教育の境界線|厳しさと威圧⑧ チームを引き締めるために、連帯責任を使ってよいですか?
行事の練習に遅れる子がいる。
教員はチーム全体へ言う。
「一人でも遅れたら、全員で最初からやり直します」
連帯責任は、何でも不適切というわけではない。
チームで行う活動では、一人の遅れや手抜きが全体の結果に影響する。
自分の役割だけ果たせばよいのではなく、仲間に声をかけ、全員で状態を整える力も必要である。
集団の失敗を集団で引き受ける経験は、協力や所属意識を育てることがある。
全員でやり直すことになれば、きちんと取り組んでいた子は不快だろう。
その不満が、遅れた子にも伝わる。
しかし、自分の行動が仲間の時間や努力に影響したと実感することは、集団で生きるための学びでもある。
大切なのは、集団に本当に共有できる責任があったかである。
互いに声をかける役割があり、全員でそろえることが活動の目標なら、全員でやり直す。
その後、「誰が悪い」で終わらせず、声かけや役割分担をどう変えるか考えさせる。
遅れた本人には、仲間の時間を使わせた責任を自覚させ、次の行動で挽回させる。
これは厳しさである。
集団の不快感を、互いを育てる責任へ変えている。
反対に、集団には防ぎようのない一人の失敗を理由に、全員を走らせる、休み時間を奪う。
失敗した子を名指しし、周囲に責めさせる。
教員は説明せず、仲間からの圧力だけで従わせる。
それは連帯責任ではなく、集団を道具にした威圧である。
連帯責任を使うなら、本人の責任、仲間の責任、教員の責任を混ぜてはならない。
共有できる部分だけを全体で引き受け、それぞれが次に何を変えるかを明確にする必要がある。
厳しさと威圧の境界線は、共有できる失敗と不快感を集団の挽回へつなげるのか、全員への罰で一人を責める圧力をつくるのかだ。
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