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「私にとって、ここの人たちは家族だから」——16年間をともに過ごした、ふささんへ



先日、16年間ともに過ごしてきた、
大切な利用者さんとのお別れがありました。

今日は、そんなふささんへ、
手紙を書かせてください。



ふささんへ💌


89年間、本当にお疲れ様でした。


あなたと初めて出会った時、
私はまだ26歳くらいだったでしょうか。


ふささんは70代前半。


そう考えると、ずいぶん長い時間を一緒に過ごしてきたんですね。

16年間……


いろいろなことがありましたね。

本当に、ありすぎました。


ふささんは、小さな子どもが大好きでしたね。

出産した職員が赤ちゃんを連れてくると、

「めんこいねぇ」

そう言って、顔をくしゃくしゃにして
本当にうれしそうでした。

私の長女が3歳くらいの頃、
施設の庭へ遊びに行ったこともありました。

非常口の向こうから私たちを見つけて、
うれしそうに手を振ってくれたふささん。


あの姿を、今でも覚えています……
ハッキり覚えていますよ!!


ご自身では子どもを産むことができなかったから、
子どもを見ると、かわいくて仕方がない。。。

そんな想いを、話してくれたこともありましたね。




それから何度も、

「子ども、何歳になったの?」

と聞いてくれましたね。

歳を伝えると、決まって、

「いやーー、早いねーー」

って。

懐かしそうに目を細めてくれていました。



その長女も、今はもう高校3年生です。

本当に早いですね……。

今はただ、元気でいてくれることを願うばかりです。





ふささん。

正直に言いますね。

あなたとの16年間は、
楽しいことばかりではありませんでした。

ぶっちゃけ、ふささんのことで
何度悩んだか分かりません。

とても心配性で、
職員のことを本当によく見ていましたよね。

いったい、いくつアンテナがあるの……?

そう思うくらい、職員を見る力はすごかったです。

「あの職員はこうだった」

「この職員はこう言った」

気になったことを、私たちにたくさん話してくれましたね。


一度話し始めると、
お話が1時間以上続くこともありましたね。

日本の経済状況まで気にされ、
私たち介護職員がきちんと生活できているかまで案じてくださっていましたね(笑)。

忙しい中で、
すべての話にゆっくり付き合うことはできませんでした。

ほかの利用者さんも待っていますからね……。

申し訳ないけれど、
それは仕方がなかったとも思っています。


だけど、ふささんがいなくなった今、

「あの時、もう少しゆっくり話を聞いてあげればよかったな」

そんな気持ちにもなります。


  ごめんなさい。。。


もっとできたことがあったかもしれない。


何かを説明しようとしなくてもよかった。

正しいことを伝えようとしなくてもよかった。


答えも、
説得も、
正論もいらない。


ただ頷いて、
その言葉を受け止める。

それだけでよかった時も、
きっとあったんですよね。


誰かに気づいてほしい。


自分の気持ちを分かってほしい。


寂しい時って、
誰かに思いをぶつけたくなることもありますよね。


自分のことを、自分でできなくなっていく葛藤。

施設で暮らす寂しさ。


私は介護の仕事の経験を積んで、
沢山勉強してきたから分かっているつもりでした。


でも、

まだまだだったかなぁ……



この1年で私自身も、
ただ言葉を受け止めてもらうことの大切さを、
深く学びました。



ふささんが職員のことをあれこれ話していたのも、
本当は、みんなのことを気にかけていたからなんですよね。


ふささんの

愛情

だったんですよね。


今なら、前よりも分かります。







私は係長という立場になって、

「ふささん、それは少し控えてもらわないと困る」

そう伝えなければならないこともありました。


その時、言われましたね。

「お兄ちゃん、係長になって変わっちゃったね……」


あの言葉。

かなり刺さったんですよ。

その日の夜、布団に入ってからも、
ふささんの言葉が頭の中をぐるぐる回っていました。

「本当に、俺は変わってしまったのかな……」

そんなことを考えながら、
なかなか眠れなかったのを覚えています。


だけど翌日...…


「昨日はごめんね」

って、ふささんが謝ってくれる。

私も謝って、
改めて、ふささんへの想いを伝える

すると、ふささんは涙を流しながら、

「ありがとう。お兄ちゃーーーん」

って言ってくれましたね。

ぶつかって、傷ついて、
それでも最後には、お互いの気持ちを伝え合う。

そんなやり取りを、何度したでしょうね。

利用者さんと職員というより、
長い付き合いの仲間みたいでした。


ふささんからは、
人に言葉を伝えることの難しさも、たくさん教えてもらいました。







最初の頃は、自分の足で歩いていましたね。

車椅子になってからも、
自分でできることは自分でやる。


自分の時間。

自分の順番。

自分の生活のリズム。


ふささんは、ずっと自分のペースをホントに大切にしていました。


ナースコールは……

人の倍以上、押していましたけどね(笑)
3倍かな😂


でも、それも含めてふささんでした。


自分の生活を、自分のペースで生きる。

その姿を16年間見てきて、

習慣って、その人の人生そのものなんだな。


そんなことを教えてもらった気がします。






そんなふささんも、
少しずつ元気がなくなっていきました。

あれだけ鳴っていたナースコールも、
すっかり鳴らなくなっちゃいました。

職員のことを「ああだ、こうだ」と話すこともなくなりました。


穏やかになって、
怒ることもほとんどなくなって。


でも私は、少し寂しかったです。
職員のみんなもそう言っていましたよ。


何度もナースコールを押して、
職員のことを気にして、
自分のやり方にこだわっていた……。


それも全部、

ふささんが一生懸命に生きている姿だった。



当たり前にあったものが、なくなって。

そこで初めて、

考えて、感じて、学ぶこと……。


本当に、介護の仕事には、
そんな瞬間がたくさんありますね。


もし、この話を元気な頃のふささんにしたら、

「そういうもんだよっ」

って言いながら、
そこから1時間くらい話してくれちゃいそうですね(笑)




でも、ふささん。


89年間、一生懸命に生きてきて、
そろそろゆっくり休みたかったのかな。。。


今は、そんなふうにも思っています。





ふささん。

私には、あなたからもらった
忘れられない言葉があります。


私が離婚したばかりの頃、
昨年の年末にいただいた言葉...…。

「正月は、家族と過ごすんだ」


身元引受人の妹さんも、すでに要介護状態。
外泊できる状況でもなく、特別な予定が入っているわけでもない。


確認しようとした、

その時。
フサさんは、迷いなく言いましたよね

「私にとって、ここの人たちは家族だから」



その言葉が、
しばらく頭から離れませんでした。

私は、noteという素敵な仲間がいる場所で、
あなたを「Mさん」として、
あの日のやり取りを書きました。


家族と離れ、
自分の生活が大きく変わったばかりだった私には、
その言葉がホントに、ホントに深く刺さりました。

あなたに涙を見られないように、
反対側を向きました。


仕事から帰ってその言葉を家で振り返ると
涙が止まらなくなりました。

あぁ、そうか。

私にも、

ここに大切な家族がいるんだ。



そう思わせてくれました。


ふささん。

あの言葉は、
たぶん一生忘れません。






そして、最後の夜。



不思議ですね。



私は長い間、
ほとんど夜勤をしていませんでした。


職員の退職などが重なって、
最近になって、また夜勤に入るようになりました。


そして、、、


たまたま私が夜勤だったその日に、
ふささんは最期の時を迎えましたね。


その5日前には、
夏祭りがありましたね。


移乗するのは、ふささんの身体に負担がかかる。


それでも、

「どうしても夏祭りの雰囲気を楽しんでほしい」


そう考えた職員たちは、
ふささんをベッドごと、にぎわうホールまで連れていってくれました。


吹奏楽を聴くふささん。

うれしそうでしたね。
妹さんも感動して泣いてくれていましたよ。


そこまでして、ふささんに夏祭りを楽しんでもらおうとした職員たち。


私は心から感動した。

ふささんが、みんなから大切にされていた証拠です。






亡くなる前の日には、
身体に痛みがありながらも、
大好きなお風呂に職員4人がかりで入れてもらいましたね。


さっぱりできて、本当によかった。


その日の夕食は、
食べれなかったけど、
飲み物は頑張って飲んでいましたね。



もう声は出なかったけれど、
穏やかな顔をしていました。


そして夜中、
呼吸の状態が変わりました……。


「もう、近いのかもしれない」


そう感じて、
妹さんへ連絡させてもらったのも私でした。

まさか私が、
ふささんの最期を見届けることになるとは
思っていませんでしたよ。


最後に、
ふささんの身体をしっかり拭いてあげることができました。


久しぶりのエンゼルケアでした。


一つひとつ、

「お疲れ様でした」

そんな気持ちを込めながら、身体を拭きました。


妹さんから、

「本当に、本当にありがとうございました」

と頭を下げていただいた時。


そして、
ふささんの穏やかな顔を見た時。


涙が出ました。。。


その時、改めて思いました。


あぁ、ふささんも、

私の家族の一人だったんだな。





この仕事をしていると、
毎日、本当に忙しいです。


もっと話を聞いてあげたかった。


もっと沢山、関わってあげたかった。


もっと優しくできた日もあったかもしれない。


もっと手厚い介護ができたかもしれない。


人を見送った後には、
そんな

「もっと」

が、たくさん出てきます。




ふささんにも、

ごめんなさい。

そう思うことが、たくさんあります。


正直、今の社会や介護業界、
そして過疎化が進む地域の医療・福祉体制に、
葛藤を抱えることもあります。


悔しいです。


本当は、もっとゆっくり話を聞きたい。

もっと一人ひとりと丁寧に関わりたい。

もっと、その人の願いをかなえてあげたい。

それなのに、少ない人数の中で、

「なんとかこれでやろう」

「今いる職員で、なんとか回そう」

そう言わなければならない自分がいます。


係長として、施設を守るために必要なことだと分かっています。


それでも心の中では、毎日のように、

「本当は、こうしたいのに……」

って思っています。


できない理由を並べたいわけではありません。


ただ、

もっとできるはずなのに、


そうしてあげられない現実が悔しいんです。


でも、
それでも……

最後の夜に、ふささんのそばにいられてよかった。。。



最後に、身体をきれいにしてあげられてよかった。

そして何より、

16年間、一緒に暮らすことができてよかった。



ふささん。

あなたが言ってくれましたね。

「私にとって、ここの人たちは家族だから」

あの時、私はその言葉をもらいました。



だから最後に、
今度は私から言わせてください。

ふささん。

あなたも、

私にとって大切な家族の一人でした。


89年間、

本当に、本当にお疲れ様でした。


そして...…


16年間、、、

本当にありがとうございます。



       

   係長になったお兄ちゃんより💌



スタエフ🎙

この記事とは別の話ですが、
私の介護の価値観を作り上げた利用者様との出逢いを
先日、スタエフでお話しています🎙


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