通じないだろうと思ってたんだけど、あとでひとりの女の子から手紙が来て、あの言葉が一番印象に残ったと書いてあったんです。彼女には通じたんだと思えて、うれしかったんです。
にある谷川さんの言葉です
詩というのは草花なんだよ。
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